追討使軍、出撃するの事
土御門第が鬼の襲撃を受けてから一日が過ぎた。
主人の藤原道長他、招待されていた諸卿には幸い犠牲者は出なかったものの、警護に当たっていた御陵衛士や道長家中の使用人たちの多くが死傷、または行方知れずとなった。
日が昇るとすぐに源頼信の陣頭指揮で現場の検証が執り行われた。後からやってきた検非違使や衛門府の役人がアレコレと口出ししてくるのも意に介さず、頼信は生き残りの使用人を頼義に従わせて現場の捜査に当たった。
土御門第の東側は東京極大路を挟んで古びた仏舎があった。誰が建てたとも知られぬこの伽藍は長年人の通うこともなく荒れ放題であったため、道長が別邸に隣接するこの土地を将来藤原家のための寺院を建立する目的で買い上げていたものだった。
その伽藍のさらに東はすぐ鴨川が流れており、そこから水路が引かれて仏舎の脇を通り土御門第の庭先に掘られた大池に注がれていた。どうやら鬼たちは、はるばる鴨川を遡り、夜陰に紛れて少しずつ土御門第の向かいにあるこの廃寺に集合し、人数が揃ったところで一気に襲撃を開始したものらしい。
その事実には頼義のみならず頼信さえも驚嘆の色を隠せなかった。それまで組織的な集団行動など一切行うことなどなかった鬼たちが、ここにきて急速に知恵をつけ、組織化された軍隊として決して侮れない脅威となりつつある。
昨夜の襲撃を振り返ってみるに、確かに今までのような本能任せの攻撃とは違い、行く手を塞いで牽制する者、奥の部屋にいた姫君たちを攫う役目の者、撤退の際に殿を務める者など明確な役割分担による組織だった効率的な行動が見受けられた。
いったい何者が鬼たちに知恵を授け、軍隊として統率しているのか。もはや事態は単なる「鬼退治」の域を逸脱して、国対国の本格的な戦争の様を呈し始めてきている。
鬼どもに拉致された公卿の姫君たちは十数名にのぼった。多くは平能登守や橘大和守といった地方領主の娘御だったが、中には先の勘解由長官の娘や中納言公任卿の奥方なども含まれていた。昨夜茨木童子が吐いた恐ろしい言葉を思い出すに、彼女らの無事をはかるためには一刻の猶予も許されてはいなかった。
その日のうちに、姫君救出のための追討使が任命され、本格的な装備の軍勢が組織され即座に敵の本拠地である丹波大江山に出立した。頼信、頼義親子はその討伐隊に加わることなく、言わば「爪弾き」にされた形だった。頼信の独断専行とも言える現場捜索に気分を害した衛門府からの報復人事だと後から聞いて、この非常時になってもくだらない事で足を引っ張り合おうとする諸侯の下劣さに、頼義は怒りを禁じ得なかった。
朱雀大路を追討使の一行が進軍する。頼義はその行く手を見守ることしかできなかった。以前までの、獣退治にでも向かうかのようなのんびりした雰囲気は無く、みな大鎧を纏い、長槍と弓で武装した本格的な装備で死地に赴く悲壮な覚悟が伝わって来た。今の今になって、ようやく朝廷は今回の事態が国家の存亡に関わる重大案件であることを認識したようだった。
その先頭、今回の追討使として総大将を務める馬上の武者を見て頼義は驚きの声を上げた。
「惟任どの!!」
頼義は思わず見物人たちをかき分けて、行軍の先頭で馬を進める惟任上総介に駆け寄った。一瞬行軍に緊張が走ったが、
「騒ぐな、大事ない」
と上総介が手で制した。
「頼義か、一瞥以来だな。息災であったか、といっても会うたのはほんの数日前なのになあ、まるで何年も昔の話のようだ、はっはっは」
上総はそう言って笑うが、つい先日初めて会った時の彼女とはいささか様相の違う、どこかやつれた、悲壮な雰囲気さえ漂っている。
「あの後、伊勢へご行幸の随身として赴かれたのではなかったのですか?」
「もちろん行ったさ。その途中で急ぎ呼び戻されて此度のお役目よ。お陰で一睡もせずに夜通し早馬の乗り継ぎだったわ。まったく、摂津に伊勢に今度は丹波と、まあ頼光様も左府様もよう私をこき使ってくれる」
上総の口調は軽いが、その顔は少しも笑ってはいない。その事が頼義をどことなく不安にさせた。
「もっともこのお役目、他の誰にも譲れん。私がケリをつけねば示しがつかぬからな」
「それは……いったいどういう事ですか」
馬の歩みに合わせて小走りに足を進めながら頼義は問うた。
「昨夜の土御門第における鬼の襲撃にな。内通者がおった」
「あの宴の席に、ですか!?」
「そうだ。その者が他の警護の者を者を殺し、手薄になったところで鬼たちを屋敷へ導き入れたのだ」
「そんな、あの場にそのような者が……!?いったい誰が!?」
「それが、な……」
一瞬、上総は言葉を詰まらせた。
「御陵衛士の者だったのだ」
上総の言葉に、頼義は息を飲んだ。まさか、そんな莫迦なことが!
「私もにわかには信じ難かった。しかし現場の証拠と生き残った者の証言を照らし合わせてみるに、どうやら間違いではないらしい」
頼義はあの晩、庭先で自分に優しく微笑みかけてくれた御陵衛士の女武者の顔を思い浮かべた。まさか、あの御仁が裏切り者だったとは!?
「無論、御陵衛士に就くような身分の者だ、身元はしっかりとしているし経歴も申し分ない。それが敵に内通するからには何か相当の理由があるのであろう。家族を質に取られたか、あるいは他の理由で……いずれにせよ、我が御陵衛士より反逆者を排出するという不名誉を負ってしまったからには、何が何でも我ら自身の手で鬼どもを追討し、彼女に事の次第を問いたださねばならん」
頼義はハッと気がついて、上総の後ろについて行軍する武者たちに向かってって振り向いた。いずれも同じ藍染めの綾糸を毛引縅に結い上げた巴紋の具足を身に付けた女武者たちだった。御陵衛士、内裏においてその最奥を守護する最強の守護者たちが勢ぞろいしているのだ。
「では、では惟任どの、ぜひこの頼義もご一行にお加え下され!惟任どのと御陵衛士の方々の雪辱、この頼義もお力添えいたします!!」
「無用」
頼義の必死の訴えを上総はすげなく突き返した。
「お言葉、感謝する。しかしこれは我らが問題。どうか我らに任されよ。頼義、最後にお前に出会えたのは望外の幸せであったやもしれぬ。立派な武者になられよ、お前ならきっとなれる。後の内裏の護りは任せたぞ」
「最後って……」
そう言い残すと、惟任上総介は頭を前へ向け、二度と頼義に振り返ることもなく馬を進めて行った。
「死ぬ気だな、アイツ」
呆然と見送るだけだった頼義の後ろにいつの間にか立っていた坂田金平が独り言のようにつぶやいた。
「金平どのいつの間に!え、死ぬって……」
「アイツはな、この戦が終わってたとえ生き残ったとしても、今回の責任を負って腹を切る心算だろうぜ」
「!!そんな、なぜ!」
「話は聞いた。お前も頼信様もついていながらとんだ失態だったなガキんちょ」
「……!!」
一気に怒りと涙がこみ上げてくるのを頼義は必死で抑えた。
「悔しかったら惟任の最後の姿をしっかりと見送ってやれ。アイツらの仇は、俺たちが討つ」
「まだ……!まだ上総どのが死ぬとは限りません!!」
頼義は金平の無遠慮な発言に声を荒げた。しかし金平は平然と
「死ぬんだよ、アイツは。たとえ世間は惟任一人の責任ではないと許してはくれても、アイツ自身と、あの『巴』の旗印が許しちゃあくれないさ」
「巴の紋……」
「あの紋印はなあ、逆さにしても同じ模様をしているだろ?それが御陵衛士の『決して裏返る事なき忠義』の印なんだ。その旗印を汚さないためにも、アイツらは死ぬ気で戦って、そして望み通り死ぬだろうさ」
「そんな、そんな……!」
「それが武士という者の生き様だ。貴族どもとは違う」
金平の言葉の重さに押しつぶされるように震えながら、頼義は只々惟任たち御陵衛士の最後の姿を見送ることしかできなかった。




