第1話「新妻襲来」
第1話 新妻襲来
「オーク族の皆さんとは常日頃からご懇意にしていただいておりましてな。この度のエルフ・オーク間和平条約は実にめでたいことで。そう、わしらもこれでエルフさんのところの集落に出入りできるってもんでさあ。オークの奥様にゃ期待しとりますよ。愛と平和の力で生まれたビジネスチャンス。こいつは見逃せませんや!」
株式会社ゴブリン急便社長 ホブゴブリン氏より
森に住まい、緑豊かな自然と芸術を愛する優美なエルフの一族と、山に住まい、岩をも砕く強靭かつ巨大な肉体で獣などを狩りながら生活する好戦的なオークの一族。
長きにわたるこの二つの種族同士の因縁を解消すべく開かれた和平会議も大詰めになり、書記官である彼が最後に書き記すべきことはあと一つ『エルフ女性の誰をオーク側に嫁がせるか』という一文のみであった。繊細な細工を施された美しい羽ペンを片手に、最後の最後にきて紛糾しはじめた会議を横目に彼、書記官の若きエルフ、セドリックは溜息をつく。
(早く帰ってうちの庭に水をやりたい………)
彼は自分の種族が持ちうるものとして有名な、華々しい魔法や素晴らしい弓の腕前、そして花や宝石も霞む類希なる美貌などといったものは取り立てて持っていない、至って一般的で平均的な、何の変哲もないエルフの村民の一人である。だが彼には、一つだけ地味な特技があった。大陸での共通語やエルフ独特のエルフ語などといったものを、整った文字で綺麗に速記することである。偶然この歴史的な会議の末席に座る事が出来たのは、この会議が始まる前に病で亡くした、書記官だった父の代理だった。
(好んで自分の娘をオークの一族に嫁がせるエルフもいないでしょうが、それにしても……)
「貴殿の家には三人も美しい娘がいるではないか。ここは一つ……」
「そなたこそ、適齢期のお嬢さんがいたであろう」
「大切な和平である!うちの娘達では粗相をするかもしれないからして」
「いやいや我が娘よりもずっと美しいお嬢さんこそ、この偉業には相応しいであろう。ですからそちらに行って頂くのがエルフ一族の誇りというもの」
「そんなことを口ではいいながら、本当は嫁がせるのが嫌なだけではないのか貴殿」
「そなたこそ!」
エルフのみが使える純エルフ語での会話はオーク側には通じない。それをいいことに、記録として書き記すわけにもいかない不毛な水掛け論をはじめだしたエルフ側の机を見て、彼は筆記具を手にしたまま居心地の悪い気分で議場を見渡した。
そんな中、退屈そうな顔で向かい側のテーブルの小さな椅子(もっとも彼らが大きいせいでそう見えるだけの話ではあるが)に腰を下ろしているオークの男達に、女性のオークだろうか、一回り小柄な、だが自分よりも頭二つ分は大きいであろう筋骨隆々の女性が樽の様に巨大なコップに入った水を持ってやってくるのが目に入る。
「おおご苦労」
「まったく、何やってんの? 面倒な会議とやらは今日でおしまいって聞いてたけど」
「向こうが揉めとるみたいでな」
彼の耳に彼らの会話がかすかに届く。
「どうせエルフの娘さんをこっちによこすの怖いとかそういう系でしょ。まったく、タマがないのかしらねえあの細っこい連中」
太い眉を盛大にしかめたオークの女性が一瞬こちらに視線を投げた。エルフ側のちっとも進む気配のない喧々囂々の議論にうんざりしているセドリックが会釈を返すと、向こうの女性がびっくりするほど巨大なスマイルを返してくる。口元の巨大な牙に思わず気圧され、慌てて白紙の書類に目を落としながら、他にすることもない彼はそのままオーク側の会話になんとなく耳を傾ける。
「じゃあ私があっちに嫁入りするのはあり?」
「お前さんはうちの部族じゃなかなかの器量よしだ。エルフ娘どもに比べても遜色ないな」
オークの女性における『器量よし』の基準なるものはどこにあるのだろうか、と一瞬考えかけるが、それは相手方にとって非常に失礼なことだと気付いてやめる。だが次の瞬間、のっしのっしと大幅で議場の真ん中へと歩き出たその『器量よし』の女性に
「じゃあさ族長、あそこの隅っこでヒマしてる親切そうなイケメン、私にくれない?」
いきなり指を指され、セドリックは思わず目を剥いた。
オーク女性の突然の申し出と、反射的に椅子を倒して立ち上がり硬直するエルフの青年を中心に、議場が静まり返る。
「………それは、ありだな」
3メートルはあろうかというオークの族長が、数秒考えた後に、ごわついた髭を撫でて言った。
「成る程、それは………」
皺の寄った長い耳を立てて、エルフの長老もまた、顎に手を当てて数秒考え、セドリックと、セドリックよりも頭二つ分も背が高く、彼の胸囲ほどの太い腕と、彼の数倍も筋肉量がありそうな筋骨隆々の娘を交互に見た後に言った。
「お似合いじゃな」
一体何を、どこをどう見てそう決めたんですかと声に大にして、だが心の中だけで、セドリックは盛大に問い返す。人並みに規律を守りつつ村で平凡かつ平穏に暮らしてきた彼にとって、エルフの長の言う事は絶対だった。死刑宣告を下された法廷の被告、というのはこのような心境なのだろうか。
「まあなんだ、ちょっとばかり細ぇが、まあエルフってえのは男もこんなもんだろう」
オークの族長が空気を震わせるような野太い声で言う。
「もちろん、太いエルフはおりませんからな」
「うちの可愛い女の子がそっちの村に住んでりゃ、うちの者も挨拶しやすくならあな」
「酒など用意させるとしようかね。もちろん、新郎にな」
酒、と聞いて、それまで退屈そうにしていたオーク側の議席が一気に盛り上がる。それを目を細めて一瞥し、長老が振り返るとセドリックに言った。
「おぬしは書記じゃな」
「はあ」
「わしらにはこの歴史的平和を達成した偉業とそれに伴う成果の数々を後世に書き残す義務がある。それには、書記官自らが結婚し、日々『平和な日々』を書き記すのが一番ではないかのう」
唖然とするセドリックを前に長老が言うと、
「成る程それは素晴らしい考え」
「さすがは長老。老いてなお、冴えていらっしゃる!」
村のお偉方が揃ってテンプレートの様な追従の台詞を口にしながら、こちらに強烈に、有無を言わせない眼差しを投げてくる。エルフの一族にとっての平和と、自分にとっての平和は、どうやら今日この瞬間から別物になってしまったらしい。
「ですが長老……」
「結婚費用ならば心配は無用じゃ。助成金も出そう」
金策に走る事を良しとしない『誇り高き』一族ではあったが、こればかりは別らしい。長老の視線を受けて、年ごとの娘を三人持っている村で一番の財産家の男がさっそく手元の羊皮紙にさらさらと何やら算出しはじめた。
「いや、あの、そういう問題ではなくて」
「おぬし、独身だったな」
「母と妹を驚かせてしまいます」
「すぐに知らせを出そう。手のあいている者で早馬を」
「かしこまりました長老。めでたい条約締結ゆえ、早急に、ええ、速やかに村中に知らしめてこねばなりません」
彼が止める間もなく、素早く、先ほどまで財産家の男と喧々囂々の議論をしていたうちの一人が立ち上がり、風の様に会場から姿を消した。
「族長殿。これで決まりである」
「そいつぁよかった。この娘はうちの集落でも一番の器量良し。しかも家柄も良い。どこにやっても恥ずかしかねえ子だ」
「ここなるセドリックは……そうじゃな、目立たぬ若者ではあるが、謙虚さと心優しさも兼ね備えておるからのう。良き夫になるであろう。さて、まずはそこの麗しい奥方と住まう為の新居じゃ。ドワーフの一族にも使いを出して良い棟梁を招くと致そう。お嬢さん、憂いなく嫁に来られよ。新郎はじめエルフ一族で歓迎致そう」
言うまでもなく、エルフ一族を統括するこの長老と話したのは今日がはじめてである。人間の世界ではこういう老人の事を何故かタヌキの化け物に例えるらしい。エルフとオークのいがみあいの解消は、エルフが住まう森と、オークが住まう山の間の平原の街に住む人間達、そして更にその近隣に住まうゴブリンやドワーフ、フェアリーなどといった他の種族の民にとっても、とびっきりの朗報になるだろう。
「おお、さすがはエルフ。華奢なくせに豪勢だねえ! それじゃあ、この可愛い嫁さんの為にもとびっきり、頑丈な家を建ててもらうとしようかねえ」
自分が美しい同族と結婚し、麗しい妻を得る日を楽しみにしていたであろう母と妹は何というだろうか。気を失わなければ良いが。立ち尽くす彼に、長老がそっと、おそらくは必要以上に重みのある声で囁いた。
「書記官セドリックよ。我らがエルフ一族とあのオーク一族の和平の行方は、お前さんの返事一つじゃよ」
むしろ自分が今すぐ気を失ってしまいたい。議場中の視線が彼に注がれる。更には、
「まったく、こんなにも可愛い女の子からプロポーズしたっていうのに。待たせるなんて悪い人ねえ!」
のっしのっしと、こっちに向かってオークの女性が歩いてくる。逃げる術も、断る余地も、彼には存在しなかった。
「か…………か、かしこまりました。謹んで、お受け致します」
一族のお偉方の突き刺さる様な視線を背中に浴び、更にはオーク側の男達の好奇心丸出しの視線を全身に浴びながら、この世のありとあらゆる諦念をたっぷりと吸い込み、背中の真ん中から出た様な情けない声で、慎ましく同意と恭順の意を示す。こうして、何の変哲もなかったはずのエルフの書記官セドリックは、歴史的和平の舞台中央に何の用意もなく投げ出されることになった。
婚姻同意書に自分の名前をよたよたと書き記し、最後の奥付けに更に書記官としての自分の名前を記す。自分の名前が二カ所も書かれた歴史的和平の書類に目を落として、
(どうして、こんなことに)
悪い夢でも見ているのではなかろうか、と彼は何度も何度も瞬きをする。
「ところで、お名前は………?」
「私? キャサリンよ。これからはハニーって呼んでくれる? ダーリン!」
この世の中にこれほどまでに強烈な『キャサリン』が存在したのか。羽ペンを取り落としてこめかみを押さえ、先ほどたっぷり吸い込んだこの世の諦念を溜息に変換する作業にせっせと勤しみだした新郎の様子を気にするそぶりもなく、キャサリンと名乗ったオークの娘は、彼が落としたエルフ族のペンを拾い上げる。そして、繊細な金細工で出来たペン先を押し潰さんばかりの太文字で、獣の唸り声にも良く似た鼻歌混じりに、見た目通りに豪快なサインを結婚同意書に綴る。インクを乾かす為に突風の様な息を書類に吹きかけてから、もう一度書類を一瞥して言った。
「へえ、ダーリンって私より年上なんだ」
オークとはいえ、共通語の読み書きはしっかりとできるらしい。そういえば、良い家柄の娘らしいことを先ほど族長が言っていた様な気がする。そんなことをうっすらと考えつつ、曖昧な笑みを精一杯顔に張り付け、セドリックは返事を返す。
「えっと、その、エルフですから、長生きなんですよ」
「まあ、枯れてなければいいんだけど」
「えっ、か、枯れるとは、なにがですか」
「やっだもう!!!ピッチピチの可愛い新妻にそんなコト言わせないでったら!」
盛大に背中を叩かれて、盛大な音を立てながらめりこまんばかりの勢いでセドリックは頭から机に突っ込んだ。『年上の女性』だと思っていたが『年下の娘』だったらしい。幸いにも骨は折れていないらしいが、一瞬だけ、エルフ族で言うところの安寧なる天上世界、すなわちあの世にいるはずの父親が、川の向こうで目を丸くしてこちらを眺めている姿が見えた様な気がした。
つづく
誤字脱字修正や推敲などは今後ちまちまと重ねていく予定です。
続きは気長にお待ち頂ければと思います。
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