③
翌日、昼食を済ませて一息ついていると、机の上に置きっぱなしにしておいた携帯電話が震えだした。発信元も確認せずに電話をとると、山藤です、と、悠一さんの聞きなれた声が飛び込んできた。
「なにかあったんですか――?」
昨日の今日でまたなにかあるわけでもあるまい、とは思いつつ身構えていると、
「ええ。実は、この前の事件現場から回収したチョコレートに、犯人の手がかりにつながりそうなものが出てきましてね。その鑑定結果が出てきたのと、またちょっと皆さんにお伝えしないといけないことがあるので……」
「わかりました、お伺いします。何時に着けばいいんですか?」
あまりよくはないのだろうが、悠一さんとの付き合いで、これからどうなるのかということは肌で分かっていた。この具合だと、すでに弘之や益美にも連絡が回っているのだろう。
「話が早くてありがたいです。他の皆さんにも連絡をしてありますから、午後三時までに、銀座四丁目の探偵社前へお願いします。休日なんで、別室しか使えなくって……」
別室、ということは、見慣れた銀座の探偵社ビルとは別の建物へ集まることになるらしい。どことなくその怪しげな響きに胸が高鳴るのを覚えると、僕は急いで身支度を済ませ、家を飛び出した。
平日より甲高い喧騒の中にそびえる銀座四丁目の顔、服部時計店の大時計が三時を告げる鐘を鳴らす。先にやってきていた弘之や益美、そして、千尋さんとともに現れた沼井さんと一緒になって、ビル街を抜ける春風を体に受けながら悠一さんたちの登場を待っていると、
「やあ、皆の衆」
「――先生!」
昨日までと打って変わって、灰色の中折れ帽にピース紺の羽織をまとったU先生が、籐のステッキを片手に探偵社ビルの陰からひょっこりと現れた。
「山藤探偵はご一緒じゃないんですか」
オレンジ色の春物のワンピースを着た千尋さんが、裾をはためかせながら近寄り、先生へ尋ねる。
「んにゃ、別室の方にいるよ。準備に手間取ってるから、オレが君らを迎えに来るように頼まれたわけ」
「先生ェ、別室ってどんなとこなんスか」
弘之の問いに、まあ、来ればわかるよ少年、と、U先生は相変わらず人を食ったような調子で対応する。なにはともあれ、ひとまず役者もそろったということで、僕たちは先生の後について、探偵社ビルの裏にある細い路地へと潜り込んだ。
「銀座二十四帖たあ言ったもんだが、まさかこんなところに、天下のさつき探偵社の秘密基地があるとは思いもよらなんだねえ。――おーい、連れてきたぞ」
U先生は探偵社の裏口とさして距離のない位置にある、地下へと続く階段の奥に控えている、開けっ放しになったドアへ向かって叫んだ。別室という言葉から、ビルからかなり離れた位置にあるものかと思っていたのだが……。
「ちょいちょい、あんまり大声出さないでくださいよォ」
休日ということもあってか、いつもの詰襟姿とはがらりとイメージの替わる、ラフないでたちの猫目さんが、サイフォンのフラスコを握ったまま、小さな窓から上半身をのぞかせている。
「――やあ、みなさん。おいしいとこを淹れたばっかりだから、どうぞ中へ入っちゃってください」
言われるがまま、列になって別室の中へ入ると、十畳ほどの、リノリウムを張った足元へと降り立った。かなり殺風景な部屋で、真っ白いクロスをかけたテーブルと、パイプ椅子が十人分、セルフサービスと言わんばかりに壁に立てかけてあるほかには調度品のようなものはなにもない。簡単な煮炊きのできる程度のコンロと流し、あとは衝立で入り口を覆っているトイレがあるきりの、ただただ実用性だけを求めた部屋であった。
「――やあ、皆さんおそろいのようですね」
めいめいが座る位置を決めて、猫目さんの淹れたコーヒーを飲んでいるところへ、小ぶりのジュラルミンケースを下げた悠一さんが姿を現した。
「U先生、使い走りをさせてしまって申し訳ありません。ついさっき、仁科君に頼んで予備の機械を届けてもらったばかりなので……」
「いやいや、気にすることはないさ。あ、部屋の明かりはどうしよう」
立ち上がって電気のスイッチを探すU先生に、ここにありますよ、と、猫目さんがポケットから白いリモコンを出して見せる。よく見れば、天井についているのは円盤のような形のLED照明だった。
「ここ数日の間にまたいろいろと動きがあったので、そのご説明と情報共有をしようと思いましてね。あ、猫目、延長コード出してくれる?」
壁にもたれてコーヒーをすすっていた猫目さんがしゃがみこんで真っ白い延長コードを差し出すと、テーブルの上で年代物のスライドプロジェクターを組み立てていた悠一さんは、ランプルームから伸びたコンセントをそこへはめて、スイッチをひねった。そして、何もない白壁に、ピントのずれた人物写真が出ると、猫目さんが機転を利かせて、部屋の明かりを落とした。
「おそらく、鈴置さんと沼井さんが一番よくご存知の方かと思いますが……」
焦点調節用のノブを回していた悠一さんがようやくピントを合わせると、二人は小さく、あっ、と叫んだ。壁に映し出されていたのは、やや痩せて面長の、四角いフレームの眼鏡をかけた真面目そうな顔立ちの男性の顔だった。年の具合はざっと四十代後半、といったところだろうか。
「――大沢和正、本年もって四十七歳。翡翠ヶ丘高校の音楽教師で、吹奏楽部顧問でもある。そこにいる二人にとってみりゃあ、不俱戴天の敵ってとこだわな」
窓を少し開けて、スタンド灰皿を寄せながらピースをふかしていたU先生がぼそりと呟く。いつだったか、千尋さんを追い出すに至った部活の空気の出所を考えたことがあったが、こんな陰気な調子で迫ってくる顧問がいれば、まあ無理もない話だ。
「それより探偵長、こいつを見せるより先に、例のブツの写真を出してやって方がいいんじゃないか」
鼻からゆっくりと煙を吐くU先生に、悠一さんは大沢顧問のスライドを取り外してから、
「実は、あの日瀬尾さんがお食べになったチョコレートから、こんなものが発見されたんです」
と、甲高い音とともに壁に映されたのは、ミリ単位で刻まれたスケールと一緒に撮影された、黒っぽいけば立ったなにか、だった。
「探偵長ォ、なんスかこれ?」
「――チョコレートの受け皿の下から出てきた、羽毛のかけらの接写です。鑑定の結果、どうやらキジの羽根で間違いないということになったんですが……繊維の間から、あるものの成分が発見されましてね」
スライドを引き抜くと、悠一さんは猫目さんに明かりをつけるように命じ、ランプルームのスイッチを落とした。
「――出てきたのは、アシの繊維片だったんです」
「アシって……あの水辺に生えているやつですか?」
僕の問いかけに、悠一さんはそのアシです、と答えて、
「――用途は様々ですが、今回の事件の関係筋に限って言うと……木管楽器のリードなんかによく使われている、かなりポピュラーな存在です」
楽器という言葉に、吹奏楽部の関係者である千尋さんと沼井さんへ視線が集中する。
「みなさん、早まらないでください。――クラリネットやサックスには、清掃に羽根を用いるような個所がありません。おそらく、同じアシを使うオーボエではないかと考えているのですが、まだ詳しいところは把握できていません」
スライドの後片付けを済ませると、悠一さんは手近にあったパイプ椅子を出して腰を下ろし、
「楽器をたしなむ相手が黒幕、ないしその関係者にいる。第一に、身内へ手を下すとは考えにくので、テイルズのメンバーは除外される。……そう考えるとやはり、鈴置さんの通う、翡翠ヶ丘高校の吹奏楽部がなにかしらの線でかかわっているらしい、としか考えようがないのです」
「それで、昨日はどうだったんだい。翡翠ヶ丘のニュータウンまでクラウンを飛ばしていったあとを、オレぁ知らないんだがね」
新しい煙草へ火を点けたU先生の問いに、悠一さんと猫目さんは顔を見合わせてから、実は……と、重苦しいため息とともに話を始めた。二人の話を総合すると、次のような具合になる。
僕たちの元へU先生が来る一時間ほど前、三鷹の手前にある翡翠ヶ丘で高速を降り、真新しい普請が軒を連ねる間を通って、小高い丘の上にある翡翠ヶ丘の学校地区へと到着した悠一さんは、待ち構えているであろう様々な障害をどう克服するか、知恵を巡らせていた。
「――探偵長、奴さん、どういう反応をしますかね」
「……わからんなあ。少なくとも、新聞沙汰になっていない事件だから、あまりいい顔はしないだろうね。それより、本庁からもらったアレ、持ってきたかい」
「もちろん。これでしょ?」
猫目さんが詰襟のホックを外し、内ポケットから和紙でくるんだ、達筆の躍る「調査協力依頼状」を見せると、ハンドルを握っていた悠一さんはそれを横目でちらりと覗いてから、
「オーケー、これなら大丈夫だ。いちおう公文書ではあるから、あちらさんも訝しがりはしないだろうさ。――さて、そろそろ本丸だぞ」
気づけば、周囲の舗道を歩く人の服装が私服から制服へと変わってゆく。幼稚園から高校まで、ゆくゆくは都立の某総合大学を招へいする予定である翡翠ヶ丘市の教育政策の充実ぶりが、往来を行く学生たちの姿で伺える。
丸ビルをせこくしたような見た目の翡翠ヶ丘高校へ入ると、悠一さんは通用口で身分証を見せてから、用務員に案内されて応接室へと通された。十分ほど、出されたお茶をすすって待っていると、おとなしい顔をした教頭と、練習中のところへ水を差されたと思っているのか、不機嫌そうな面立ちの大沢顧問が姿を現した。
「――私にご用とのことですが」
向かいへ座るなり、大沢顧問は挨拶一つせず、悠一さんと猫目さんへにらみを利かせる。
「吹奏楽部顧問の大沢先生ですね。わたくし、さつき探偵社の山藤というものです。――実は、あまり大きな声では言えないのですが、先だって起きました殺人未遂事件に、そちらの生徒さんがかかわっている可能性が浮上してまいりまして……」
殺人未遂、生徒がかかわっている、という不穏な単語に、大沢顧問はこめかみのあたりにうっすらと青筋を立てたが、詳しく、とだけ言ってからは、悠一さんの説明をおとなしく聞いていた。そして、一通り悠一さんが話を済ませると、腕を組んでいた大沢顧問はそっと手を伸ばし、出された渋茶をすすって、
「……要するに、うちの部にいた鈴置あてに毒物入りのチョコレートが届いたから、検出された内容物をたよりに、該当する周辺の人々を調査対象にしていると、こういうわけですね」
「その通りです。つきましては、まず木管楽器の、オーボエのパートの方々にお話を聞いて、差し支えなければお使いの楽器のリードを資料としてご提供願えないかと思いまして――」
事件は早期に片付く。誰だって、大沢顧問の態度を見ればそう思うだろう。だが、現実はそう甘くはなかった。
「――申し訳ありませんが、この話は聞かなかったことにさせていただきましょう」
「――な、なんですって?」
手から湯呑を落としそうになった猫目さんが、慌てて片方の手で押さえると、脇でじっと大沢顧問の様子をうかがっていた悠一さんがぼそりと、
「大変失礼ではありますが、なにか、ご都合が悪いことでもおありなのですか」
「いちいち答えているほど、私も暇ではないんでね」
ソファから離れると、大沢顧問は窓際へ寄って、ちょうど練習に励んでいるサッカー部の部員たちをブラインド越しにじっと見つめた。その後ろ姿を、相手の動きを伺いながら眺めていた悠一さんは、ははあ、と、ある事象を思い浮かべた。
「そういえば、文化部も運動部も、全国大会の予選シーズンですね」
悠一さんの言葉に、大沢顧問はブラインドを全開にしてから、物分かりがよくってありがたいですね、と返す。
「それに、ゴールデンウィークが明ければ中間試験も待っています。ただでさえそれで慌ただしいのですから、生徒たちをそんなお道楽に付き合わせている暇はないのです」
「お、お道楽だぁ!?」
立ち上がった猫目さんの腕を悠一さんが押さえつけると、大沢顧問は眉へ力を込めて、
「だいたい、聞いていればなんですか。まるでハナからうちの生徒が悪党のような言いぐさで、そのくせ確たる証拠はないではありませんか。これを名誉棄損と言わずしてなんと言うのです」
「ですからねえ、おたくのかわいい生徒さん方がクロかシロかはっきりさせるために……」
「だまらっしゃい!」
ひるまず反論する猫目さんに、大沢顧問は声を荒らげる。
「うちの生徒をそこいらの低級な学校の生徒と一緒にしてもらっては困ります。あなたにとっては我が部だけの問題でも、そういった疑惑の目が向けられているということが保護者の側にまで登ってゆくと、これは教育都市を目指している翡翠ヶ丘市全体の問題になってしまうんです。財界、政界の大物が保護者や親戚筋にいるのですから……」
「なるほど、あくまでも生徒の身を案じて、協力できない、ということなわけですね」
荒ぶる猫目さんをなだめながら悠一さんが聞くと、大沢顧問は幾分か落ち着きを取り戻してから、
「そういうことです。申し訳ありませんが、わが校としては協力できません。お引き取りください」
「……わかりました。では、今日のところはこれで失礼いたします。またそのうちに、どこかで会いまみえることもございましょう。その日を楽しみにしております」
やや慇懃ともとれる態度で、大沢顧問と、どう動いてよいかすっかりわからなくなっている教頭を背に、悠一さんと猫目さんは翡翠ヶ丘を後にしたのだった。
「――と、こういう有様で、吹奏楽部へは渡りをつけることは出来なかったってわけさ」
長い話を終えると、猫目さんは手近にあった魔法瓶を引き寄せて、冷えた麦茶を空になったコーヒーカップの中へ注ぎ入れ、のどを潤した。
「鈴置さんのこととなるとトサカに来るのか、なんかヤバいモンを隠してるのか、そこまではわかんなかったけど、ちいとばかし気にはなったなあ、というのがオレの印象だね」
「まったくだ。筋は通っているけれど、どうにも僕には、無理やりくくりつけたように思えてならないんです。どう思われますか、お二人共――」
悠一さんの問いかけに、二人は困って返事に詰まっていたが、やがて、沼井さんの方から徐に声が上がった。
「……私からすると、いつも通りとしか言いようがなくって、おかしなところは特に思い当たりません」
「私もそう思います。いきなり雷を落とすことはないけれど、とにかく、ねちっこい言い方をするのがあの人の特徴というか……」
「特徴というよりかは欠点、みたいなもんだろうねえ。多いんだよなあ、音大出でしかたなく学校の教師やってるのにはそういうやつがさ。おおかた、音楽家の夢破れて、ってタイプだろう。そうでなきゃあ、翡翠ヶ丘みたいな新興都市の学校で教師なんざしてないよ」
相変わらず、煙にまみれながらU先生が皮肉っぽく語ってみせる――あとでわかったのだが、親類縁者に教師が多かったことも手伝って、U先生は教師と日教組を毛嫌いしているのだった。
「とにかく、大沢先生という防波堤のせいで、部活そのものにはタッチ出来ずにいるのです。昨日、U先生から沼井さんのお話を伺った時に、もしかしたら情報を手に入れられるかもしれない、とも思ったのですが、一度本丸に刺激を与えてしまっていますから……」
腕を組んだまま、苦々しい表情を浮かべている悠一さんを、益美をはさんだはす向かいで千尋さんと沼井さんは困ったように見つめていたが、ふと、千尋さんのほうが何かを思い出したのか、沼井さんの肩を軽く叩いてから、小声で耳打ちをし出した。沼井さんはといえば、しばらく考え込んでから目を見開いて、今度は逆に千尋さんへそっと耳打ちをした。そして、
「もしかしたら思い過ごしなのかもしれないんですが、例のキジ羽根に、心当たりがあるんです」
「な、なんですって。それ、本当ですか」
確証を得たらしい千尋さんに、悠一さんは藁にもすがるような塩梅で質問を投げる。
「ええ、間違いありません。――キジ羽根を使っている人、心当たりがあるんです」
「それは同じ部のコかい」
スタンド灰皿へ吸殻を押し付けていたU先生も身を乗り出して尋ねる。
「――オーボエの子でが、いつだったか黒っぽい羽根でリードを掃除しているのを見た覚えがあるんです」
「その人の名前は……?」
部屋の中の面々の視線が、一気に千尋さんへと集中する。
「田谷京香。オーボエのパート長で、次期部長候補と言われている人です」
捜査線上に現れた新しい名前に、悠一さんと猫目さん、そして、探偵社の草の者として動き回っているU先生がぴくりと眉を動かす。
「なるほど……」
真新しい煙草を出そうとして、箱の中身がカラになっていたことに気づくと、U先生は不機嫌そうに舌打ちしてから、
「物的証拠はあるわけだ。が、動機が見当たらないといけないね……そこンとこはどうかな、ご両人」
「どうでしょう……。支配欲が強くて、人当たりがあまりよくないというのは部全体の共通認識だと思うんですが、私個人に対してまではどうかと言われると、自信がありません」
「――探偵長、こりゃ裏返すとそこさえ突き止められれば、あとは現場を押さえちまえばゲロっちゃう、とまあこんな感じかねえ」
千尋さんの前を軽く横切り、屑籠へ空き箱を放り投げたU先生に、悠一さんは戸惑いながら、
「極論はそうですけど……。先生、あまり手荒な真似はなさらないでください」
「わかってるよ。みすみす、作家商売を捨てるほどバカじゃないさ。――ときに探偵長、オレたち遊撃隊の行動範囲は今のままでいいのかい。いっそ、翡翠ヶ丘まで乗り込んで、生徒の方も追っかけようか」
「い、いえ、結構です……」
下手をすると実力行使に出かねないU先生を必死になだめると、悠一さんは先生に、今まで通りでお願いします、と、ひどく念を押して言う。どうやら、僕の知らないところで何かがあったらしい。
「生徒の方の調査は、東京中の支部、支局を総動員して行う予定です。少し前から、翡翠ヶ丘に新しく支局を作る計画があるので、情報収集もかねて、と思いましてね」
「じゃ、オレたちはいつも通り、鈴置さんとフツーに過ごしてりゃあいいわけですか?」
弘之が調子っぱずれに聞くと、悠一さんは嫌な顔一つせずに、ぜひともお願いします、と丁寧に頭を下げてきた。
「これはむしろ、健壱さんや曾野辺さん、それこそ、従姉妹である白石さんでなければできないことです。もちろん沼井さんも、身近にいるよき同好の士として、鈴置さんのことをよろしくお願いします」
「は、はい……!」
唐突に自分の名前が出たことに驚いたのか、沼井さんはあたりを困ったように見回してから、照れくさそうに千尋さんへ顔を向ける。至極のどかな雰囲気が、部屋の中を覆っている。
だが、その輪の中にいるように見える悠一さんと猫目さんが、事の行く末が決して楽観的なものではないということを、双眸で雄弁に物語っているのを僕は見逃さなかった。
いったい、どれだけのことが出来るのだろうか。それはわからないにしても、おそらく、この事件の見たくない部分までを僕は彼らとともに共有してしまうのだろう――という、ぼんやりとした不安が、足元からゆっくりと上ってくるのだった。