表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
序章「呼ばれた朝」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/51

第一節

はじめまして、「蜜豆」です。

保育士免許を持っているので、保育士を題材にお話を作ってみました。

四月の保育室は、まだ他人同士のにおいがする。


 新しい上履きのゴム、洗い立てのタオル、誰かの家の柔軟剤。それが六月ごろになると全部混ざって、いつのまにか「うちの部屋のにおい」になる。

三年目に入って、それだけは分かるようになった。


「みおりせんせい、これ」


 りっちゃんが差し出してきたのは、うさぎのワッペンだった。名前を書くやつ。片側だけ糸が残って、ぶら下がっている。今朝はちゃんとついていた気がする。


「うわ、冒険したね」

「ぼうけん、してない。すべりだい、ひっかかった」

「それを冒険っていうんだよ」


 ぶら下がった糸を根元で切って、ワッペンごとポケットに入れる。床に落ちていたら、誰かが必ず口に入れる。連絡帳の上に置き直そうとしたところで別の子が泣き出したので、そちらへ行った。


 十時半、園庭。十一時半、給食。りっちゃんは今日も牛乳に手をつけないままで、私は何も言わない。去年、これを飲ませようとして三十分かけたことがある。その子はその日から、給食の時間そのものを嫌いになりかけたので、もう二度とやらない。


 十二時半、午睡ごすい


 カーテンを引くと部屋が急に薄暗くなって、それだけで半分くらいの子はまぶたが重くなる。残りの半分が問題で、そういう子は布団の上で回転したり、隣の子の髪を触ったり、天井をじっと見ながら足の指を動かし続けたりする。

 オルガンの前の椅子に座る。足踏み式の古いオルガンで、右のペダルが少しきしむ。


「つみきさん、おやすみ…」


 弾きながら歌う。


歌詞は私が勝手に作った。おもちゃがひとつずつ箱に入って、そこで眠る歌。


つみきさん、おやすみ。くるまさん、おやすみ。順番に名前を呼んでいくだけの、それだけの歌。片付けの歌のつもりだった。それが、布団の上だと子どもが眠る。理由は分からない。


 三番まで歌い終わるころには、ごそごそと動いていた足の指も止まっている。

 去年、大野先生が背中のほうから「七瀬さん、それ何の歌?」と聞いてきたことがある。作りました、と答えたら、へえ、と言われた。それだけだった。


 午睡中は書きものの時間だ。


連絡帳はいつも三人で分けるけれど、今日は大野先生が事務で抜けていて、鈴木先生は布団のあいだを回っている。だから二十一冊。今日は誰が何をして、何を食べて、どんな顔をしていたか。一冊三行でも六十三行になる。


 書きながら、五月の壁面がまだ手つかずなことを思い出す。こいのぼりのうろこを人数分。ラミネートは昨日、職員室が空いた隙にかけてある。あとは一枚ずつ形に切るだけ。けれどラミネート済みの厚い紙は裁断機がないと歯が立たなくて、その裁断機も日中は空かない。

 持って帰ろう、と思った。うちにはよく切れるはさみがある。


 十六時を過ぎるとお迎えが始まる。


 園庭側のドアが開くたび、子どもたちの顔が一斉にそっちを向く。自分のお母さんじゃなかった子が、また遊びに戻る。その繰り返し。


 りっちゃんのお母さんは、いつも十八時十五分ごろに走ってくる。

 窓から門が見える。パンプスで走るのは大変だと思う。門のところでいったん止まって、髪を直して、それから普通の速さで園庭を横切ってくる。息が上がっているのは、ドアが開いた瞬間の声で分かる。


「すみません、遅くなって」

「大丈夫ですよ、全然」


 私は毎回そう言う。実際、大丈夫だ。延長保育の時間内だし、私はどうせ十九時まで残っている。

 りっちゃんが飛びつく。お母さんが抱き上げて、その顔を見て、少しだけ息を吸うのが見えた。


「これ、取れちゃって。糸は切ってあります」

「あ……すみません、うち、裁縫が…」


 言いかけて、やめた。受け取ったワッペンの縫い目は、大きかったり小さかったりして、まっすぐではなかった。それでも縫ってはあった。


「滑り台で冒険したそうです」


 お母さんが笑う。その拍子に、目の下のところが濃く見えた。うさぎをバッグの内ポケットに入れて、ファスナーを閉める。


「ありがとうございます。ほんと、助かってます」


 二人が門を出ていく。りっちゃんが何か喋っていて、お母さんが相槌を打っている。相槌の間隔が、だんだん広くなっていく。


 明日の朝もまた七時半に、あの子はここに来る。ドアを開けて、私の名前を呼びながら。


 私は保育室に戻って、床のブロックを拾った。ブロックさん、おやすみ、と口の中で歌いながら拾って、箱に入れて、それからトートバッグにうろこの束を詰めた。二十一枚。折れないように、間に新聞紙を挟んだ。


 電気を消すとき、オルガンの蓋が開けっぱなしなのに気づいて、閉めた。



 誰もいない部屋は、まだ四月のにおいがした。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

澪里たちの物語の続きを見届けていただけたら嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
Threadsから来ました 静かな雰囲気が好きです 俺最強!も好きなんですけど、こういう落ち着いたのもいいんですよね・・・ 応援します!
threadsからです。 ブクマつけますね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ