1.七秒後に死ぬ魔導師
赤い髪の男が、死ぬ。
胸を光の刃に貫かれ、砂埃の中へ崩れ落ちる。
それはまだ訪れていない、七秒後の未来だった。
瞬きをすると、目の前にはいつもの乾いた砦があった。
砦は、今日も土埃が舞い、乾いた砂の香りが漂っていた。
「そこの白妖! 魔導炉の掃除に早く行ってこい!」
野太い男の声が響く。手には鞭を持ち、今にも私に振り下ろさんとしている。
私は黙って頷き、魔導炉に向かった。
魔導炉に入った瞬間、私にはひとつの光景が見えた。
赤い髪の男、そして、彼は、死んでしまうと。
オーブの濁りがないか確認し、炉の周りを掃除する。
そして、魔力の流れを整える。それが私の仕事だった。
魔導炉は危険な場所で、本来なら魔導師しか入ることを許されていない。
そこの掃除は、魔力の流れが見え、死んでも構わない奴隷——『白妖』がやる。それがここの決まりだった。
魔力の流れを整え、魔導炉を出ようとすると、コツ、コツと革靴が地を蹴る音がした。
そこに現れたのは——赤い髪の男。
赤い髪の男が、死ぬ。
胸を光の刃に貫かれ、崩れ落ちる。
それは今ではない。まだ訪れていない、七秒後の光景だった。
「止まってください!」
私は思わず叫んだ。
その時、赤い髪の男の周囲にいた兵士たちが私を囲み、抑えつける。
「白妖が口をきくな!」
兵士の一人の手が、私の口を力ずくで押さえる。金属の鎧の匂いが、ツンと鼻につく。
ただ、赤髪の男は、私の話を聞いて、その場を動かなかった。
次の瞬間、彼の目の前の床を、光の魔力の刃が貫く。
(——やっぱり、あの人を狙っている。動かなければ、彼は死んでしまう!)
光の刃は、一回では収まらなかった。何度も、何度も、術が連鎖するように貫き、細かな石片を落としながら魔導炉の天井が崩れ始める。
「魔導炉が崩れる……!」
赤い髪の男は、防御結界を張ろうとするも、それを上回る速さで魔導炉が崩れはじめる。
このままだと魔導炉どころか、砦自体崩れて——皆、死んでしまう。
「詠唱が追いつかない! このままでは——」
赤い髪の男の言葉に、私は力を振り絞って兵士を払い除けた。
魔力の流れの中に、光の刃へつながる幾本もの糸が見えた。
時詠みを使えば、私が何者なのか知られてしまう。
また、あの日のように追われるかもしれない。
それでも、このままでは全員が死ぬ。
「——右から三つ目の術式を切って!」
私が叫ぶと、赤い髪の男は目を丸くした後、落ち着き払った声で言った。
「根拠は?」
私は、一瞬目を閉じる。
「十二秒後、あなたが死ぬから」
彼が、再度私の方を見た。
「……では、死なない手順を、教えてくれ」
「私が時を詠みます。それに従い、術式を分解してください」
「わかった」
私は目を閉じ、魔力の流れの中にある複数の糸を見る。
「時よ、まだ来ぬ傷を私に告げて——《時詠・刹那先見》」
私の目の前に幾筋もの光が走る。
見えたものは崩壊する魔導炉。崩れ落ちる床、そして——炎に呑まれる赤髪の男。
「——七秒後、第二環が逆流します」
「核は?」
「左上。青白く点滅する継ぎ目」
彼は目で確認することもなく、左上の天井のほうへ指を向ける。
「構成を開示。結節を分離——《解式・断理》」
天井に点滅していた魔法陣の一角が、音もなく切り離され、消滅する。
彼はちらりと私の方を見る。
「次は?」
「右下。五秒後」
「承知した」
彼が指を向けると、またしてもぽうっと浮かび上がった魔法陣の一角が、消えた。
初めて会ったはずなのに、説明はいらなかった。
私の時詠みに、彼が呼応し術式を断つ。
まるで、ずっと前からそうしてきたかのように、息が合った。
「——第三環、四秒後」
「《断理》」
天井に、大きな魔法陣が見える。
(これに繋がる術式を断てば、あの人はここで死なずに済む)
「最後、正面、七秒」
彼が顔を上げ、魔導炉の核の上へ指を向ける。
私も合わせて同じ方向を見る。
そして、互いに頷き合い、声を合わせた。
「《時解連環——運命破断》(クロノ・レゾナンス――フェイトブレイク)!」
私の魔力と、彼の魔力の波長が、共鳴を奏でる。
天井の禍々しい魔法陣はすぅっと崩れ去って、砂のように消えていった。
「今の術は……」
「分かりません。私も初めてです」
その時、私はまだ残っている光の刃が、彼を狙っているのを見逃さなかった。
何も言わず、彼を突き飛ばして——光の刃の残片が、私の肩を掠めるように貫いた。
肩が、熱い。ぽたぽたと、血が、流れ落ちているのを、私は無言でただ見ていると横から声がした。
「——どうして私を庇った?」
「あなたが死ぬと、ここにいる全員が死ぬ未来だったから」
「それだけか?」
「……他に理由は必要ですか?」
その時、兵士が乱暴に私を縛るかのごとく引き立てる。
「——この白妖を牢に連れて行け。魔導炉を壊したのも、こいつの仕業かもしれん」
私の身体から、さっと血の気が引いていくのを感じる。
兵士は私の身体を拘束しながら、話を続ける。
「魔導炉の異変を知っていて、この白妖が事故に見立てて破壊しようとしたのだろう」
その時、砦の責任者の男——下卑た笑みの大きな男が、私を鋭く睨みつける。
「白妖。仕事に戻れ。次は魔導石の運搬だ——」
ぬめっとした男の手が私の手を引こうとする。その時だった。
「その手を離せ」
低い声が落ちた。
「彼女が負傷しているのが見えないのか」
赤い髪の男が声を上げる。責任者の目が、泳ぎはじめる。
「しかし、アネル・ブリューム局長、この白妖は砦の所有する労働奴隷です!」
赤い髪の男が、責任者に一歩詰め寄る。
「この国に、種族を理由として人を所有する法はない」
彼は、責任者が持っていた証文を受け取ると、さらっと一瞥した。
「……署名も、印章も偽造だ。これは契約書ではない。ただの犯罪の証拠だ」
知らなかった。幼かった私は故郷である北境霜原の村が襲撃され、生き残った私は、ここに連れてこられた。それから、ここで生きることが当たり前だと思い明日を見ることも諦めた。時詠みの力も、使わなくなった。
アネルと呼ばれた赤髪の男は、私に近づいた。
「名は?」
「……ティルア」
「家名もあるだろう」
私の胸が、ぎゅっとなり、白銀の髪が、頬を掠める。
「ティルア・ソルデヴィア」
名乗った瞬間、彼の表情がすっと変わった。まるで驚きを隠せないと言いたげに。
「まさか——エオネ族か」
私は頷いた。エオネ族……久しぶりに聞いたその響きが、遠く北にある故郷を思い出させる。
「本日より、ティルア・ソルデヴィアを私の直属とする」
その声に、兵士と砦の責任者がざわめく。
「局長の……所有物に?」
そう尋ねる責任者の声に、アネルの眉が、わずかに寄った。
「違う。部下として雇う。俺の直属の魔導解析官として雇いたい」
「私を?」
「相応の給与を支払う。住居と衣服は職務上必要なものとして用意する。辞める自由もある」
私は、俯き、しばらく黙り、声を絞り出した。
「断ったら、どうなりますか」
「安全な町まで送り届ける」
「捕らえないのですか」
「なぜ命の恩人を捕らえる必要がある」
平然と言ってのける彼に、私の心がわずかに動いた。
なぜこの男が、自分の一族の名を知っているのか。
なぜ、恐れなかったのか。
滅びたはずの一族の名を、赤髪の魔導士だけが正しく呼んだ。




