頼義、宴に招かれるの事(その四)
キィキィ、キィキィ……塀伝いに無数に貼り付いた大小様々の鬼たちが、一斉に頼義の方へ振り向いた。月明かりを反射して鬼たちの瞳が邪悪な蛍のように蠢く。思わず頼義は声を上げて身を引いた。
鬼が!何故このような所にこんなに!思わぬ急襲に頼義は腰に手をかけたが、今日は太刀を帯びていないことに今更のように気がついた。
「……!」
丸腰でこの数の鬼どもを相手に……一瞬頼義の頭に絶望的な覚悟がよぎった。しかし鬼たちは頼義をひと睨みしただけで塀を乗り越え、屋敷の中に向かって次々と飛び込んでいった。その先には今もなお宴に酔う道長や貴族たちが大勢いる!
頼義は沓も脱がずに回廊を走った。途中いくつも膳を蹴飛ばし、使用人たちと肩をぶつけながら宴席へ駆け戻り、
「父上!!」
と叫んだ瞬間、道長たちの座す尊者座の後ろに立てかけてあった屏風を突き破って鬼たちが襲来した。
道長も隣に座る頼通も、一瞬の事に反応できずただ目を丸くして鬼たちの襲撃を呆然と眺めるばかりだった。何一つ抵抗することもなく、ぐしゃりと音を立てて天井まで血と脳漿が飛び散った。
頼義は一瞬目を背けたが、再び目を開けると、そこに見えたのは道長たちの死体ではなく、鉄扇を携えて仁王立ちする父頼信の姿だった。父は手にした鉄扇で先頭の鬼の脳天を唐竹割りに叩き潰すと、返す手で次の鬼の人中に叩き込み、さらに全身を使って残りの軍勢に体当たりをして鬼たちの奇襲をたった一人で押し返していた。
「頼義、何をしておる!!」
父に一喝されてようやく頼義は自分も鉄扇を持っている事に気が回って、慌てて懐からそれを抜いて逆手に構えた。
「道長どのこちらへ!皆様方も庭へお逃げくだされ!」
鉄扇を懐刀がわりに振るいながら頼義は叫んだ。手にした鉄扇はずしりと重く、なるほど扇ぐにはいささか使いづらいが、こうして構えてみるといざという時の武器がわりには十分に頼もしく感じる。わざわざ重い鉄扇を携帯するのは、こういった武器を持ち込めない場所に置いて敵襲を受けたときの備えのためであったか。頼義はその意味を悟り、「常在戦場」という源氏の家訓の重さを実感した。同時に、想定外の鬼の奇襲にも動じる事なく鉄扇一本で堂々と鬼たちに立ち向かう頼信を見て、普段は寡黙で温厚なこの父が、兄頼光にも劣らぬ武の達人であることを今更のように思い知った。
なんとか公卿たちを庭に逃がし鬼たちから引き離しはしたものの、鬼の数は次々と増していく。一体どこにこれだけの数の鬼が隠れていたというのか。警護の者たちの姿は全く見えない。自分たちの見えない場所で応戦しているのか、あるいは真っ先に標的となって殺されているか。頼義は先ほど自分に優しげな笑顔を見せてくれた女武者の姿を思い出し胸が痛んだ。
「どなたか蔵より刀を!弓矢でも斧でも良い、何か武器を!」
頼義は代わる代わる押し寄せる鬼たちをかろうじて鉄扇で払いのけながら叫んだ。しかし公卿も使用人たちも恐怖に震えるばかりでその場で腰を抜かして座り込んでいる。このままでは押し切られる!
「しまった、迂闊……!」
頼信が初めて動揺の色を見せた。鬼たちは頼義たちを押しとどめながら、残りの手勢で奥にある御簾の降ろされた部屋に襲いかかった。そこには先程まで歌遊びに興じていた公卿の姫君たちがいる。初めから鬼たちの目的はそちらだったのだ!
恐怖に金切り声をあげる姫たちの声が幾重にも重なって響く。頼信と頼義は庭先に焚かれていた篝火の松明を振り回して鬼たちを払いのけようとしたが、いかんせん数が多すぎる。それでも力任せに群衆をこじ開けて鬼たちに担ぎ上げられている姫たちに肉薄する。
あと少しで手が届く……!というところで、その手を巨大な鉤爪が弾き飛ばした。
「悪いねえ、ここから先は通行止めだよ」
黒ずくめの長身の女がそう言って笑った。
「茨木童子!!」
頼義の叫びに、茨木はさらにゲラゲラと声を立てて笑った。
「丹波の人間どもはあらかた食い尽くしちまったからねえ、アタシもコイツらも腹が減ってしょうがないのさ。ほれ、どれもこれも皆こんなによう肥えて。都の女はさぞ美味かろうねえ」
茨木の笑い声が宵闇の虚空に響き渡る。その言葉を聞いて姫たちもまた一層激しく金切り声をあげた。頼信が松明と鉄扇を二刀に構えて茨木に打ちかかる。茨木は鉤爪で松明を受け流し、二間、三間と飛び下がる。
「源頼信、久しぶりさねえ。忌々しい鬼狩りの一族め!だが老いたな、もはや貴様らなど眼中にないわ」
そう捨て台詞を吐くと、茨木が狼のような雄叫びをあげた。その雄叫びに呼応するかのように鬼たちは娘たちを抱えて潮が引くように一斉に撤退を始めた。
「逃すかあっ!!」
頼義が悠々と立ち去る茨木童子に向かって松明を投げた。松明はクルクルと回転しながら茨木を急襲したが、茨木はその松明をその巨大な口で受け止めると、バリバリと音を立てて噛み砕いた。
「……!!」
「左府どのよ、よう聞け。我らが主人は寛大なお方ぞ。貴公らが潔くその場で自害でもすれば娘たちは優しく一思いに殺してやろう。だがもしこれ以上我らが城に手を出すようであれば……ククク、姫たちの苦悶はさぞ長く続くであろうなあ。もっとも、アタシらはそっちの方が大歓迎だけどねえ」
茨木の高笑いに他の鬼たちも倣って哄笑した。姫たちはその言葉を聞いて皆一様に失神してしまい、もはや抵抗する者もいなかった。
「いば、ら、きいいぃ!!!!」
頼義は激情に身を委ねながらなおも鬼たちの軍勢に立ち向かった。しかし何度も何度も、どれだけ雑魚鬼たちを倒しても次から次へと鬼たちが壁となって押し寄せ、茨木と囚われの姫たちに近づくことすら叶わない。
何十匹目だかもわからぬ鬼の脳天を打ち砕いた時には、すでに鬼たちの姿は虚空へと消え、破壊された新築の屋敷には篝火の爆ぜる音だけが響いた。




