Ⅶ
廃墟と瓦礫の山々が開け、壊れた噴水らしきものが中央に建つ、円状に広がる石畳の広場のようなところに蓮とティルは出た。
そこで見た光景は、先ほどとは比べ物にもならないたくさんの妖魔たちに襲われ応戦しているマエスタとアレンの姿だった。
「師匠!アレン!!」
ティルは雷術を放ちながら二人の元へと、蓮もその後を追いながら駆け寄る。
「ティル!おお、レンも一緒か。すまないのレン、折角来たのに案内出来なくて」
「冗談言ってる場合かジジイ!」
かまいたちのような鋭い風で妖魔をぶっ飛ばしているマエスタが朗らかに笑っているのを見て、妖魔を片っ端から斬り倒しているアレンが怒鳴った。
「くそっ!きりがねぇ!一体何なんだよこれは!!」
「おかしいのう…冬の前はなんともなかったというのに…」
思案しつつもマエスタは手を休めない。
「もしかしたら…レンが呼ばれたのも偶然ではないのかもしれない」
「えっ?」
「わしらの知らないところで世界の均衡が揺らいでいるのかもしれんの」
「世界の均衡を危ぶまえに、これまずどうにかしなきゃいけねーだろ!」
「師匠、突破口を作って逃げるのは…」
「いや、この数では突破口作ったところですぐに捕まるのが落ちじゃ」
「だったらどうしたら良いんだよ?!」
ジリジリと背後の噴水へと追いやられていく。
更に増幅していく妖魔。四人の脳裏に絶望という文字がちらつき始めたその時、一陣の風が吹きわたった。
“…姫…私の名を呼んで…”
頭の中に響く、優しくて暖かいあの夢の中の声。
(誰?あなたは誰なの?)
“貴女が呼んでくれれば…私は再びこの地に降り立つことができる…”
(呼ぶ…?あなたの名前は…?)
“私たちの姫…私の名は…”
その時、隙をつかれアレンが剣を弾かれて、鋭く光る爪が降り下ろされるのが目には入った。
ティルとマエスタがアレンの名を叫び、彼が死を覚悟した瞬間。
「…ユピテル…」
蓮が小さく歌うように紡いだその名前。
途端全ての妖魔が断末魔の悲鳴を上げ、苦しみもがきだし、そして蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
何事かと状況が読めずに目を見張る四人。
「な、なにが起こったんだ…?」
地べたに座り込むアレンが呆けたように呟いた。
するとまるで台風のような凄まじい風が吹き荒れた。身構えるも、不思議なことに四人には全く影響がなく、髪の毛一本なびかない。呆気にとられているあいだに、周りの景色が見えなくなった。
そして、台風が弾け消え現れたのは、あの夢の中と同じ美しい森だった。
“…ありがとう姫…私は緑風の聖霊神ユピテル…姫のおかげで眠りの守護からとかれた…”
「聖霊神って…えっ?!マエスタさんがいってたあの…!!」
「そうじゃ…この地をお守りくださっている神じゃ…生きている間にこのお声を聞けるとは…なんて素晴らしい…!」
マエスタは感極まり涙目になっている。ティルも少なからず感動しているようで、アレンはただただ驚きっぱなしだった。
春の日差しのように穏やかで優しい声が聞こえるものの姿は見えない。この森自体が聖霊神のようだ。
“姫…貴女を喚んだのは今、再びこの世界に危機がおとずれているから…闇が光を侵食し、何者かが均衡を崩そうとしている”
「なるほどのう…妖魔が異様に出没しているのはそのせいか」
マエスタが難しい顔で納得したように頷いた。
“この世界を救うために私たちの姫…貴女の声で私たち聖霊神を守護の眠りから目覚めさせて…さすれば、私たちは再びこの世界に均衡をもたらすことができる”
蓮は何も答えなかった。否、答えられなかった。世界を救ってなど、あまりに凄いことを言われて、頭が追い付いていなかった。
「そ、んな…私が世界を救うなんて…」
さっきはそんなバカなと笑ってすましていたが、実は本当らしかった。全く笑えない。
“いいえ、貴女にしか救えない…眠りについている聖霊神は姫の声しか届かないから”
「…どうして私が聖霊姫なんですか?そんな特別な力とかもないし…もしかしたら私じゃないかもしれない…」
すると蓮の頭を優しく撫でるかのように、ふわりと小さい風が髪を揺らした。
“私たちは別の世界ながら、貴女が生をうけた時からずっと見守っていた…特に私は守護には付きながらも眠ってはいなかったから、ずっと貴女のことを…貴女が聖霊姫であるのはこの世の偶然であり必然…見間違うはずかない…そんな私たちの姫を危険に晒すようなことはしたくなかった…でもこの世界もとても大切…だから貴女に…レンにこの世界を救ってほしい”
大きくて穏やかで優しいものに包まれているような、安心した気持ちになれる。神様の切実な願い。聞きたいこと、不思議なこと、たくさんあったが。
「…私がこの世界を救えるかなんて分かりません…でも私にしか出来ないことがあるのなら…」
この世界に来て一週間ほど。とても綺麗で、優しくて、今さら見捨てるなんて出来そうになかった。ぐっと拳を握りしめ、前を向いた。
「私、やります」
“…ありがとう私たちの姫…”
ふわりと神様が笑ったような気がした。そして再び竜巻のような激しい風が巻き起こり、森が見えなくなったと途端に消え去って、何事も無かったような廃墟と瓦礫の山々の風景に戻った。
蓮は気が抜けてぺたんと石畳に座り込んだ。
「…大丈夫か?」
蓮が見上げると、少々心配そうなティルが手を差しのべていた。
「はい…」
手を伸ばして、彼の大きくて温かい手のひらに包まれて立ち上がった。
「…本当にいいのか?」
「えっ?」
「この世界を救うなど、レンには関係のないことだ。もしかしたら無事ではいられないかもしれない」
ティルの言う通りだ。それでも、蓮は決めたのだ。
「いいえ、私は関係無くてもティルさんたちには関係のあることです。それに私、この綺麗な世界をもっと見てみたいんです。だから、できる限りのことを、私はやります」
迷いはなかった。
「それならティル、お前もレンと共に行くのじゃ」
マエスタの言葉に、ティルははっと顔を上げた。
「お前はもう見習いというレベルではない。十分レンの助けになるだろう。後、良かったらこの馬鹿孫も連れていってくれ」
「うるせージジイ。言われなくたってオレは最初っからそのつもりだ」
アレンも蓮の隣に立った。
「レン、お前はオレが護ってやる。これでも元騎士だしな」
にかっと快活なアレンの笑顔を見て、蓮は心の奥が温かくなった。
「…ですが、師匠一人ではまた妖魔が現れたりでもしたら…」
「もうこの一帯は聖霊神がお目覚めになられたから大丈夫じゃろう。心配するな。それにお前はレンと共に行きたいのじゃろう?」
ティルは図星を突かれたように一瞬言葉を詰まらせ、そして、大きく頷いた。
「ここから出たことのないお前にも良い経験となるじゃろう」
そして、マエスタは恭しく蓮に頭を垂れた。
「レン、いや双黒の聖霊姫。どうかこの世界を救ってくだされ」
こうして後に英雄と讃え歌われる少女の、世界に光と闇の均衡をもたらすための旅路が、開幕のベルを響かせ始まったのであった。