『一日だけの父親』
そのサービスは、ひっそりと存在していた。
「——1日だけ、家族をレンタルできます」
男は、その広告を何度も見返していた。
「……くだらねぇ」
そう呟きながらも、
指は、申込みボタンを押していた。
理由は、簡単だった。
明日が——
娘の、誕生日だからだ。
「……っ」
男は、目を閉じる。
本当なら、
祝ってやるはずだった。
ケーキを買って、
プレゼントを渡して、
「おめでとう」って——
でも、それはもうできない。
“事故で死んだから”
それでも、
どうしても——
「……一回だけでいい」
そう思ってしまった。
翌日。
インターホンが鳴る。
ドアを開けると、
そこには——
「パパ!」
小さな女の子が立っていた。
「……っ……」
声が出ない。
笑い方。
目の形。
髪の癖。
全部、同じだった。
「どうしたの?パパ!」
無邪気に笑う。
「……ああ……」
やっと、声が出る。
「……おめでとう」
それだけで、
胸が、締め付けられる。
その日は、普通の一日だった。
ケーキを食べて、
プレゼントを渡して、
一緒に笑って。
「パパ、ありがとう!」
その一言が、
やけに重かった。
時間は、あっという間に過ぎる。
夕方。
「そろそろお別れの時間です」
いつの間にか、スタッフが立っていた。
「……もう?」
「はい。一日契約ですので」
「……そうか」
男は、しゃがみ込む。
目の前にいる、“娘”。
「……楽しかったか?」
「うん!」
「……そっか」
言葉が、出てこない。
本当は言いたいことが、山ほどある。
でも——
これは“本物じゃない”。
分かっている。
分かっているのに、
「ねぇパパ」
女の子が、小さく首をかしげる。
「また来てくれる?」
その一言で、
全部が、崩れた。
「……っ」
来れるわけがない。
これはレンタルだ。
今日だけの、偽物だ。
それでも——
「……ああ」
頷いてしまった。
「また来るよ」
嘘だ。
でも、
その嘘を、
本当みたいに笑ってくれた。
「約束だよ!」
その瞬間。
「——契約終了です」
女の子の表情が、消えた。
笑顔が、止まる。
目の光が、消える。
「……え?」
男は、固まる。
「……おい……?」
スタッフが、淡々と説明する。
「記憶データはここでリセットされます」
「次回利用時は、初対面からとなります」
「……は?」
「感情の持ち越しは、できません」
「……待てよ……」
男の声が、震える。
「じゃあ……さっきの“約束”は……」
スタッフは、少しだけ間を置いて言った。
「存在しなかったことになります」
その言葉で、
すべてが、終わった。
女の子は、もうこちらを見ていない。
ただの“商品”として、立っている。
「……そうかよ……」
男は、笑った。
「……そりゃそうだよな」
ゆっくりと立ち上がる。
ドアに向かう。
その時、
小さな声がした。
「……ありがとう」
男は、振り返る。
女の子は、
何も知らない顔で立っている。
今の言葉は、
誰に向けたものでもない。
ただの“残響”だ。
それでも——
男は、頷いた。
「……ああ」
「こっちこそな」
ドアを閉め外に出る。
空は、やけに青かった。
それ以来、
男はそのサービスを、二度と使わなかった。
ただ——
毎年その日だけ、
ケーキを一つ、買うようになった。
(完)
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