黒い部屋
第一話を読んでいただき、ありがとうございます。
本作はTRPGセッションを元にしておりますが、物語として楽しめるよう再構成しています。
この先、選択や出来事がどのように繋がっていくのか、見届けていただければ幸いです。
最初に戻ってきたのは、音ではなかった 。
冷たさだった。
まるで、水の底に沈んでいたみたいに。
湿気を含んだ空気が、皮膚にじわりと張り付いてくる。
その感触が、沈んでいた意識をゆっくりと引き上げた。
――息は、できる。
喉に違和感はない。肺も動く。
その確認が終わってから、破炭大牙はゆっくりと目を開けた。
暗い、だが完全な闇ではない。
どこからともなく滲み出るような、青白い光が空間の輪郭だけをぼんやりと浮かび上がらせている。
(……ここは)
思考が動き出す。
同時に、違和感が浮かぶ。
(どこだ?)
次の問いが続く。
(……俺は、何をしていた?)
そこで、思考が止まった。
記憶がない。
直前の行動が思い出せない。
ここに来る理由も経緯も、すべてが途切れている。
まるで、そこだけ切り取られたように。
胸の奥に、じわりと重たいものが広がる。
(……落ち着け)
無意識に拳を握る。
手のひらに感じる硬さと、自分の体温。
それだけが、現実との接点だった。
(順番に確認する)
癖のように思考を整える。
自分の状態。
周囲の環境。
状況の推測。
それを一つずつ潰していく。
ゆっくりと立ち上がる。
床は硬い。だがわずかに湿っている。
靴底が張り付くような、嫌な感触が残った。
(……長いこと使われてないな)
視線を落とす。
床には薄く苔が広がり、黒ずんだ染みのようなものが点在している。
壁も同じだった。
均一ではない表面。広がるカビ。
鼻に残る、湿気と腐敗の混ざった匂い。
(室内……で間違いない)
そう判断した、その時だった。
背後で、気配が動いた。
反射的に振り向く。
心臓が一拍だけ強く打つ。
そこにいたのは、人間だった。
「おお、あんちゃん、キョロキョロしてどうした?」
軽い声だった。
この空間には似つかわしくないほど、日常的な響き。
大牙は一瞬だけ言葉を失う。
(……この人も、ここにいたのか?)
年配の男。
恐らく50代半ばだろうか。
無精ひげ、ラフな服装、どこか漁師を思わせる雰囲気
その様子を見て、大牙はわずかに眉を寄せた。
この状況にしては、落ち着いている。
だがそれは違和感というよりも――
(先に目を覚ましていたのか?)
ほんの少しだけ、この場所に慣れているように見えた。
自分より一歩早く、この状況を受け入れてしまった人間のような空気。
「ここはどこだ」
自然と声が出た。
内側の警戒とは裏腹に、落ち着いた声音だった。
「おお、わしの名前か?魚名大漁じゃ」
返ってきたのは、問いに対する答えではなかった。
だが男は気にする様子もなく、言葉を続ける。
「あんたらもここがどこかわからんのか?」
“あんたら”。
その言葉に、大牙は視線を横に流した。
もう一人、いた。
「あ?」
低い声だった。
その一言だけで、空気がわずかに張り詰める。風見龍二
その男は、露骨に不機嫌そうな顔で周囲を見ていた。
鋭い視線。無駄のない立ち方。
そして何より、
(……警戒してる)
と、大牙は直感した。
ただ苛立っているだけではない。
状況を測り、周囲を見て、何かあれば即座に動く準備をしている目だ。
(クソが……なんやこれ)
風見龍二は、内心で舌打ちしていた。
記憶が抜けている。
知らない場所。
見知らぬ人間が二人。
(状況が揃いすぎてる)
偶然ではない。
そう判断するには、十分すぎた。
龍二の視線は、無意識に動いていた。
入口の有無。
遮蔽物。
相手との距離。
手に持てるもの。
(武器は……ないか)
即座に判断する。
そして次に、人間を見る。
年配の男――反応が軽い。
だが無防備すぎる。
(先に状況見て、安心しとるタイプか)
脅威度は低い。
次に、大牙。
(こっちは冷静やな)
状況を理解しようとしている。
思考が回っている人間だ。
(悪くない)
少なくとも、足を引っ張るタイプではない。
「ここが何処か、わかるわけないやろ」
吐き捨てる。
だが声は荒げない。
無駄に感情を出す場面ではないと理解しているからだ。
「名前、風見龍二。海上自衛隊や」
その言葉に続くように、大牙も口を開いた。
「破炭大牙です。整備士をやっています」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
内心の違和感とは裏腹に、言葉だけが整って出てくる。
必要な分だけ名乗る。
それ以上は出さない。
距離はまだ、詰めるべきではない。
三人の間に、短い沈黙が落ちた。
湿った空気が、じっとりとまとわりつく。
それは環境のせいだけではない。
状況そのものが、空気を重くしていた。
「取り敢えず、状況確認と持ち物の確認をしませんか?」
大牙が口を開く。
整理された提案だった。
その言葉に、龍二はわずかに視線を向ける。
(……ええ判断だ)
同意する価値がある。
「……せやな」
短く答える。
それで十分だった。
“動く”。
それが、この場での最初の選択になる。
そしてその時、誰もまだ理解していなかった。
この部屋が、ただの始まりでしかないことを。
そして、
ここでの選択一つ一つが、
すでに“何かの答え”へと繋がっていることを。
視線の先。
薄暗い空間の奥に、
三つの扉が、静かに並んでいた。
第1話を読んでいただき、ありがとうございます。
本作は、TRPGセッションを元にした物語です。
そのため、登場人物たちの選択や行動によって展開が形作られています。
この先、どのような結果に辿り着くのか、見届けていただければ幸いです。




