第14話 ナンパじゃない
自己紹介を終えたシキは、リアと二人でしばし魔法屋の店内を物色した。
改めて見渡すと、いかにもファンタジーといった品揃えだった。淡く光る石。古びた巻物。何に使うのか見当もつかない奇妙な形の道具。元の世界の感覚からすれば子供だましのような代物のはずなのに、こうして本物として目の前に並んでいると、シキの胸は妙に高鳴った。
「うわ、これ、本当に売ってるんですね……!」
リアも棚の前で目を輝かせていた。
「教本に載っていたものが、こうして商品として並んでいて、なんだか感動します」
二人で子供のように陳列棚を覗き込んでいく。そのうちの一つに、シキの目が留まった。
小さな指輪だった。添えられた札には、こうある。
――耐火の指輪。火属性の攻撃に対し、わずかに耐性を得る。価格、三〇〇〇フロー。
「お、これ……まさに俺が欲しかったやつじゃん」
あの火球を思い出す。次に喰らったとき、これがあれば結果は変わるかもしれない。
「三〇〇〇フローか。初期装備にしちゃ高く感じるけど、ちゃんと効果があるなら納得の値段かもな」
「ふふ、そういうのってゲームだと三〇〇円くらいじゃないですか?」
「お、リアもそういうのわかる口か」
「あ、いえ、その……つい」
リアがはにかんで頬を染める。本好きなだけあって、その手の話題にも通じているらしい。シキはなんだか嬉しくなった。
指輪を手に取り、しばし思案する。三〇〇〇フロー。安くはない。だが、あの火球をまた喰らうことを思えば、命の保険としては妥当か。
(……いや、待てよ)
手持ちは皆から預かった二十万を含めて、決して少なくない。だが、これは自分一人の金ではない。素材の売却額も、まだ分かっていない。今、独断で装備に金を落とすのは早計かもしれなかった。
「……今はやめとくか。皆と相談してからだな」
シキは名残惜しさを押し殺して、指輪を棚に戻した。
と――ふと、店の一際目立つ場所に飾られた一着に、二人の目が吸い寄せられた。
深い藍色のローブだった。仕立ても、生地の艶も、明らかに他の品とは格が違う。
その値札を見て、シキは思わず声を上げた。
「たっか!」
――夜鵺のローブ。五〇万フロー。
「はぁー……普通の服とは、わけが違うな。五〇万て」
「魔法力と魔法耐性に、大きな恩恵がある……と書いてありますね」
リアが説明書きを読み上げる。
「魔法力か。……また新しい単語が出てきたな」
魔石、魔法耐性、そして魔法力。知らない言葉が、次から次へと現れる。リアが、本で読んだ内容を思い出そうと、こめかみに指を当てた。
その視線が、ふと、シキの左肩のあたりで止まる。
「……あの、シキさん。その肩どうされたんですか?」
シキの左の二の腕は、布が焦げて破れ、肌が覗いていた。
「これ? 街の外でちょっとな。火球を掠めて――」
言いかけて「ん?」と思った。
「……あれ。ちょっと治ってる?」
破れた布の隙間から覗く肌は、もう、うっすらと赤みが残っている程度だった。
そもそも、見た目ほど痛くはなかった。だが、それなりの火傷だったはずだ。爛れて、布が貼りつくほどだった。それがもう、ただの軽い日焼けのように引きかけている。
(……身体がやたら動くと思ってたけど。もしかして、そういうことか?)
草原で狼を倒したときから感じていた、あの絶好調の感覚。圏外の霧の中でも、ヒスイには見えていたものが、自分には見えなかった。あれは逆に言えば――個々人の中で、人より底上げされているものがあるのかもしれない。
とはいえ、超人になったわけでもなかった。空を飛べるわけでも、岩を砕けるわけでもない。ただ、物凄く調子がいい。その程度の感覚だ。だが、それで怪我の治りまで早いというのは、いくらなんでも不思議な話だった。
(……まあ、いいか。悪いことじゃねえしな)
シキは、深く考えるのをやめた。今は目の前のことが先だ。
「よし。皆と合流する前に、服は調達しておきたいな。さすがにこれじゃ格好つかないし」
「あ、もう行きますか?」
「誘っておいて悪いんだけど、先に服を見にいってもいいか? すぐ済むからさ」
「わかりました。私も行ってみたいです」
リアは嫌な顔ひとつせず頷いた。
(……めっちゃ良い子だな?)
シキは内心で、そう呟いた。
◇
二人で南大路を歩いていく。
夕暮れの気配が、街に漂い始めていた。歩きながら、シキは周囲の様子に目を配る。
すると奇妙なことに気づいた。
革鎧姿の開拓者たちは、皆、一様に俯いている。表情には、隠しきれない焦りが滲んでいた。これからどうすればいいのか、今夜はどこで寝るのか。そんな不安が、足取りを重くしているのが見て取れる。
ところが、街の住民たちは対照的だった。
「らっしゃい! 今日入った干し肉、安いよ!」
「開拓者さん、うちの宿はどうだい!」
明るく、元気よく、開拓者たちに声をかけている。商機とばかりに活気づいているのだ。
不安に沈む開拓者と、活気づく住民。
そのギャップにシキは、なんとなく危ういものを感じ取った。歓迎されているうちはいい。だが、この均衡は簡単に崩れる気がした。
ふと、サラと話した言葉が脳裏をよぎる。飢えた余所者五万人は、街にとっては化け物の群れより怖いかもしれない、と。今はまだ誰もが財布に五万フローを抱えている。いずれそれが尽きたとき――この笑顔と活気はどんな顔に変わるのだろう。
その不穏を振り払うように、シキは隣の少女へ目を向けた。
「なあ、リア」
「は、はい」
「リアの髪、すげぇ綺麗な水色だけど。それ、元からなのか?」
いきなり髪を褒められて、リアの顔が、ぽっと赤くなる。
「え、えっと……ここに来てから、だと思います。気づいたら、こうなっていて。……目立ちますよね、やっぱり」
「目立つけど、いいんじゃね? 似合ってるし」
「あ、ありがとう、ございます……」
リアは、消え入りそうな声でそう言って、水色の髪をそっと指で押さえた。
(……我ながら、ナンパみたいだな)
シキは胸の内で苦笑した。だが、世辞ではない。事実、よく似合っていた。
◇
しばらく歩くと、開拓者向けらしい服屋が見つかった。
店先には、飾り気のない衣類が並んでいる。シキは一番安いシャツを手に取った。値札は五〇〇フロー。ほとんど肌着のような、薄い一枚だ。
結局、五〇〇フローのシャツとパンツを一枚ずつ、それに、一〇〇〇フローの、いくらか動きやすそうな服を選んだ。革鎧の下に着込めば当面はしのげるだろう。
「そういえばさ」
会計を済ませながら、シキはふと疑問を口にした。
「洗濯って、どうやるんだろうな。考えてみたら、これ結構重要だよな。毎日汗だくで戦ってたらすぐ汚れるぞ」
「あ、それなら本で読みました」
リアが、ぱっと顔を上げる。
「風の魔石というものがあって。水の魔石と組み合わせると、服を清潔に保てるそうです」
「風?」
シキは引っかかった。
「風って……四属性じゃないのか? 火、水、土、雷の」
「あ、それは東西南北の、方角の属性のお話ですよね。風は、それとは別みたいですよ。特定の方角ではなく、各地で採れるそうで。……えっと、確か、癒しの力があるとか」
「……まじか」
シキは、足を止めた。
「それ、重要情報じゃねえか。洗濯だけじゃなく、癒し? そういうのも教本に載ってたのか?」
「は、はい。そう書いてありましたけど……そんなにすごいことなんですか?」
リアはきょとんとしている。自分が口にした情報の価値に、まるで気づいていない様子だった。
「いやすげぇよ。――なあ、ちょっと訊くけど」
シキは、嫌な予感を覚えながら尋ねた。
「その教本、いくらだったんだ?」
「一万フローでした」
「一万!?」
シキの声が裏返った。
「超貴重品じゃねぇか!」
「え!? そ、そうなんですか!?」
今度はリアのほうが驚いた。大きな瞳を、まんまるに見開く。
「だ、だって、最初に五万フローも貰えたから……てっきり、安い買い物なのかと思って……」
「……まじかよ」
シキは頭を抱えたくなった。
「金銭感覚のズレってこえぇな……」
あの五万フローは、宿代きっかり十日分の命綱だ。それを本一冊に一万。普通の開拓者ならまず手を出さない。いや、出せない。リアはわけも分からないまま、その一万を「面白そうな本」に投じて、結果として誰も知らない貴重な知識を独占している。
(……やっぱり、この子は保護すべきだな)
シキは改めてそう確信した。中身の価値を知っていれば、大人数のグループでなら買う判断もできるかもしれない。だが初日に、一人で、迷わず一万を出せる人間は相当な変わり者だ。そしてその変わり者は、戦う術をまるで持っていないように見える。
放っておけば知識ごと誰かに食い物にされる。そう感じた。
◇
服を新調したついでに、シキは自分の壊れた胸当ての修理についても訊いてみた。
「この胸当ての修理に、五〇〇フローだとよ」
店主に提示された金額を、シキはリアに伝える。
「で、少し性能を上げた防具に交換するなら、三〇〇〇フロー、だってさ。……ほんと、絶妙な値段設定だよな」
修理して使い続けるか、金を足して性能を上げるか。迷わせる価格の付け方だった。
「今日の売却収入がいくらになるかだな。それ次第で考えよう」
シキは結局、その場での購入を見送った。壊れた胸当てを脱ぐと、リングストレージへとしまい込む。当面は、新調した服だけの軽装だ。
それから二人は、他の店もいくつか覗いて回った。素材屋の場所、宿の相場、見慣れない食材。一つ見るたびに、この街の輪郭が少しずつ鮮明になっていく。リアは何を見ても物珍しそうに目を輝かせ、ときどき本で読んだ知識を教えてくれた。その一つ一つが、シキには驚くほど有益だった。
やがて、陽が本格的に傾き始めたころ。
「そろそろ、合流の時間か」
合流地点は、黄昏の道と月環通りが交わる、あの石板の地図がある辻だった。
橙色に染まり始めた街並みの中を、シキとリアは肩を並べて歩いていく。
出会ったばかりの本好きの少女。彼女がもたらす知識はこれから先、きっと何度も自分たちを助けるだろう。
そんな予感を抱きながら、シキは仲間たちの待つ辻へと、足を向けた。
◇
辻の石板の前には、すでに四人が揃っていた。
シキとリアの姿を認めると、まずヒスイが、にやりと口の端を吊り上げた。それからわざとらしく天を仰ぐ。
「おいおい見ろよ。情報集めに行ったはずの男が、なんで美少女連れて帰ってきてんだ?」
「いや、これはだな……」
「ナンパじゃねえか! この状況でナンパかよ! たいしたタマだぜお前!」
ヒスイがけらけらと笑い飛ばす。
その隣でサラが、すっと目を細めた。
「……へえ。シキ、あなた、こういう状況でも女の子に声をかける余裕があるのね」
声は穏やかだったが、視線は冷ややかだった。
「見損なったとまでは言わないけれど。……少し、評価を下げておくわ」
「いや待て、誤解だって」
シキは慌てて両手を上げた。リアは見知らぬ四人を前に、緊張した面持ちで、シキの斜め後ろに小さく身を寄せている。
「ち、違うんです。シキさんは、その、私を晩ご飯に……」
「ほーう、晩飯に誘ったと」
「だから言い方!」
ヒスイがますます面白がる。ダンが「若いな」と呟き、ヒカリが「えー、いいなー!」と無邪気にはしゃいだ。
完全に形勢は不利だった。
だが、シキは咳払いを一つして表情を引き締めた。茶化されるのは構わない。だが、これだけはちゃんと伝えておく必要がある。
「茶化すのは後でいくらでも聞くよ。――でもな、一つだけ先に言わせてくれ」
その口調の変化に、四人の目が、ふっと真剣になった。
シキは隣のリアをまっすぐに示した。
「この子……リアはもしかしたら、今この街にいる開拓者の中で一番の重要人物かもしれないぞ」
四人がきょとんとする。
俯きがちだったリアが、驚いたように顔を上げ、大きな瞳でシキを見上げた。
夕陽が六人を等しく照らしていた。
――こうして。
シキ、サラ、ヒスイ、ダン、ヒカリ、そしてリア。
寄る辺ない異世界で出会った六人の、暫定的なパーティーが結成されようとしていた。




