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最終決戦・大内裏大極殿 酒呑童子、人間(ひと)となる・・・の事

酒呑童子は自分が何を問われたのかよくわからない様子でいた。頼義は金平の不可解な問いをいぶかしむ事もなく、金平に向かって黙って頷いた。どうやら彼女も()()()に気づいたらしい。



「痛み?痛みか。そも、お前たちに逆に問うが『痛み』とは何ぞや?人間どもはたかが血を流し肉が裂けた程度でやたらこの世の終わりのような苦しみ方をしやるが、あれが『痛い』というものか?それは『美味』とか『うるさい』とかとは違うものなのか?」


「……!?」



恐ろしい事に、酒呑童子は嘲弄しているのではなく、本気でそう聞いている。まるで、自分は生まれついてこの方「痛み」というものを全く知らずに今まで生きて来たかのように。



「そういう事だ、そういう事なのだ小僧。その一点こそがまさに『オニ』と『ヒト』とを分ける最大の違いよ」



頼義……あるいは頼義の中にいる「八幡神」か……いずれにせよ、彼女はそう語る。



「『痛み』と『苦しみ』が同義とは限らぬ。とはいえ『苦しみ』にはほぼ間違いなく『痛み』が伴うものだ。それを知らぬ此奴(こやつ)は『苦しみ』を知らない、ある意味幸せな者であったのかもしれぬ。だがな、『痛み』も『苦しみ』も知らぬ者、『幸せ』と『快楽(けらく)』しか知らぬ者が果たしてまことに幸せと言えるであろうか?『幸せ』しか知らぬ者はどのようにして己が『幸せ』と知りえよう」


「……」


「なればこそこの者は……『鬼』は求めるのよ。己の持たぬ『痛み』を、己の知らぬ『幸せ』を欲して」



金平には頼義の説明も頭では理解できない。だが彼の肌感覚は直にその事の意味を理解していた。



「要するに……()()()()()って事かい、コイツらは」



頼義が静かに笑う。



「分かっているではないか。そういう事だ。『己に欠けているモノを執拗に求める』……それこそが『鬼』の原理であり、その全てよ。だからな、此奴らを恨んでも憎んでも、何の解決にもならぬ。いくら殺しても封じても、『欠けたモノ』が手に入れられない限り、此奴らは何度でも蘇る。どのような姿になってもな」


「だがそれじゃあ、コイツはいつまでたっても倒せねえ」


「そうだな。だから、まことこの者らを救済(ころ)したいのであれば……」



頼義が手にしていた童子切(どうじぎり)安綱(やすつな)を地面に突き立てる。そして見えぬ目のまま無防備に、一歩一歩酒呑童子に近づいて行く。金平の身にまた緊張が走る。



「大丈夫、先程のようにはなりません」



わずかに金平の方に振り返って頼義は言う。



「……お前は()()()()()?」


「ふふ、さあ、どうなのかしら……大丈夫、私を信じて」



静かに近づく頼義の姿を見て、酒呑童子は何故か動揺し始めた。



「やめよ、朕に近くでない下賤の土地神風情が……!朕に『それ』を……近づけるな!!」



鬼の王が後ずさる、何に酒呑童子は怯えているのか。先ほどまでの皇帝然とした威風は霧散し、雷鳴に震える小児のように頼義の近づく一歩ずつの足音に吃驚(びくり)と反応して、その度に後ろへ逃げる。



「やめよ……やだ……朕は、そのようなものなど求めては……」


「私が、怖い?酒呑童子」


「な……なんだと」


「そうね、あなたは弱い人。女を『モノ』として見ることでしか女と向き合えなかった、女に叱られることにも、蔑まれることにも、愛されることにも耐えられず、支配することでしか女と接することができない哀れな男」


「なにを……知ったような……」


「あなたは弱くて、そんな自分の弱さに耐えられなかった。だから鬼になったのでしょう。そうでなければ、自分の弱さに押しつぶされてしまうから、弱い自分から逃げて鬼になった」


「やめよ……わかったような、口を……きくな!!」


「私ね、本当の名前を『すゞ子』というの。女の子らしい、可愛い名前。私は自分の名前が嫌いだった。私は父や叔父のような立派な武将になりたかった。日に日に母にそっくりな『女』の体になっていく自分が嫌いだった。でもね」


「来るな、来るなあああ!!」



そして


神が、鬼を


捕まえた。



「私はもう、『女』である自分から……逃げない」


「……!!」



その先に何が起こるのか、金平には想像もつかない。酒呑童子は暴れる事も抵抗もできずに、赤子のように身を固くして打ち震えている。その身体を


頼義が抱きしめた。



「大丈夫、せめて最後は『人間(ヒト)』として貴方(あなた)を送ってあげる」



頼義が酒呑童子の額に唇を当てる。酒呑童子は急に呆けたような表情になってその場に膝をつく。やがて……



「ぎゃあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」



突然に酒呑童子がのたうちまわり始めた。



「ああっ、あ、熱い……?苦しい……!?なんだ、なんだこれはああああ!!」



鬼の王が泣き叫びながら地面を転げ惑う。頭をかきむしり、海老のように背をそらし、身体中の穴から体液を放出させる。



「酒呑童子、辛帝(しんてい)紂王(ちゅうおう)よ。分かりますか、それが……『痛み』です」



頼義が哀しげにそう語る。その言葉を聞いて酒呑童子は涙を流しながら血走った目を極限にまで見開いた。



「『痛み』……これが、『痛み』!!これが……そんなあ……痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!!!!!!」



酒呑童子は一時(いちどき)も休む事なく暴れ続ける。初めて味わう感覚に、完全に自我を崩壊させていた。



「これは……」



すでに一歩も動けなくなっていた金平が薄れ行く意識の中で酒呑童子の断末魔の叫びを聞いていた。金平を労わるようにその肩に頼義が上着を被せる。



「あの方がかつて私にしたのと同じ……『道』を開いただけです。誰もが持っているべき、『痛み』と言う感覚の『道』を。今、あの方は生まれてから今日に至るまでに本来味わうはずだった『痛み』の全てを改めて受けているのです。それが、あの方が『鬼』から『人』へ戻るための儀式……」



生まれてから今までの痛みを全部……金平にはその重さが到底想像できなかった。金平が自分の人生で今までに受けた痛みを一度に受ける目に会ったら、間違いなくその衝撃のあまり死ぬ。だが目の前で悶え苦しんでいる鬼の王は何百年生きた?その時間分全ての「痛み」を、今ここで味わっているというのか?



「助けて、たすけて……」



酒呑童子が泣く。激しく、か細く。鬼の王の体内で続く激痛の魔宴はいつ果てるとも知れず続いた。



「たすけて……『()』よ、『()』よ……」



痛みに苦しみ悶える酒呑童子が、誰かの名前を口にしている。気がつくと、いつの間にか酒呑童子の元にズルズルと這いずるように近づいて行く()()がいた。


ボロ布の塊のような「それ」は、残った片腕と片足とを必死になって動かし、文字通り「一所懸命」となって、酒呑童子の元まで辿り着いた。



「白面童子!?まだ生きて!!」



金平が驚き反射的に片手で剣鉾を構える。が、頼義は黙って動かない。



「ぬし……さま……」



もはや悶え暴れる事も出来なくなった酒呑童子に寄り添うように、白面童子が顔を近づけた。



「おお、妲よ、頼む、たすけてくれ……また、いつものように……朕を蘇らせておくれ。そしてまた二人で……どこかへ……」


「ぬしさま……」



白面童子がポロポロと涙を落とす。血と泥とにまみれた二人の姿はこの世のものとは思えぬ凄惨さであったが、金平には何故か、その姿にどこか「美しい」と思うものを感じ取ってしまった。



「はやく……たすけて……」


「ぬしさま……堪忍や、堪忍しておくれやす……」



白面童子はもう動かす事も叶わなくなった酒呑童子の手を自らの頬に当てて告解する。



「死体ならなんぼでも動かします。身体中バラバラにされても、鬼の身体なら容易(たやす)うくっつけてあげましょ。でもなあ、あきまへん。人間の身体はあ、そんな風にあんじょうよう都合よく出来てまへんのや……」


「そんな……だって、朕は……」


「ふふ、だってなあ、『痛み』を知ってしもたら、それはもう『鬼』ではあらへんやろ?だから……堪忍しとくれやす……」


「やだ……痛いのはやだよう……死にたくない、死にたくない!!たすけて、たすけて……ねえ、()()()()……」



長い長い、永劫に続くかと思われた苦痛の通過儀礼は唐突に終わりを告げた。酒呑童子……殷王(いんおう)辛帝(しんてい)の身体は音もなく黒い炭の粉となって崩れ落ちて行き、白面の片手には小さな、人間の赤子のものらしき頭蓋骨(されこうべ)だけが残された。その頭骨を慈しむように頬に当てながら



「ごめんね、ごめんね坊や。私の、坊や……」



白面童子は泣き続けた。

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