8.ラーヴァの化身、現る?
その日の午後は勿論、翌日になっても忙しかった。ハーゲン地方の洪水の件で調査員の選定と任命、領主へ詳細な情報を寄越すように返信、財務大臣と予算の打ち合わせ等々があったからだ。勿論、通常業務を平行してこなしながら、である。その為、午前中は時間を忘れるほどだった。
「失礼致します」
上品なノックと深く穏やかな声にドアを開けてみると、そこには執事服を身につけた男性がいた。年の頃は四十から五十には届かないといったところか。更にその後ろには蓋付きの銀盆を持つメイドが控えている。
「お料理をお持ち致しました」
「……ああ、もうそんな時間でしたか。僕も食堂に料理を取りに行ってきます!」
急いでキューテックが立ち上がる。執事風の男性はゆったりと微笑んだまま彼に向き直った。
「イアン様、宜しければお手伝いを致しましょうか」
「いえ大丈夫です。食堂の給仕も運ぶのを手伝ってくれますから。ただ、できるなら貴方のお茶が飲めると嬉しいな、師匠」
「おや、この老いぼれをまだそんな風に呼んでくださるとは。イアン様はお優しい」
「貴方の腕にはまだまだかないませんからね」
そんな会話をしながら二人はすれ違った。サミュエルが微笑む。
「爺、ありがとう。わざわざすまなかったな」
「いえいえこれぐらいの事、何でもありません。料理長も久々に腕が振るえたと喜んでいましたよ」
「セーブルズ、彼はうちの執事だ。爺、こちらはセーブルズ伯爵令嬢、俺の仕事を手伝ってくれている」
「はじめまして。アマリア・セーブルズです」
「はじめまして。ディケンズと申します。優秀で素敵な方だとお噂はかねがね伺っております」
「えっ?」
執事は目がなくなるほどにっこりと笑みを作った。
(噂って……閣下が? いえ、社交辞令……よね?)
思わず宰相を見ると、彼はアマリアを見返して軽く微笑む。
「ん?」
(うっ!)
彼のキラキラからすぐにパッと顔を背け、自分から見たくせに失礼な態度だなと彼女は自分でも思った。
キューテックが食堂から料理を持ち帰り、それらもあわせて並べるとテーブルの上は料理で埋め尽くされた。昨日のメニューに加えて、公爵家の料理人が作ったオードブルが華やかに鎮座している。さらにサンドイッチなどの軽食まで用意されていた。とても食べきれないのでは、とアマリアは思ったが、後にそれは杞憂に終わるのだ。
やがてカッカッと小気味良いノックが、表の執務室のドアから響く。その次に聞こえてきたのは、元気いっぱいの野太い声。
「失礼します! 騎士見習い、シェリーン・オーガスタです!! 入室しても宜しいでしょうか!?」
「どうぞ」
キューテックがドアを開け、入ってきた女性を見てアマリアは驚きをほんの少し表に出してしまった。
見習いの為か、まだ騎士服姿ではない。簡素な造りの上衣とズボンだけの姿は先ほどまでその上に鎧を身につけていたのかもしれないと推測できる。明るめの茶髪は後ろで雑多にくくっただけのスタイル。歩き方も騎士というだけあって女性らしくない大股だった。そしてその背の高さ、肩幅の広さも女性らしくないと言えばそうだろう。
(まるで、ラーヴァの化身だわ)
物語の挿し絵から抜け出してきたような逞しい女性の姿がそこにはあった。
◆
「うわあ……」
奥の部屋に入ったシェリーンの大きな目がテーブルを見つめ、キラキラと輝く。アマリアは昨日の自分もこんな顔をしていたのかと少し恥ずかしくなった。
「こんな御馳走見たことないです! これ、ホントに私が食べて良いんですか?」
「勿論だよ。君のために用意させた」
「……あっ! えっと、本日はお招きありがとうございます!」
シェリーンは挨拶を忘れていたことに気づき、改めて宰相に敬礼をする。彼は笑顔で応えた。
「こちらこそ、急な申し入れに応じてくれてありがとう。さ、席にどうぞ」
さらりと誘導する美しい宰相のエスコートにシェリーンはぽかんとした顔で席に着き、そして素直に言葉に出した。
「ほわぁ……宰相閣下って……噂には聞いてましたけど凄いですねぇ。物語の王子様みたい」
「!」
アマリアは横でどきりとした。今まで「宰相閣下に直々にお願いしたいことがある」等と仕事にかこつけて執務室に押し掛けてきた女性達が、サミュエルの見た目を誉めたり媚を売り出した途端、彼の極寒の態度に氷漬けにされて部屋を追い出されたのを数回見ているからだ。今度も彼が冷たく静かに怒り出すのではと思ったが、反応は真逆だった。サミュエルは軽く笑顔になったのだ。
「はは、それは誉めてくれてるのかな? ありがとう」
「勿論誉めてますよ!! ……あっ、すいません、これ失礼にならないですよね? 今日は身分の上下とかナシで、いつも通りの私の態度で良いって聞いてきたんですけど……」
少しだけおどおどしだしたシェリーンをなだめるようにキューテックが言った。
「はい、その条件でお誘いしましたので間違いありません。こちらがオーガスタさんに話を聞かせて欲しいのですから」
サミュエルとキューテック、シェリーンとアマリアはひとつの卓を囲み、昼の会食が始まった。シェリーンは平民で、地方の豪農の出身だそうだ。女の身だが体格に恵まれ馬も剣も扱えるので騎士になろうと王都にやってきたのだとか。
「女騎士は貴重だから腕さえあれば成り上がれるって聞いたので……うっわ、この肉柔らかっ!!」
シェリーンは喋りながら肉にかぶりついている。しかもどんどん食べるので彼女の前の料理はあっという間に無くなっていく。その豪快な食事風景を、アマリアは圧倒されながら見ていた。
「あの、もし良かったらこれもどうぞ」
「えっ、良いの!? こんなに美味しいのに!?」
他にも食べるものはあるし、彼女が本当に美味しそうに食べるので思わずメインの肉料理を差し出してしまったアマリア。シェリーンはその大きな目を見開いて驚いたあと、今度はにかっと笑った。
「貴女、良い人ね! でもせっかくだから半分こしない?」
シェリーンはさっとナイフで肉を半分に切ると、パンに挟んで食べた。
「はむ、美味しい!! 最高!」
その屈託の無い様子を男性陣(宰相と第一秘書と公爵家の執事)はにこやかに見ていたが、シェリーンがモグモグと咀嚼を終える頃にキューテックが話を切り出す。
「それで、オーガスタさん、貴女に聞きたいことがあったのですが」
「はい?」
「貴女は昼休みに中庭に居ることがよく有るそうですね?」
かちゃん。と、ナイフが皿の上で小さな音を立てた。アマリアがナイフを手から落としたのだ。
(……まさか、目撃者探し!?)
だがシェリーンは横のアマリアの動揺に気づかないようでキューテックの方を見たまま明るく答えた。
「はい! 昼御飯を食べた後に腹ごなしを兼ねて中庭で自主練してます!」
「それは大きい方の中庭ですか? それとも北棟に面した小さい方?」
「んー、庭内をぐるっと走ったりもするんでどっちも行きますね。あっ、これも食べて良いですか?」
「貴女が中庭で大きい声を出しているという話を聞いたのですが」
「えっ……駄目でしたか?」
サンドイッチを片手にシェリーンが太い眉を下げ、叱られた大型犬のような顔をする。宰相は苦笑しているのか、薄く微笑みながら優しく彼女に話しかけた。
「ああ、そうじゃない。どんな声を出してるのか聞いてみたかったんだ」
「え? はあ……大声というと、剣の型をおさらいしてる時の話かな? 多分、えいとかやあとか声が出てたと思います」
「それ、実際に今ここで、やってみて貰えるか?」
「へ? あ、はい。わかりました……」
シェリーンは立ち上がり、剣帯から鞘ごと剣を抜く。剣が鞘から出ないように鞘の飾り紐を剣の鍔に巻き付けてから、部屋の少し広いところ……元は宰相の机があったところに立った。
「えいっ! はあっ!」
掛け声と共に鞘ごと剣を振る。斜め上からの袈裟斬りから、更に相手を追撃するような突きの二段斬りだ。その力強さに鞘の先はひゅんと音を立てて空気を斬った。
「こういった感じですが」
シェリーンがそう言いながら剣帯に剣を戻すと、宰相は軽く手を叩いた。
「いや、お見事」
「いえ、騎士団の先輩方に比べればまだまだ未熟です」
「そうかな。俺では既に敵いそうにないが」
シェリーンはアハハと明るく笑った。
「宰相閣下はやり手と聞いてます! その頭脳とお顔を持っているのに、もし剣まで強かったらこっちはたまりませんよ!」
「……確かに。君と張り合うのは間違いだな。俺は今後も大人しく書類だけを相手にしよう」
「はい、閣下の護衛は騎士団にお任せください。私の先輩方は凄い人が沢山いるんですよ!」
サミュエルがシェリーンと楽しそうに会話をするのを見ながら、アマリアは落としたナイフをそっと握り直す。
(はあ、目撃者探しではなくて、オーガスタさんが声の主だと思って質問をしていたのね……)
ほっと安心したが、何故かそれきり食事は進まなかった。彼がキラキラの笑みを自分やキューテック以外に振り撒くのをアマリアは初めて見た。それもとても楽しそうに。
(ううん、閣下の笑顔が目に毒なだけだわ)
昨日はとても美味しかったはずの食事。それが急に味がしなくなったのも、いつものキラキラのせいだとアマリアは思った。












