クリスさんのサーカス4
シェンは三日間昏睡状態が続いたが、無事に目を覚ましてくれた。
その間、クリスさんは氣の特訓には参加してくれていたけれど、とてもデートができるような状態ではなかった。
私自身も、一旦中止して別の人とっていう気分にはなれなかったので、クリスさんに付き添うような形でサーカスの作業を手伝ったりしていた。
デート期間が終わると、クリスさんはまた気の特訓に一日のほとんどを費やすことになるので、だったらサーカスにいようと私が提案したのだった。
気が紛れる…ではないけれど、クリスさんは徐々に気を持ち直してくてくれたし。
私もサーカスのことをちょっと知れてのでためになった。
そして、シェンの意識が戻ったと連絡を受ける。
大勢で行くわけにはいかないので、代表で大人の人たちが数人お見舞いに行くことになった。
その中にクリスさんも入っていたのだが、後で個人的に会いに行くと断った。
さらに、私も一緒に同行してほしいとお願いされたのであった。
看護師さんに案内され、シェンの病室前までやってくる。
ドアがノックされ、まず看護師さんが中に入り、シェンの様子を確認する。
何回かやり取りをした後、問題無いと判断した看護師さんが私たちを中へと入れてくれた。
シェンの頭は包帯がたくさん巻かれていた。
治療のために髪が切られたようで、さっぱりした印象に変わっている。
ただ、怪我をしたことでさらに表情が暗くなっていた。
何かあったら呼んでくださいと言って、看護師さんは部屋を出る。
シェンは私たちをちらっと見ただけで、それっきりずっと天井を見ていた。
「よ…よかった。意識が戻ったみたいで。お医者様も、怪我が治ればまた練習できるって言っていたよ
」
シェンの心中がわからず、クリスさんが恐る恐る話しかける。
シェンはそれにまったく反応しなかった。
「団長たちも…ちゃんとシェンと向き合わなかったことを反省していたし、怪我はつらかっただろうけど、これからはもっと良くなっていくと思う」
口下手なクリスさんがなんとかシェンの声を聞こうと試行錯誤する。
「そうだ、お医者様が来るまではセツナさんがシェンのことを見てくれていたんだよ。
僕なんて…何もできなかったけれど、セツナさんは本当にしっかりしていて、かっこよかったんだ」
「そんなことないよ、シェン。
クリスさんはずっとシェンに呼びかけていたし、今日までずっと心配していたんだよ」
私も、シェンと会話しようとするクリスさんの助けになろうと参加する。
「………そだ」
シェンがとても小さな声で言った。
「えっ?」
「嘘だ」
「嘘って…何がだい?」
「俺みたいな奴はサーカスを追い出されるんだ。やさしいフリをしているのも、ここが病院だからだろ?」
シェンがようやくこちらを見てくれる。
だけど、その目には初めてあった時のような覇気がなくなっていた。
「そんなことない。たしかに団長たちは厳しい人たちだけど、シェンを見捨てるような人たちじゃない。他の子供たちを見れば、シェンだってそれはわかるだろ?」
サーカスはいつだって人手不足。
だから、どうしても労働力のために子供を引き取っているように見られがちだった。
でもクリスさんが言っているのは本当の事、ちょっと中の様子を見ればすぐにわかる。
シェンも少しは心当たりがあるようで、何も言い返さない。
それでもサーカスのみんなを受け入れられないのは、シェンの過去がそれを邪魔しているのだろう。
「シェン、僕が団長たちとは別でここに来たのは、聞いてほしい話が合ったからなんだ」
クリスさんはそう言いながら、ベッドの傍にある椅子に座った。
が、すぐに私が立ちっぱなしなことに気が付き、あわてて私の分の椅子も用意してくれる。
せっかく頼もしい感じだったのに、ちょっとしまらない雰囲気になる。
まぁ、この感じがクリスさんの良い所でもあるんだけれど…。
気を取り直して、クリスさんはシェンに話し始める。
「シェン。僕はね、自分の意志でサーカスに来ているんだけれど、人によっては両親に捨てられているんだと思うんだ」
すると、クリスさんは右腕の袖を肘よりも上まで捲る。
その腕には、大きな傷跡がくっきりと残っていた。それはとても痛々しく、あのすごい芸ができているのが信じられないほど悲惨な跡。
シェンはもちろん、私もかなり驚いた。
あれほどのもの、クノイチをやっていた時でもなかなか見ない。
その傷跡を見せながら、クリスさんは自身の過去を語る。
クリスさんの父親は代々医者の家系の人だった。
小さい頃から医者になるための教育を受けて、ろくに友達も作れなかった。
ただ、母方の祖父だけは遊んでくれて、その時に今の芸に繫がる遊びを教えてくれた。
しかしある日、祖父と遊んでいたところ、馬が暴走した馬車とぶつかり大怪我を負ってしまう。
一命をとりとめたものの、片腕がほぼ動かせなくなっていた。
それ以来、父親はクリスさんを無視するようになり、兄弟とあきらかな差をつけ始めた。
母親も父親の考えに染まっていたし、祖父は責任を追及されてクリスさんと会えなくなる。
「絶望だったよ…あの時は。親すら助けてくれない。唯一の味方だったおじいちゃんもいない」
その悲惨さがひしひしと伝わってくる。
なるべく明るく話してくれているけれど、実体験を語っているせいか胸が痛くなってくる。
「…でもね」
そう言って、クリスさんがチェンの手をとる。
「すぐに気が付いたんだ。こんな家、出て行ってしまえばいいんだって」
「………えっ?」
あまりにも衝撃的な一言に、神妙な面持ちで聞いていたシェンが思わず声を漏らす。
「こんなこと本当は言っちゃいけないんだろうけど、いくら本当の親でも自分の事を軽んじている人にいつまでも期待するのは違うと思ったんだよ。
今にして思えば、勉強以外何もさせてくれない父親なんて大嫌いだったし。
向こうも僕のことを無かった事にしようとしていたから、チャンスとすら思えたんだ」
びっくりするくらい饒舌に話すクリスさん。
まるで当時の興奮を思い出しているかのようだった。
「い…いやいや」
シェンが口を開く。
「その時ってまだ子供だろ?しかも片腕が動かないって…。その、怖くなかったのかよ…」
自分と重なる所があったのか、シェンがクリスさんを気遣うように尋ねる。
「もちろん、不安が無かったわけじゃない。寂しさや恨みが消えたわけじゃない。
でも、このままじゃ不幸なままだっていうのがずっと頭から離れなかったんだ。
自分を幸せにできるのは自分だけ。おじいちゃんの受け売りなんだけどね。
きっと、いつかこうなることをおじいちゃんは予見していたから、僕にそう言い続けていたんだと思う」
クリスさんがシェンの手を離し、傷跡をしまう。
「シェンがどんな人生を生きてきて、このサーカスに辿り着いたのかは知らない。
でもここは、片腕を怪我してやって来た子供が、舞台に上がってお客さんを笑顔にさせられる場所なんだよ。
僕らのサーカスはそういう所で、少なくとも、僕がそういう場所であろうとしている。
だから、まずは見るだけでいい。僕らのサーカスがどういう所なのか、それを知ろうとしてくれないかい?」
そう言って、クリスさんが少し恥ずかしそうにする。
「まぁ、これはセツナさんのおかげで言えることなんですけどね」
急に私に話が振られる。
「えと、どういうことですか?」
「どういうって…、セツナさんがそういうところから始めるのも良いって、教えてくれたんじゃないですか?」
いやいや、それはクリスさんからの提案だったじゃないですか。
と言おうとしたけれど、これはクリスさんの照れ隠しであることに気が付いた。
良い意味でも悪い意味でも、自分を大きく見せたくないのだろう。
もしかしたら、今のシェンにはそれがちょうどいいのかもしれない。
「そうでしたっけ?あんまり覚えていないですけれど、私ってそんな良い事をしていたんですね」
私にしては悪くないアドリブである。
なんとなくだけれども、雰囲気が和らいだ。
シェンは相変わらず何も言ってくれない。
だけど、何かも感じてくれているのは表情を見ればわかる。
これ以上は何も言わず、また来るねとだけ言い残して、私たちは病室を出ることにした。




