25・書
ゴシカがやってくれた。
魔王の鎧うフォトンを斬り裂いた。
だったら次は自分の番だった。
明は走り出す。
やることは一つ、【封印】のフォトンを魔王に書き込むこと。
魔王も複数の竜の首をめちゃくちゃに振り回し、接近を阻もうとする。
相手にサイレンスサークルがある以上、物理攻撃に頼るのは理に適っているが、その竜の首もゴシカに切り飛ばされるだけだ。
――行ける!
魔王まで接近した明は、そう確信した。
しかし――
『GAAAAAAAAAAAA!!』
瞬間、魔王の体が、爆発した。
その砦ほどもある巨大な甲殻の肉体が、爆散したのだ。
「!?」
「!!」
至近距離にいた明やゴシカはまともに声を上げる暇すらなく、その爆発の炎と衝撃に飲み込まれる。
甲殻はまるで隕石のように弾丸となって周囲の市街を吹き飛ばした。
やや離れた位置にいたステンシルすら、余波だけで吹き飛ばされ、彼女をかばおうとしたフォマルごと近くの建物の壁に叩きつけられた。あまりの衝撃で石壁が抜け、室内に飛び込んでしまい、玉ねぎの詰まった籠に激突してやっと止まる。
明がその装備に、防御フォトンを書きこんでいなければ二人とも死んでいただろう。だがそれでも二人の意識を刈り取るには十分な衝撃だった。
一方、ゴシカは空高く打ち上げられ、近くの建物の屋上に落下し、バウンドして軒に落ち、それでも勢いが落ちず落下。積まれていた干し草の塊に落下するも、体に受けた熱でその干し草が燃え上がる。
彼女もまた、防御力を強化するフォトンや、耐火のフォトンがなければ即死だったはずだ。それがあってすら、甚大なダメージを受けてしまっている。爆風で体の正面側のフォトンがいくつか消えてしまったのがダメージを大きくしていた。
燃える干し草からはいずり出すゴシカ。
「ア、アキラどの……」
その明は、ゴシカより前に倒れていた。
彼の方は爆風より、甲殻が斜め上から直撃して地面に叩きつけられていたのだ。その際に、何度か地面を跳ねたことで書き込んでいたフォトンがかすれ消え、甚大なダメージを負ってしまっていた。
「かっ……ふっ……」
口の中に鉄の味が広がり、どろりとした血の塊を吐き出した。内臓にどれだけダメージがあるのかわからない。少なくとも肋骨のいくつかを骨折しているだろう。呼吸するだけで肺どころか全身に痛みが走る。
幸運で得ただけのフォトン使いの力を過信していなかったか。
まさしく油断だった。
まさか自爆するとは、夢にも思っていなかった。
守ると言ったゴシカも、傷つき、倒れている。
「くっそ……っ!」
腹立たしかった。
自分に腹が立った。
こんなことは生まれて初めてだった。
――ああ。これか。
明は自分の「闘志」というものに、初めて出会った。
だから、立てた。
闘志が杖になって、体を起こしてくれる。
痛い。でもそれがなんだ。
ゴシカとの約束を守れなかったんだ。
「あああああああああああああああああああっ!」
感情を込めて吼えたのも、生まれて初めてかもしれない。
そして「敵」をにらみつけたことも。
爆風によって巻き起こっている煙は、完全に視界を閉ざしているわけではなく、薄いカーテンのように滞留している。
その帳の向こうに、まだ影が見える。
そう、魔王は死んでいない。
『GRUU……』
煙の向こうから、それは歩いてきた。
地面を十二単の裾のように這うほど大量の真っ赤な髪を、衣服代わりに一糸まとわぬ肉体を覆う。
全裸をさらしていることで、猥褻さよりもむしろ、宗教画のごとき神々しさすら感じさせる美貌。
青い肌に白目のない漆黒の目でなければ、それを女神だと思ったかもしれない。
これが魔王の本体なのだろう。
魔唱族の特徴は事前に聞いていた。青い肌に黒一色の目なのも、聞いていた通りだ。
だのになぜ、あれが本体だと思い込んでしまったのか。
魔法で作った体だったのだ。
まんまと引っかかってゴシカたちに大けがさせてしまった。
「うああああああああああああああっ!!」
もうひと吼え。
あばらから痛みが全身に広がるが、構わない。アドレナリンで抑えられないほどの痛みだが、知ったことか。
せめて魔王だけは封印してみせる。
一歩を踏み出す。
するとそれに呼応したかのように、魔王が歩き出した。
『勇者め……!』
魔王が、はっきり言葉をしゃべった。
人語を解しているのではなく、明のカラーに隠した【翻訳】フォトンの力だろう。
「俺は勇者じゃない」
『なに?』
言葉を返されたことで魔王がかすかに驚く。
『ならば何だ』
「書道部だ」
『ふざけるな!』
「ふざけてなどいない!!」
明は、痛みを訴える体を無視して両手で空に漢字を描く。
『……!』
魔王は咄嗟に防御の構えを取った。
しかし、いつまで経っても攻撃など訪れない。
明が空中に書いたのは【花】、【鳥】、【風】、【月】。
すなわち【花鳥風月】。
【花】はそれ自体が大輪の花であるかのようなあでやかさ。
【鳥】は今にも飛び立たんばかりの躍動感。
【風】は柔らかく流れるような書体で心の中まで爽やかな風を想起させる。
【月】は星特有の丸みを帯び、さながら虚空に漂う残月のごとく。
書道歴が長いわけではない明だが、表現したいものを全身の力を込めて書き出した。
それが、会心の書として浮かび上がる。
『美しい……』
魔王は、思わずつぶやいていた。
それだけではなく、涙までその頬を一筋流れていた。
瞬間、辺りに花の心地よい香りが漂い、鳥の優しい囀りが響き、涼やかな風が吹き、真昼の月の柔らかな光が降り下りた。
「お、おお……」
倒れ伏すゴシカもまた、感動の声を漏らす。
まさに、美しい。
何一つ直接的に見えるものはなく、それを思わせる文字が浮いているだけだというのに、それは間違いなく「美」であった。
『な、なんのつもりだ……! なんだこれは!』
「あんたは俺の書を美しいと言った。心が動いたんだ。俺はそれがうれしい」
『それがどうした!』
「もし今、あんたが破壊を止めるなら、俺はもう何もしない」
『ふざけるな!! この私を数百年の長きに渡り封じ続けてきた貴様らに、慈悲を乞えというのか! ふざけるな! ふざけるなァ!! 焼き尽くしてやる! 消し炭にしてやる! 地図から消してやる! 天と地の狭間を貴様らの血で満たしつくしてやる!』
「残念だ……本当に……」
明は心からそう思った。
一方、魔王はけたたましく絶叫し、そして魔唱を開始した。
『LAAAAAAAAAAAA!!』
その声に合わせ、真っ赤な髪が空を覆うほどに吹き上がり、多頭の竜のように広がった。神話のヒュドラを思わせるそれが、蛇のように鋭い牙の並ぶ口を開けて明に迫る。
「アキラどのぉっ!!」
ゴシカの絶叫が響く。
だが、明は動じない。
それは余裕からではなかった。
もう体がまともに動かない。どうせ元から避けられない。
なら、攻撃を食らいながらでも進んで、ただひと筆、魔王にフォトンを書きこめばいいだけだ。幸いにも墨汁は、真っ赤な自前の物が流れ出していて、すぐに使える。
腹をくくって明が進んだ、その瞬間――
「まーだ、その年で腹くくるんは、早ぇわなあ!」




