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さよならいとしのペンギンライフ  作者: 天川さく
第2章 岩ポン、あなたという人は。いったい、わたしをなんだと(省略) 
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4-1 マズい。大変にマズい(前編)

      4


 マズい。大変にマズい。

 今度は体重ではない。

 作業である。まったくはかどっていない。

 くわえて、木橋がそろえた学会リストである。

 プリントアウトした紙を手に声が裏返った。


「岩ポンってば、いくつにOKって返事をしたのよっ」


 会場ごとにわけたリストであった。そのどれにも岩ポンの名前がある。岩ポンという人間が複数人いるかのようである。


「おかしいでしょ。これだと発表するのも座長するのも、十五分にひとつのペースになるでしょ。参加者によっては会場が変わってもずっと岩ポンの姿をみていることになるわけで」


 どんなイリュージョンよ、とデスクを叩く。

 腹立たしいのは重複するプログラムがひとつもないことであった。

 いや。


「野生のカンで回避したのかな」


 やりかねない。いつだったか。カンも自信と実力のうち、と岩ポンは豪語していた。まあいい。問題はプログラム構成である。


「絶対に座長はやってもらうとして。座長の隙間をぬって発表してもらうやつは? 招へい講演をのぞくと、えっと」


 残りの発表数をみて気が遠くなった。えっと、えっと、とリストを指先でなぞる。事実を受け止めたくなくて、パソコン画面で入力チェックである。指先が震える。間違いなかった。


「十件近くある。なんで? どうして? 五件っていったでしょ」


 人差し指で額を叩く。


「この中で、絶対に岩ポンに喋ってもらいたくて、時間が重ならないのは」


 泣きたくなる。二件しかなかった。


「どうして引き受けた座長のグループの中で発表を申し込んでおかないのかなあ。オールジャンルにもほどがあるでしょっ」


 むっきいっ、と朋子は身もだえる。八件も代わりに発表するなんでむちゃだし。それもすでにある原稿を読むんじゃなくて、原稿そのものをわたしが作るわけで。


「それってすでに代わりの発表じゃないでしょ」


 いや待て、と額に手をおいた。原稿どころかデータを作るところからで。岩ポンが用意したのは採集試料だけで。眉をひそめる。


「半分はポスター発表に回せないかな。ポスター掲示板に空きがあればできそうだけど」


 学会事務局に問い合わせようと、メールの新規作成をクリックしたときであった。

 携帯電話が鳴った。岩ポンであった。


『せっかく発表できるのに、もったいねえことするんじゃねえよ』


 開口一番であった。まったくこの人は。


「そこまでわたしが困っているのがわかるなら、先生が学会事務局へ連絡してください」

『その調子なら重複したプログラムはないんだな? さすが俺』


 聞けよ。朋子は拳を震わせる。


『九月の学会は共同研究者連中も参加するからよ。お前の発表が今後の研究の進め方の指針になるわけだ。わくわくだよな。最新データだもんな』

「最新どころか、まだ岩石の状態ですからねっ」

『お前がねちねちと準備してっからだ。ポンポンと測定しちまえよ。なんのために俺がお前に百万近い金を払うと思ってんだよ』

「試料をゴヤ大に送りましょうか。ぜひ受け取って下さい。道大の薄片室の職員さんにも『多すぎだよ』と泣かれてますし」

『薄片作成依頼を他の機関にも分散させるか。時間もねえしな。やってくれそうな機関リストを送るからよ。半分はそっちに出せ。俺からも連絡しとくわ』


 そうきたか。実際そうするしか手はないのだが。依頼書の書式は機関ごとに違う。単純に仕事が増えてしまった。なんてことだ。

 それからよ、と岩ポンは続ける。


『例のスペイン語の申請書だ。翻訳してくれる手はずが整った。英語で原本をくれとさ』

「英語で書いた申請書が欲しいって意味ですか?」

『あっちもバカンスに入っちまうからよ。今週中な』

「待って。どんななんの申請書を書くつもり? 内容情報ゼロなんですけど。せめてキーワードがないと」

『いままとめてメールで送った。そうだ。博士号取れたからな。研究協力者じゃなくて、これでお前も晴れて共同研究者で申請ができるな。しとけよ』

「あ、きた。ああこれか。で? またわたしが書くの? これって教授相当のキャリアが必要だったはずで」

『俺んとこのお前とくりゃ、みんな知ってっから文句いわれねえよ』


 嬉しくない。

 冗談ではない。


「どんなテーマかもメールにないし。ああもう、わたしの好き勝手に書いちゃいますよ?」

『いっそお前が代表で申請してもいいぞ? デカい金だからな。申請通ったらしっかり財布にぎれよ』


 ガハハと声が続く。あのですねえ、といいたいのをぐっとこらえる。岩ポンならいざ知らず、いかに岩ポンの書類のほとんどを朋子がやっていると世界中が知っていたとしても、尻の青い朋子がオモテに立った申請書が通るはずがなかろう。くそう。朋子は歯ぎしりをする。


『んで? 化石はどうなった。面白いもんが出てきたか? ネ○チャーもびっくりでナ○ョジオから取材申し込みもんだろ?』

「まだです」

『日本の連中がもっとウィットを理解すりゃあ海外の外部資金なんざ頼らなくてもやれるのによ。この面白さがどうしてわかんねえのかなあ』

「この化石試料ってボーリング試料に津波の形跡があったやつですよね。厳かに公表するならまだしも、はしゃぐのはマズいですって」

『何千万年前の岩石だと思ってんだよ。そんな前の出来事にまで忖度そんたくしてたらなんの研究もできねえよ。つうか化石のクリーニングくらいポンポンとやっとけや』


 それより先生、と朋子は話題をかえた。


「九月の学会の件ですけど。いうまでもないでしょうが、座長の作業は先生がちゃんとやってくださいよ。そこまで手が回んないし。先生の代わりの発表もやらなくちゃだし。当日もずっとそばにいるわけにはいかないし」

『よおし、わかった。口頭発表のタイトルは俺がつけてやる。だから座長のスケジュール管理は頼んだ』

「えっと? タイトルをつけていなかったの? 申し込んだだけ?」

『お前に渡した情報以上の作業はしていない』


 胸を張るような声が返ってきた。おいっ。

 ということは? 血の気が失せていく。

 送られてきた試料には展開指針すらないってこと? それなのにこれから適当にタイトルをつけられたら。そのタイトルに沿うようなデータを出さなくちゃいけないってことで。そんな都合のいいデータはそうそう出るわけがなくて。いままで以上に作業が増えるってことで。

 うぎゃあ、と思わず声を裏返す。うるせえよ、と岩ポンがほえる。

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