第1話 月夜の来訪者(今日のレシピ:月のフレンチトースト)
ご覧いただきありがとうございます。
本作は、静かに暮らす青年と、ある日突然届けられた白猫との、ちょっと不思議な同居生活のお話です。
タイトルはほんのり甘く。
中身はやさしく、あたたかく。
毎話ひとつのレシピを添えて、心ほどける時間をお届けできればと思っています。
それでは、はじまりの一皿をどうぞ——。
雨が上がったばかりの夜。空には、雲間からひとすじの月光が差し込んでいた。
玲央は胸元を押さえながら、石畳の路地を駆けていた。
肩が大きく上下し、呼吸が追いつかない。
(……また、だ。身体が……ついてこない)
心臓が、不規則に跳ねている。
昼間は何ともなかったのに——今夜は、特に“月”が強く感じられた。
なぜかはわからない。けれど確かに、何かが——
自分の中で目を覚まそうとしている。
喉の奥が焼けるように熱く、視界が揺らいだ。
そのとき、視線の端に、光の尾を引くような影が走る。
「……っ……」
靴音が止まり、身体の重さが言うことをきかなくなる。
足元がふらつき、崩れ落ちるその直前——
「……まったく、目を離すとこれだ。
仕方ないな。今度は・・・俺が、お前を守る」
どこか冷ややかで、それでいて胸の奥に響くような、懐かしい声。
月明かりの中に立っていたのは、長い金髪を風に揺らす青年。
白のロングコートに包まれたその姿は、まるで絵画から抜け出した異国の王子のようだった。
玲央は思わず、その名を呼ぶ。
「……シトロン……?」
そして、そのまま彼の腕の中に崩れるように倒れ込む——
その瞬間、世界が少しだけ静かになった気がした。
——数週間前。
東京、晴天。
高層マンションの最上階。静かなリビングで、玲央は一杯の紅茶に口をつけていた。
端正な黒髪に、淡く光を反射するヘーゼルの瞳。
フランスと日本の名家の血を引くその容姿は、どこか浮世離れしていて、そして少し寂しげだった。
「静かなのは好きだ。けれど……」
独り言のようにつぶやいたあと、彼は立ち上がり、キッチンへと向かった。
こういう朝は、少し手をかけた朝食に限る。
玲央がこのところよく作るのは、月のフレンチトースト。
昨夜から漬け込んだバゲットをフライパンにそっと置くと、バターが優しく香り立つ。
焼き上がったトーストに、彼は棚の奥から小瓶を取り出した。
中には琥珀色のシロップが、とろりと光を宿している。
「祖母が“de la Lune家の伝統”だと言っていた香草シロップ……朝に似合う味だ」
レモン果汁にローズマリーとヴァニラ、少しの白ワインを煮詰めたもの。
月のようにまろやかで、それでいて澄んだ香りが、ふとした記憶の扉をノックしてくる。
カリッと焼けたトーストに、そのシロップをひと匙垂らし、粉糖とレモンの皮をあしらって完成。
彼はベランダの前の小さなテーブルに腰かけると、
一口かじって目を細めた。
「……うん。今日は、悪くない朝だ」
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
玲央はわずかに首をかしげ、立ち上がって玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこに立っていたのは、燕尾服の年配の男性だった。
「Bonjour, 一條様。初めまして。Enchanté.
こちらを、お預けに参りました」
柔らかな微笑を浮かべながら、男性は腕にバスケットを抱えていた。
玲央は目を細める。どこか現実感のないその姿。
背筋はまっすぐで、髪は白く、瞳は氷のような淡い青をしていた。
バスケットの中には、クリーム色の長毛の子猫が、すやすやと眠っていた。
「……猫、ですか?」
「名は“シトロン”。ご先祖様のご意志により、この子はあなたに託されることとなりました」
玲央は目を瞬いた。
知らない名前。知らない猫。
けれど、なぜかその名を聞いた瞬間——胸の奥が、静かに震えた。
その日、玲央はまだ知らなかった。
この白い猫と暮らすことが、これからの彼の毎日を、そして心を、ゆっくりと変えていくということを——。
* * *
【今日のレシピ】
『月のフレンチトースト 〜白猫のレモンミルク仕立て〜』
▶ 材料(2人分):
・バゲット(1.5cm厚)……4枚
・卵……1個
・牛乳……100ml
・きび糖……小さじ1
・バター……10g
・白あん または 練乳……少々(お好みで)
・レモンの皮(国産)……適量(細く削ったもの)
・粉糖……適量
▶ 作り方:
卵・牛乳・きび糖をよく混ぜ、バゲットを浸す(15分〜。前夜からが理想)。
フライパンにバターを溶かし、パンを両面こんがりと焼く。
焼き上がったら皿に盛りつけ、粉糖とレモン皮を散らす。お好みで白あんや練乳を添える。
▶ アレンジ:
《de la Lune家伝統のレモン香草シロップ》
▶ 材料(作りやすい分量):
・レモン果汁……大さじ2
・白ワイン……大さじ1
・ローズマリー……ひと枝
・ヴァニラビーンズ(またはエッセンス)……少量
▶ 作り方:
小鍋にすべてを入れ、中火でふつふつと軽く煮詰めたら冷ます。
焼きたてのトーストに回しかければ、柑橘とハーブの香りがふわりと広がる。
▶ レシピ帖のひとこと:
「月の光を味方につけるには、香りの魔法が欠かせませんのよ」
(祖母・紗英の「月夜のレシピ帖」より)
お読みいただきありがとうございました!
初回のレシピは、玲央の静かな朝にふさわしい「月のフレンチトースト」。
シンプルながらも、de la Lune家の伝統の香草シロップが香り高く、特別な朝の味にしてくれます。
次回からは、白猫シトロンとの同居生活が本格的にはじまります。
猫なのにイケメン、しかもデレる。
「恋がくる」って、どういうことなのか——
よかったら、次回も覗いてみてくださいね。
感想・ブクマ、とても励みになります。
それではまた、次の朝ごはんでお会いしましょう。