Ⅰ.五味秀一
その廃ペンションに到着した五味秀一は、彼らの他に二台の車が停まっているのに戸惑った。
この場所は現在、立ち入り禁止区域である。なぜ先客がいるのか?
運転席から様子を伺っていると、助手席でダッシュボードに足を投げ出す権藤渚沙がだるそうに言った。
「暗くなる前に終わらせようぜ。死体をひとつ埋めるだけじゃん」
「そういう訳にいかない。顔を見られたらまずい」
五味はいわゆる『反社』と呼ばれる組織に属しており、万一問題を起こせば、組織全体に迷惑がかかる。今どきのヤクザというのは、何事も慎重にしなければならないのだ。
一方、見た目は女子高生に見える渚沙の方が大胆だ。
「誰も見てないことにすればいいだろ」
さすがの五味も隣を睨む。
「バカか。相手が何人いるか、どんな奴なのかも分からないのに、突っ込んでも返り討ちに遭うだけだ——それに」
五味は、手前に停まる黒いセダンを指す。
「あれは覆面だ」
普段から注意を払っている五味には一目瞭然だ。
それで渚沙もようやく事態を把握したのか、厚底のブーツを下ろし身を起こした。
「なんで警察がこんなところに?」
「知るか」
そう答えた五味の背筋に冷や汗が流れる——もしやこの依頼は、五味、もしくは五味の所属する「九頭龍会」を陥れる罠なのではないか。
思えば、奇妙な依頼だった。
「とある場所に、死体をひとつ、埋めてもらいたい」
男とも女とも判別できない変声機越しの声は、非通知のものだ。
「誰をだ?」
「誰でもいい。死体の用意はそちらに任せる」
ちょうど一人、死体に心当たりがある時だったため、五味は組織の人間だろうと思った。死体を山に埋めた経験も一度や二度ではない。そういう仕事に慣れた五味に、依頼者が身元を明かさないよう、意図を悟られないよう、話を持ち掛けることも珍しくない。
そして、見張り役に誰かを伴わせることも。
……だがそれが、パンクファッションに身を包んだ少女というのは、普通ではなかった。
初対面の五味にも怯まず、黒く縁った目でトランクの死体を見ても、彼女は表情ひとつ変えなかった。
「誰? これ」
「組織を裏切った、伊達という男だ」
「ふうん」
慣れた手つきで遺体袋を閉じ、渚沙は「道案内をするから」と助手席に収まった。
——そして到着したのが、この廃ペンションである。
人里離れた山奥に、鬱蒼とした森に隠れるようにポツンと建つ、二階建てに時計塔の付いた洋風の建物。廃墟となって随分と経つのだろう。窓ガラスは全て割られ、スプレーの落書きも酷い。
道中、五味はこのペンションについてスマホで調べた。
何年か前に殺人事件があり、それ以降、心霊スポットとして粗暴な若者たちに荒らされたために、地主が立ち入り禁止としたらしい。
そんな場所になぜ死体を捨てるのか?
五味は何度か渚沙に尋ねたが、
「さあね」
と濁すばかりで判然としなかった。
こういう仕事は深く知らないに限ると五味は心得ているから、しつこくは聞かなかったが、いざ現地に到着したら警察がいたとすれば話が別だ。
五味は上着から拳銃を取り出し、渚沙のこめかみに当てた。
「騙したのか?」
渚沙はじっと前を見ているが、濃いアイメイクの下で瞳が細かく震えている。
「知らない。警察がいるなんて聞いてない」
「なら、これはどういうことだ?」
「分からないよ……」
言葉の最後は消え入りそうだった。これは純粋な恐怖に対する反応だと、五味には分かった。嘘は吐いていないだろう。
五味は拳銃を収め、舌打ちする……罠でないとしたら、こんな場所に警察、しかも覆面パトカーがある理由は……。
すると、渚沙が言った。
「逃げた方がいいんじゃないか?」
「いや、相手も俺たちに気づいているはずだ。逃げれば余計な詮索を呼ぶ」
果たして、どうしたものか……。
そう考えあぐねている時だった。
ゥゥゥウウウウウウ————
腹の底に響くようなひび割れた音が、五味の鼓膜を突き刺した。
サイレンだ。
スピーカーが手入れされていないのか酷く耳障りで、五味は両手で耳を塞いだ。
人も寄り付かないこんな山奥で、何のサイレンだ?
そう疑問に思った次の瞬間。
サイレンの周波数の隙をつくように、甲高い女の悲鳴が轟くのが聞こえた。




