1-5 再開
色々残念な最新話で御座います。
何だこの主人公、話が動かない……!
身内に不幸がありまして、あけましてが言えませんので、とりあえず。
今年もよろしくお願いいたします。
次は何とか……! 何とか一月以内に……!
キーボードのタイプ音が、静かなオフィスに響き渡る。
ディスプレイに文字を浮かび上がらせているのは、三十路も超えて四十路に近づいている男性だった。
男はガテン系を思い起こさせるようないかつい顔を更にしかめ、書き込まれていく文章ソフトの画面を見つめている。
「……ふぅ」
息を吐き、それから手を止める。
左においてあったコーヒーに手を伸ばし、持ち上げた感触に落胆の色を見せる。
「あいつ、どこまで買いに行ってるんだ……」
眉間を揉みながら、疲れたように男が言う。
ディスプレイには大量の数字と、一つの地名。
すべてある地方都市で発生した、爆発的な魔力増幅現象だ。
通常、それはどんな場所でも偶発的に起こりうるものだが、今回は規模と回数が違う。
そもそもが、この規模の大きさの増幅現象は年に一度か二度観測できればいい方というものだ。それが、たった一日で三回。
それもすべて同じ地域で、ほとんど座標にずれもなく発生している。
間違いなく異常だ。
「……イヤだねえ、うちらの管轄じゃあないでしょこのレベルは」
男がぼやく。
しかし、こうして回ってきた以上、仕事はこなさなければならない。
海外の魔法協会に手を出される前に収拾をつけなければ、またなんだかんだといちゃもんをつけられるのは目に見えているのだ。
──まずは県警に話を通して、人員を借りて合同捜査か。
ある程度辺りをつけながら、視界に入ったボールペンへ無造作に手を伸ばす。トン、と机からはみ出していた端を叩くと、ペンはくるくると回転しながら男の方へと飛び上がり、男の手の内に収まった。
それをを指先で弄びながら、さらに考えを詰めていく。
今買い出しに行かせている後輩と、もう一人。調べ物なら何人居ても困ることはないが、実動となればむしろ数は区切って動かした方が効率がいい。
最低限昼間から調べた限りでは、この現象の中心人物は女子高生だ。警察が束になっていったら怖がるだろうし、かといって身分を明かさなければ不審者と間違えられる可能性もある。
実際にそうやって地元の警察に拘束された覚えのある彼としては、なるべくそういった疑いをもたれるのは避けたかった。
そんなことを考えていたとき、唐突に部屋の扉が開けられる。
入ってきたのは、まだパリッとしたスーツを纏ってきちっとネクタイを締めた青年だった。
青みがかった黒い髪は目元でざっくばらんに切られ、理知的な光を宿す瞳と相まってエリートの気配を漂わせていた。
「おう、遅いぞ圭吾。一体どこまでいってやがった」
「す、すんません先輩。先輩の言ってたコーヒー、この前取り扱い止めたって聞いて、ほかのコンビニまで行ってたらこんな時間に」
「お前なあ……。……まあいいや、仕事に戻るぞ」
「うぃっす」
なかったならなかったで、適当な物を買ってくればよかっただろうに。
そう思いはしたものの、わざわざそのために遠くまで買いに行ってくれたのだ。そんな後輩をどやしつけるほど、男は狭量ではなかった。
会釈気味に頭を下げながらコーヒーを渡してきた圭吾は、ちらりと男のディスプレイをのぞき込むと、
「うわ、なんすかそれ」
「これか」
応え、手短に圭吾へ案件を伝える。
今回の一件を伝える前に買いに行かせたため、圭吾はまだこの数値の意味を理解していなかったのだ。
内容を聞いた圭吾は、頬を引きつらせたような笑いを浮かべ、
「……これ、俺らが担当するんすか?」
「そういうこと。ほれ、とっとと書類作れ。今日中にそこまで行かないといけないんだからな」
「マジっすか……」
うんざりしたように圭吾が呟くが、それに構ってはいられない。
直ぐに新しいウィンドウを開くと、渋々ながら書類の作成へ取り掛かった。
●
日が落ちてしばらく、結衣は市内を転々としていた。
結界はもうない。スライムを消滅させた後、数分と経たぬうちに結界が解かれたのだ。
スライムとのバイパスが消失したことを悟り、結界を解除したのだろう。市内では通行人が数人、突然倒れるという事態が起きていたが、幸いにも結衣にそこまでのダメージはなかった。
「……なにしよ」
ぼんやりと空を見上げながら、結衣は一人ごちる。
日が落ちても、結衣は家に帰る気が起きなかった。
一日で、あまりにも色々な事が起こりすぎている。魔法が使えるようになって、二度も襲撃にあって、学校をサボって。
激動の一日というのが、まさにぴったりだ。
──ふむ……。
「……なに?」
──いや、狙いがわからんのよな。スライムをけしかけて結界を張るというところまでは、まあわかる。しかしなあ、スライムを消された程度で結界も解くとは。
「ただ諦めただけじゃないの」
──かもしれない。まあ、どちらにしても今となってはどうでもいいことであろうよ。
こともなげに言ったミコに、結衣も頷く。
結局、今は自分から動くことは出来ないのだ。だから、次に仕掛けてくるのを待つしかない。
魔法を追えば、いずれページにぶつかる。それを奪い取っていけば。
「……うん、変わりなし」
──ヒヒッ。では主様、夕食代わりに少しばかり講釈でも垂れてやろうか。
「講釈?」
然様、とミコが言った。
──これから先、こう言った敵は増えるであろうよ。であれば、主様にも知識は必要であろう?
「……まあ、別に暇つぶし程度に」
──心得た。
いつの間にか戻ってきていた公園のベンチに腰掛けて、鞄からミコの本体を取り出す。
相変わらずごてごてした表紙に、二、三枚しかない中身。
じっとそれを見つめていると、突然表紙が薄ぼんやりと光を纏いだした。
内側から湧き出しているような光が強くなるにつれ、ほんの僅かな虚脱感が結衣に芽生える。
魔力が吸われていると気付いたのは、その光がはっきりと像を結んだときだった。
「……ミコ、勝手に吸っちゃだめ」
──この程度は消耗の内にも入るまい? ほれ、どうかな主様。縮尺ではあるが、私の姿は。
そこにいたのは、真っ白な髪を長く伸ばした、小さな『女性』だった。
肌は褐色だが、黒いローブを素肌に纏っているせいで肌の露出は少ない。
赤い色の瞳が爛々と夜の闇に輝き、じっと結衣を見据えている。
ミコ、と呼ばれた彼女が、にぃ、と頬を吊り上げた。
「……胸、おっきいね」
──映像であるゆえ、ある程度自由は利くさ。
さて、と間に挟み、
──では、話と行こう。今の西暦で言う紀元前、その更に以前の話だ。
話が始まる。
紀元前の更に前の時代。
科学の代わりに魔法が発達し、人々は自身の内から沸き出る魔力を原動力とした魔法を巧みに操って暮らしていた。
そんな中、ある研究があった。
世界の改変すら可能とする、強大な力を秘めた魔法。
その研究は当時の政府主導で行われ、やがてその内容は変質していった。
暴走し始めた研究はやがて概念の改変にすら手を伸ばし、その魔法の構築に数多の命が注ぎ込まれた。
暴走し続けた研究は文明の崩壊の起因となり、それを止めるために研究の集大成であった魔法を五つに分割するという案が採られ。
それが、今のネクロノミコンであり、他の四つの魔導書となった。
──とまあ、簡潔に述べればこういう経緯を辿り、我々は幾度か歴史に浮上しながら、またここに来たというわけだ。
「……ふーん」
全く興味がなさそうに、結衣が言う。
というよりも、事実興味がないのだ。彼女の興味を誘う物など、果たしてあるのか。
──歴史上、奇人や変人と呼ばれた者たちは、皆魔導書の適格者だった。アルハザードなどはその筆頭であったな。
「ふーん……。それで、それがなにか私に関係ある?」
下らないとでもいうように言い放つ。
結衣にとって、そんなものはどうでもいいことだった。
自身にとっての目的はなく、ただミコに言われるままにページを蒐集する。それが今の結衣の目的だった。
その先に何があるかなどどうでもいいのだから。
「……お腹すいたなあ」
とりあえず、まずは腹ごしらえのための資金をどうにかしなければ。
かといって家に帰るのは嫌だ。あそこは結衣にとって無力の結晶でしかない。そんな場所に戻るなど気が進まなかった。
もう日も大分暮れてきている。あまり長く留まっていれば、そのうち警官に引っ張られて強制帰宅させられるか、それとも危ない人に目を付けられるかの二択だろう。
どうしたものか、と考えて、結衣が小さく笑みを零す。
相変わらず迷ってばかりだ。力があっても、使えなければ意味がない。
いっそのこと銀行強盗でもして大金を手に入れてしまえば、今度はまた色々と道も見えてきたりするのだろうか、などととりとめもないことを考える。
一度やってしまえば後はなし崩し的に状況も変わるだろうが、最初の一歩を踏み出すためには色々と準備も必要だった。
そんなことを考えていると、結衣の耳に足音が届く。
公園の入り口から聞こえてきたそれに視線を向けると、そこには昼頃に図書館で出会った少女が佇んでいた。
服は昼間の学生服ではなく、市販されている普通の黒いワンピースとスカート。
結衣に気付いた彼女は、嬉しそうな顔で結衣の方へと駆け寄ってきた。
「お昼ぶりですね! えっと……、図書館の人!」
「変な渾名つけないで。……何か用?」
あ、はい、と彼女が答え、
「その本、昼間も持ってましたよね。面白いんですか?」
「……別に。そういう本じゃないから。話はそれだけ?」
応えた結衣に、けれど彼女は頷かずにゆっくりと近づく。
シャリ、シャリ、と一歩ずつ音がするたびに、結衣の脳裏を奇妙な悪寒めいたものが這いずり回る。
結衣は思った。これは誰だったか、と。
覚えていないわけではない。覚えているが、印象が薄いのだ。
だが、相手は自分を知っている。なら適当に話を合わせた方がいいだろう。
そう判断してのことだった。
だが、
──おい主様、気をつけろ。あの小娘、昼間とは違うぞ。何か孕んでいる。
ミコが言った。
声は脳内で響いたものだ。外には漏れ出ず、故に相手にも伝わらない。
ミコの警告に、結衣は僅かに身を強張らせる。
直接的な戦闘は経験したが、搦め手を受けたことはまだない。それを警戒するのに、ミコの言葉は十分すぎた。
「ええっと──」
困ったように彼女が、高村古法が笑い、
直後。
バンッ! と破裂音が響いた。
「ッ!」
椅子に座ったままの状態から、結衣が咄嗟に前方へと体を放る。
土煙が自身の周囲から。
そして爆煙が後ろから湧き立ち、脳髄を焦燥感と鮮烈な危機感が掻き鳴らす。
「──その本、頂戴」
どろり、と粘ついた声が高町から響く。
蹲る暇もなく、弾かれたように更に前へ跳び体勢を整えた結衣が、そして見た。
古法の右腕を包む粘ついた黒。そしてそれで構成された複数の帯状の物質を。
形状は、先端が半円状に丸く、そしてそこからは円柱状にぬめりを纏って伸びている。
根本が不定形なせいか、長さは曖昧だ。極端に短く、且つ太くなるものもあれば、真逆に長く、細く無数に細かく分かれたものもある。
それが、伸びた。
一斉に結衣目掛け伸び放ち、視線を這わせる一瞬すらなく空を潜る。
──手を翳せ、主様!
動作が入る。
ミコの声に従った左腕が跳ね上がり、何かを止めるように掌を翳した。
魔力が腕へと流れ込み、その先へ。
翳した掌の先へと放出され、そして展開された。
黒色の六角形だ。
僅かながら体系と呼べるものが存在する防御系魔法の、最初の複数の内の一つ。
硬度も範囲も現代で使われ、改良されている魔法とは比べ物にならないほど高く、故に要求される魔力量は桁違いだ。
僅かな間を置いて、
「──あ、れ?」
古法の声が漏れる。
一撃で仕留め、本を奪うつもりだったのか。
壁に激突したように、ぐしゃりと先端が潰れた触手を見、当惑したような表情を浮かべる古法。
だが、
──殺せ、主様。あれはまずい。例のスライムの主だぞ。
「そう。じゃあ、殺したら食べていいよ。私から吸わないで」
──ヒヒッ。あれだけの幻想生物を操れるのだ、大層魔力を溜め込んでおるだろうよな。楽しみにしておくとしようか。
引きつった笑いと共に響くミコの声に、結衣も僅かに笑う。
そして、再び動きが始まった。
──割り穿て! そのまま使える!
ミコの言葉は、イメージと共に脳内へ流れる。
一瞬の間を置くこともなく、結衣は開いていた掌を握り締め、魔力の供給を遮断。ガラスが割れるような音を立てて、黒色の魔力障壁が微塵に割れ砕かれ。
しかし、それは中空で止まる。
「行って」
掛け声と破片の疾駆は同時だ。
無数に割れ欠け、鋭く尖った破片が自身目掛け中空を駆けるのを見、古法は動かなかった。
動かなければ串刺しだ。それは見ればわかるし、そうなるのは本意ではない。
だが、古法は動かなかった。
代わりに動いたものがある。右腕だ。
正確には、右腕に纏わりついた黒。
それが粘性を高めた複数の太い触手を再構成し、払った。
下から上に。上から下に。それぞれの動きが独立し、しかし統一された『防御』という目的の下に行動をとった。
「クヒッ……!」
古法は一度、二度と喉を動かし、
「ご、ご主人様のお手製だもん、壊せるわけない、よっ?」
「……ミコ」
──ある程度は自動制御されるらしい。物量で押すのは、現状無理かね。魔砲で一気に焼き払ってしまえ。
ミコの言葉に、小さく頷く。
触手に弾かれて消滅した欠片に込められた魔力は、今の結衣からすれば大した量ではない。あの程度なら後二桁は使っても息切れしないだろう。
だが、守っていても仕方がない。傷は負わないが、脅威を退けることは出来ないだろう。
だから、結衣が動いた。
さっきと同じ、左腕が跳ね上がり、手のひらが翳される。
「魔砲──」
魔力の集束は、前回よりも格段に早い。一度構築されたイメージを、プログラムのように走らせているだけなのだから当然だ。
だが、古法はまだ動かない。
情報はあるはずだ。あの一撃を放ってからそれなりに時間は経っているし、ネクロノミコンを狙うなら情報収集は欠かさないだろう。
そもそも、そうでなければこうして結衣の前に姿を表せるはずがないのだ。
だから、しかし。
「──黒帯」
黒が、疾る。
前回の砲撃とは違う、膨張のない直線の砲撃だった。
前触れなく前方へ、円柱状をもって放たれたそれは、しかし前回と同様に魔力によって内部に膨大な熱量を蓄える。
その砲撃の表面が何かに触れた瞬間、その触れた面が溶解、開いた位置へと熱量が流れ込むのだ。
故に、それを防ぐ術は限られる。
衝撃などならばまだしも、熱は専用の術式を組まなければ防ぐことが出来ないのだ。熱の移動という事象自体を絶ってしまうと、太陽光も届かなくなり、自分だけが極寒の地に放り込まれてしまう。
冷房用として一般的に知られている熱対策の魔法は、熱自体を冷気に変換するという非常に効率の悪いものだ。プラスのものをわざわざすり減らして術者へ届けるのだから、そのエネルギーロスは膨大なものになる。
熱量の相転移を利用した威力の増強などならばあるにしろ、熱そのものを相手に叩きつける術式はそうないはずだった。
だから、通る。
「あはっ……!」
通るはずだ。
だが、古法は笑みを浮かべ、無造作に右腕ごとその触腕を振り翳した。
直後、赤道直下の日差しのような熱の反射が結衣を襲う。
反射は風と共に来、結衣のよれた前髪を吹き上げる。防がれたわけではないが、停滞させられたことに僅かな驚きを見せ、
「……っ」
苛立たしげに舌を打って、それから流し込む魔力を加速度的に増やしていく。
魔力から熱量への変換効率は、現代で使われている個人用暖房器具の一部に同じ機構が加えられていることから考えても優れていると言えるだろう。
しかも、使われるのは魔力タンクと言ってもまだ控えめが過ぎる結衣のもの。ただ停滞させるだけしか出来ない程度の防御ならば、
「じゃ、ま……ッ!」
轟ッ! と。注がれるはずの経路から溢れた魔力が結衣の周囲に渦巻いた。
それから一瞬を置いて、触腕によって作られた壁と衝突していた黒が一気に膨張し、破裂した。
そして、変化が始まる。
反射されていた熱は溢れた魔力によって遮断され、もう結衣の元へは届かない。
代わりに、
「い、あ、っつ……ぅ!」
触腕の壁から逸れた熱が、魔力の薄皮を突き破って古法に叩きつけられる。
スライムを押し潰したあの魔力の奔流は、いわばこの熱の前段階だ。あの一撃の完成形を、今の古法は真正面から受けてしまっていた。
肌を焼く熱は収まるところを知らず、燃焼を通り越えて彼女の皮膚をゆっくりと溶かしていく。
その感覚は、古法にとって初めて味わうものだ。
保護者から幾分かの熱を肌に押し付けられたことはあるが、それとは違う。彼女からの痛みは古法にとって褒美と同じだが、今のこれは純然たる苦痛に過ぎないものだ。
「ぁ、ぎぃ……っ!」
痛みに悶えながら、じわじわと自分を溶かされていく感覚。
それを骨の髄まで刻み込まれながら、しかし痛みの悲鳴をあげることは出来ない。喉や口内の水分が蒸発し、中が張り付いて息ができないのだ。
周囲にあったはずの緑の木々は既に墨へと変わり、古法の周囲だけがまるで戦争でもあったかのような荒廃した様相を呈している。
それを、
「……意外と死なないね」
──あの触手に随分と防御系の魔法を仕込んできたのだろうよ。まあ、じきに溶けるさ。
結衣とミコは無感動に見つめていた。
後一〇秒か、二〇秒か。その程度で彼女は死ぬ。
そう確信した直後。
高い、銃声が鳴り響いた。
新技はやいって? 後付設定って便利だよね。
ところで、この主人公マジで動かしづらいんですけど。誰だコイツ考えた奴。




