23
──────昔、こんなことがあった。
それは『森林山脈』から帰還して、しばらく経ったときのことだった。
「カルテラさんって、なんで俺に稽古をつけてくれるんですか?」
そこは街から少し離れた開けた平地。
頬を撫でる風を感じながら、仰向けになりながらこう尋ねたのだ。
「どうしてそんなことを?」
カルテラは靡く茶色の髪を手の甲で撫でると、不思議そうにそう尋ね返した。
ザハはあちこち痛む体を起こしながら、胡坐を掻いてカルテラの顔を覗き込んだ。
「いや、特にこれって言うのはないんですけど」
カルテラがザハに稽古をつけるのは、これが初めてではない。
ザハが初めて『フェンリル』に入った日から、カルテラは事あるごとにザハに指導をしてくれていた。
はっきり言えば、あまりに贅沢な話だ。
カルテラはS級冒険者、中にはお金を払ってでも教えを乞う人間だっている。
それをどうしてか、ザハには無償で、さも当然のように与えてくれる。
感謝はしているが、都合がよすぎる。
そんな考えが読まれたのか、カルテラは小さく微笑んだ。
「どうしてかと聞かれると、少しだけ難しいですね。私にも、それほど大層な意味は込めていませんし、今のあなたにはそこまでの期待はしていません」
「…………そりゃ、まぁ、そうですけど」
面と向かって期待してない、と言われて、いい気分になる人間はいない。
分かりやすく拗ねるザハの額を、カルテラは小さく指で弾いた。
「って!?」
「そう落ち込まないでください。私は今のあなたにはと言ったんです」
「…………?」
発言の真意が理解できず、ザハは思わず訳を聞こうとする。
するとカルテラは、額を弾いた指でザハの口を塞いだ。
「今は、分からなくて当然です。ですがきっと、分かる日が来ますよ」
結局、この時の答えは聞くことはできなかったが。
ザハの脳裏には、どこか慈しむような彼女の顔が鮮明に刻まれることになるのだった。
そして、現在。
「──────ボケっとしてんじゃねぇ!!」
呆気に取られていたザハは思わず自らを叱咤すると、急いで落下するスーの元へと駆け寄る。
ダンジョンは、音を立てて崩壊していた。
それも一つの層ではなく、複数の層がドミノ倒しのように連鎖して崩れる。
(止めねぇと!下手すりゃここが崩落しかけねぇ!!)
ザハは落下する瓦礫を飛び移りながら、なんとかスーの傍へと近づき直す。
「…………ぇ…………ぁ」
スーは、正気を失っていた。
理由は分からない。
でも、どう見ても様子がおかしい。
(どうする?このままじゃ間に合わない。だったら)
止める手段は、二つ。
正気を取り戻すか、意識を奪うか。
この現象は、間違いなく魔眼に由来するものだ。
であれば、彼女の意識がなければ自然と止まる。
なにより、今のザハなら彼女の意識を奪うことは容易い。
一撃、頭部に衝撃を与えればそれで終わる。
(……………………迷ってる暇はねぇか!)
ひと際大きな音を立てて。
三つ目の層が崩壊した。
時間がない。
焦るザハは、素早く移動しスーの背後へと回り込んだ。
「…………ぅ…………ぁ」
スーは、泣いていた。
夜明けの空のような色を放ちながら、はらりはらりと泣いていた。
それは、悲鳴のような駄々に見えた。
なんでどうしてと、理不尽に怒る子供のように。
(──────クソが)
「…………?」
気づけばザハは、スーを抱きしめていた。
崩壊は、四つ目の層に到達しようとしている。
全身に走る悪寒を無視して、ザハはスーにこう語り掛けた。
「前に、お前に聞かれたな。なんで助けたんだってよ」
語っている暇はない。
「その時の俺はこう答えたはずだ。助けたいから助けたってな」
それでも。
「悪い。あれは嘘だ」
これが、今の最善だ。
「本当はな、俺がそうだったからだよ」
「……………………え?」
思わず、振り返るスーの眼には、信じられないという驚きが溢れていた。
ザハは小さく笑うと、親指で濡れた頬を拭った。
「俺も、お前と同じさ。得体の知れない力を持ってて、そのせいで誰にも必要とされなかった。親にも兄弟にもな。多くの人を不幸にして、それに耐えきれなくて家を捨てた」
四つ目の層が、崩れる。
自由落下する中で、ザハはスーに語った。
「それでも、ある人が俺を救ってくれた。別の人は俺を育ててくれた。いつしか、俺の周りには大勢の友がいた」
嬉しかった。
ザハは声にすることなくそう告げると。スーの額を指で弾いた。
「いたっ」
「こんなことしやがって、余計な手間を増やすんじゃねぇよ」
「ご、ごめんなさい」
思わず、そう謝ったスーの頭を乱雑に撫でる。
それは、悪戯をした子供を許す大人のように。
「仕方ねぇから、俺が一緒に謝ってやるよ。だから、二度とこんなことすんじゃねぇぞ」
「…………うん」
顔を埋めるスーを抱きかかえ、ザハはひらりと瓦礫の山を下りる。
ダンジョンは崩壊を続けており、恐らく四つの階層を崩しているだろう。
(止まった、か。ったく、マジでどうなるかと思ったぜ)
スーに気づかれないように小さく息を吐くと、顔を埋めたままのスーを見下ろす。
「…………ったく。しょうがねぇ奴だ」
積み上がる瓦礫の山は、不規則な音を立てて小さく砕けていく。
そうして起きた粉塵の奥に。
無数の『ツガイガシラ』がいるのだった。




