頼義、摂津にて再び鬼に相見えるの事(その三)
頼義一行は今度は山陽道をを南に向けて馬を急がせていた。
安倍晴明の見立てによれば「敵」が次に狙うのは紀州の熊野大権現社だという。茨木童子たち鬼の軍勢は石清水八幡、住吉三神、そして熊野の主祭神である家都美御子大神の法力によって都への侵入を封じられているのだという。
たとえ都を目指して攻め入ろうとしても鬼たちは決して京都へたどり着くことは叶わず、うまく結界をくぐり抜けて京都までたどり着けたとしてもその力は大きく削がれ、たやすく討ち取られる。この二十数年、都に鬼の存在が見られなかったのはそのような経緯があったのだ。
「つまり、我々は本来の強さではない連中を相手に奮闘していたというわけだ」
貞景が忌々しそうに吐き捨てる。それでも、鬼たちの狼藉を水際で防いでいたのは彼らの人の目につかぬところでの努力の賜物である。頼義にとってその事実は疑いようもなかった。だからそのように自嘲気味に笑う皆の姿を見るのはつらい。
しかし彼らのそんな感傷を嘲笑うかのように、その封印はいま解かれようとしている。その一つである住吉大社はすでに落とされ、封印の一角は崩された。残り二つの封印が解かれるようなことになれば鬼たちは完全に力を取り戻し、いよいよもって朝廷にとって大いなる災いとなろう。
今から急いでも手遅れかもしれない、しかしそれでもなんとか次の一手を止めるために、紅蓮隊は一路住吉大社のある住之江湊を目指した。鬼たちが熊野の聖域にたどり着く前に彼らに追いつき、殲滅する。それが今頼義たちに課せられた喫緊の使命である。
途中、草野駅で馬を乗り換え、大路を外れてかつて都が置かれてあった地、難波へたどり着いた。ここまで来れば住吉大社までは目と鼻の先である。
しかし鬼たちの姿は未だ捉えることはできなかった。湊を出て海路を使われてしまえば追いつくことは難しい。頼義は焦る気持ちを必死に抑え、馬に鞭を当ててさらに急いだ。
走りに走り続けた馬たちがいよいよ限界に近づいた時、ようやく住吉の杜が見えてきた。晴明は「炎上」と書いていたが、幸いにも社屋に火の手は見られなかった。どうやらそのほとんどは無事に焼失を免れたようである。頼義はそのことに安心してほっと息をついた。
しかし次の光景を見て、頼義は深く吐いた息を飲み込むことができなかった。
社の境内には無数の人々の死体が転がっていた。参拝者、神官、警備の者、誰彼かまわず、神域にいた者全員が無残な屍を晒していた。
何と惨たらしい姿だろう、死体は無数の斑点に覆われ、膿み崩れ、青黒い吐瀉物がそこかしこにこびりついている。よほど苦しい末期を迎えたものか、皆一様に顎が外れ背骨が折れて砕かれるほどのたうちまわった跡が見える。その死体にこれまた無数の蝿や虻が群がっているが、その蝿たちも死体にたかった先からポロポロと死んで落ちていく。
その光景をつぶさに見た頼義はついに堪えきれずに馬上から転げ落ちるように降り、足元の草叢に胃の中のものを全てぶちまけた。金平たちもまたかつて経験したことのない惨状を目にして愕然としていた。
「死体に触ってはなりませんぞ!まだ毒を帯びているやもしれませぬ!」
季春が叫んだ。毒!気丈にも死体を検分しようとした竹綱は反射的に飛び退いた。周囲を見回し、大声で生存者の有無を確かめる。大声で叫んだその声は虚しく難波の青空に響くばかりであった。
「皆殺しか、いったいどのような猛毒を……いや、妙だな。ここで死んでいるのは男ばかりだ」
貞景の言葉に一同は再び周囲を見回した。確かに倒れているのは皆男ばかりのように見える。これは一体いかなることか。
「待てよ、大江の関でも死んでいたのは男たちだけだったな。女どもはどこへ消えたんだ?」
金平は首をかしげた。しかし今はそんなことにかまけている暇はない、頼義たちは手分けして生存者がいないか境内を探して回った。その甲斐も虚しく誰一人生き残る者のない大社の中で、一ヶ所だけ煙を立てて燃え落ちている箇所を見つけた。
本宮の裏手、おそらく古札などを納める納屋か御文庫であろうか、白塗りの厚壁が崩れ落ち中に納められていたらしき祈祷書や古びたお札などが散乱している。
その瓦礫の中に、一人の少女がいた。




