05
ハムスター騒動から数か月後、竜ヶ崎家が営む焼肉チェーン店、『竜のふるさと』の新店がオープンした。
しかも何とその店の住所は千歳総合病院のすぐ近くの大通りに面した好立地で、それなりのお値段のする高級焼き肉店にも関わらず、毎日たくさんの客が訪れている繁盛ぶりらしい。
その知らせを聞いた蛍一郎と梅之進は「何で!?」と叫ばずにはいられなかったし、オープン初日に千歳ひとみとその一家、そして安原教員と安原翔太が来店していたものだから、二人の驚きは乗算された。
ただ一人美奈子だけがすべてを納得した表情で、ごらんなさいとばかりに頷いて、初日の繁盛する店を回す手伝いをしていた。
疑問は募るばかりである。
数日たってもいまだにそのドヤ顔の抜けない美奈子に連れられ、蛍一郎、梅之進はその疑問を抱えたまま、新装開店したばかりの『竜のふるさと』へと立ち寄っている。じゅうじゅうと焼ける肉の香りが漂い、鼻腔をくすぐる芳しさに、腹の虫がにわかにさわぎだす。
店内は話に聞くに違わぬ繁盛ぶりで、テーブルにつくのに少々待ち時間があったほどであった。
オーナーの一族のくせに妙なところで律儀な美奈子はきっかり順番を守り、店員に案内されるまま粛々と席に着き、メニューを開いた。彼女が注文したものは竜ヶ崎家当主自らが選びに選んだ自慢のハラミで、部下二人も各々が食べたいものを注文した。
今夜は…今は夕食時だ…美奈子のおごりだと言われていたので、遠慮をするつもりは二人には無い。愛想のいい店員が、皿に盛り付けてある肉を運んできたときに、今日こそどうして新規開店という運びになったか説明してもらえるだろうと、梅之進は抱えていた疑問をぽつりと口にした。
「この店がオープンしたのって、やっぱりお嬢様が何かしたからなんですか?」
「勿論、これこそがわたくしの目的。まさしく悪の力ですわ」
「あく…!?悪かなあ?」
香ばしいハラミ肉を金網の上で焼く美奈子が、答えにならない答えを返す。隣では自分たちの会話より食事が大事らしい蛍一郎が、心底どうでも良さげにもくもくとホルモンを焼いていた。
梅之進も育ち盛りの高校生、腹はすいているので、兄貴分に倣いなって注文した美味そうな油の乗った牛タンを焼きつつもお嬢様に視線を向ける。お嬢様は『竜のふるさと』特製のたれを小皿に用意して、丁度いい焼き具合になったハラミを火から下げながら、得意げに説明を始めた。
「あのパーティのとき、わたくしたちが千歳生徒会長にハムスターを手渡したのは、覚えていますわね」
「ああ、はい。あの俺らがとってもとっても苦労して探し出したハムスターを手渡したときっすね」
ホルモンを咀嚼しながら妙に引っかかる言い方をする蛍一郎にしかし、美奈子は揺るがない。そうですわ、と自信満々に頷き、言葉を続ける。
「わたくしはハムスターとともに、『竜のふるさと』のクーポン券を渡したのです。ぜひ翔太君と来てくださいね、と…つまり、賄賂ですわ」
「わい…、へえ…?それで」
「千歳生徒会長は翔太君や生徒会の皆さまと一緒に、何度か来てくださったようですわ。そして時に、ご家族とも一緒に」
その中でも千歳生徒会長の父上、つまり大病院の院長は、クーポン券が無くなったあともひとみやその母親、つまり彼の細君を連れて、幾度も店に訪れているらしい。竜ヶ崎家自慢の料理を、随分と気に入ってくれたようだと美奈子は語る。千歳生徒会長自身も、美奈子にずいぶん恩を感じてくれたのか、友人各位にこの店のことを宣伝してくれたらしかった。
「はあ、でもそれだけじゃあ売上アップには繋がるかもしれないけど、新店オープンにまでは繋がらないでしょう」
「あら。そうでもないんですよ、梅之進。千歳生徒会長、それからそのご家族には横のつながり、縦のつながりがたくさんありますからね」
よこ?たて?と一瞬首を傾げかけるも、つまり横のつながりとは友人、仲間関係、縦のつながりとは上司と部下、仕事の関係のことだろう。確かに大病院を営む千歳一家なら、そのつながりは膨大なものになるのだろうと梅之進は感じた。
「先日のパーティでわたくしは千歳院長の食の好みをリサーチしていました」
「あらお嬢。いつの間にそんなことを」
「ふふふ、悪の女首領は抜け目の無いものですのよ」
美奈子はパーティで出た立食で、彼がどのようなものを食べるのか目ざとく観察していたのだという。曰く、千歳院長はサラダや果物類を多く取る、ヘルシーで、健康的な食事を続けていたらしい。手に取る飲み物ももアルコールでは無いソフトドリンクで、しかもジュースではなく糖類ゼロのお茶の類。医者と言う職業のせいなのか、年齢を気にしているのかわからないが、これは重要なことだと彼女は感じたらしい。
そうなると、千歳院長の好みは、正反対ということになる。何せこちらは焼肉店、カロリーたっぷり、健康ヘルシーダイエットとは無縁の場所だ。―――だ、が、しかし、
「…そういや最近、ヘルシー嗜好のメニューが増えましたね」
きょろり、と梅之進は店内…というよりも店内に張ってあるおススメメニューの手書きポスターを見ながら、小さく呟いた。
ハムスター騒動があった日から一か月ほど時間が経過したとき、『竜のふるさと』が出した新メニューは、全てカロリーが控えめで野菜とセットになっているものばかりだった。焼肉店では物足りないメニューなのではと首を傾げたがしかし、女性客に大ヒットし、新たな客層を呼び寄せるまでになっている。
これはもしかしたら、美奈子のアイディアなのだろうか?
「ふふふ、権力を笠に着て自分の食べたいものを自分の店に作らせる、という悪役らしい手を使ってこのメニューをねじ込んだんですの」
「別に、お嬢が食べたかったわけじゃあないっしょ?」
「ですが、お父様はわたくしのわがままと見せかけた策略を叶えてくださいました」
…実際、その『わがままと見せかけた策略』が叶ったわけではなく、美奈子の意見を竜ヶ崎家当主も良いものだと考えたから、『竜のふるさと』で新メニューとして展開されたのだろう。美奈子の思惑か彼女の父親の戦略か、上手くいったのはどちらかはわからないが兎にも角にも、そのおかげで千歳院長はこの店のリピーターとなったわけだ。
「千歳院長は、そして千歳生徒会長がこの店を進める相手はご友人ばかりではありません。恐らく、病院の方たちにも美味しいことを話してくださったはずです」
「院長はお医者さんだからわからないけど、千歳生徒会長は…そうかもしれないですね」
「舌が肥えているだろうあの二人が美味しいと言えばお医者さんたちも看護師さんたちも食いつきます。何よりもこの方たちが、生徒会長のご友人ら他の方々と違う点はどこだかわかりますか?」
「?」
梅之進は牛タンを口の中でもぐもぐしながら首を傾げる。蛍一郎はこちらの様子も見ずにただ黙々と肉を焼く。
二人の様子をじっくり見つめてもったいぶった後、きらり、と美奈子の瞳が光った。その輝きは何処か、世紀末の拳王や宇宙の帝王に似ている気がした。
「ズバリ彼らは、高給取り、だというところです!」
「…、…。ああ…!」
お嬢様が何を言いたいのか理解して、梅之進は牛タンを咀嚼し終わり飲み込んだあとになるほどと頷いた。蛍一郎は構わずに焼けた肉を小皿に取っている。
『竜のふるさと』のメニューはどれもこれも美奈子の父親が選びに選び抜いた肉や野菜たちである。厳選されたそれらは高級と言っていいものばかりで、ゆえに一般人には少々お高めの値段だ。高校生の自分たちは、そう頻繁に行こうと思える店では無い。
だが懐具合が一般人よりも良いと思われる高給取り…医者や看護師だったらどうだろう。たまの飲み会、もしくは食事会くらい、少々いいものを食べたいと足を向ける回数が多くなるのではなかろうか。
「千歳総合病院の医師が多く利用することを見込んで、新店はこの土地となったのです」
新メニュー人気と医師たちにリピーターが増えたことで、新たな店を建てる運びになり、そして金を落としてくれる人種がいるだろうここへ出店した。
「これ、全部計算してたんですか…?」
「勿論、と言いたいところですけど、思ったほど千歳生徒会長には秘密はありませんでしたわね」
誤算ですわ、と素直に認める美奈子をぼんやりと見つめてから、梅之進は兄貴分へと視線を移す。蛍一郎は何もかも諦めたかのような表情で、店員に新たなメニューを注文している。部下二人との温度差には気付かないポジティブなお嬢様はぐびり、とドリンクをあおり、うむ、と重々しく頷いた。
「悪の道はまだまだ険しいようですわね!ですが、わたくし、蛍一郎、梅之進、三人がいればどのようないばらの道も切り開いていけるでしょう」
「…」
「…」
言葉もない二人に、美奈子はにっこりと笑う。
「これからも、悪の華を咲かせ続けますわよ!」