間話 ラック 2
とても現実とは思えない成り行きに、ただ流されていた。
自分の事ではないような、間に半透明な膜があるような、不思議な時間。
異世界から来たという少女は、確かにこの国の常識を逸していた。
ご領主様の元に連れて行ったのだ。奴隷のオレを。
騎士に咎められても全く意に介さないで話を進める。
「この子を看病している間に、すっかりこの子を好きになりました。ぜひ私にください」
「人の価格はわかりませんが。というか、そういうのって私のいた国にはなかったのでわかりませんが、この国では人も財産と思いますからお聞きします。この子はおいくらでしょう?私に払える対価を考えます」
頭がついていかない。
好きだと言った? オレを? 奴隷のオレを?
対価? オレを買おうと?
この時にはもうわかっていた、魔力のなくなった、何の価値もない、ただの奴隷を?
魔力がなくなった事を告げると、当たり前のように切り捨てられた。
魔力もない、大人一人分の働きもできない、小さな身体の非力なモノなどいらないのだ。
厄介払いとまで言えない程、ただ捨てればいいだけのモノを、報酬という名で少女に渡された。
得られるはずだった金品の代わりに、生涯彼女に尽くすと心の中で誓った。
主人が変わるたび契約を書き換えられて、百年ほどつけられていた首輪も外された。
「日焼けしてない跡に巻いておこう。これ、君にあげるね。ちょっと色褪せちゃってるけど、君の目の色とお揃いだよ」
冷たくて硬い首輪の代わりに、柔らかい布がまかれた。
初めての贈り物。
この気持ちを何と言えばいいのか。
お礼も言えず、ただ頷いた。
贈り物は続いた。
「じゃあ、私が君の名前をつけてもいい?」
「君の名前はラックね! 黒って意味のブラックと、幸運を意味するグッドラックからラック。どう?」
名前がついた。
昔々、ずっと遠い日々に両親から名前を呼ばれていた筈なのに、死と隣り合わせの永い時の中で、呼ばれもしない名前は忘れてしまった。
「ラック、これからよろしくね!」
名前を呼ばれて、生きている実感がした。
ユアはたくさん贈り物をくれた。
目を綺麗だと褒めてくれ、馬車に乗る時は手を差し出してくれる。
オレとそう変わらない小さな身体で、色んな事から【元】奴隷のオレをかばってくれた。
ユアと常に一緒にいるケイトも、今では渋々ながらオレがいる事を諦めてくれている。
明日は旅立ちという前の日。
ケイトとオレの前に、熱々ツヤツヤの美味しそうなものが置かれた。
甘い香りがしている。
こんな高価なもの、ケイトが遠慮するような高価なものを食べられる筈がない。勧められても手が出ないでいた。
「せっかくラックのために焼いたのに食べてくれないなんて……ユアちゃん哀しい」
大変だ! ユアを哀しませるつもりなんてない。
オレは急いでそれを口に入れた。
……驚いた。
この世にこんなに美味しいものがあったのか……。
初めて食べた、甘いものだった。
放心しながらゆっくり食べていると、ユアとケイトの会話から、頑張ったご褒美と聞こえた。
頑張った? ご褒美?
オレは何かを頑張っただろうか?
これを食べていいのだろうか?
考えて手が止まった。
ユアは手の止まったオレに気づいた。
「……私は戦いくさがどんなものかわからない。だけど、君は生きてるここにいる。
生きてるだけでお腹は空くしね。これからもがんばらなくちゃだしね!」
生きてるだけでいいと、言われた気がした。
生きているだけで、頑張ってきたのだと。
頑張るという意識はなかった。ただ死に物狂いに生き残ってきただけだ。
命よりも勝利を優先されてきた。奴隷なんてそんなものだ。
何と言っていいかわからない感情が込み上げてきた。目が熱くなって、鼻が痛くなる。
オレは急いで甘いパンを食べて飲み込んだ。喉も詰まっているようで胸が苦しかった。
さっきはあんなに甘かったそれは、少ししょっぱいような苦いような味に変わっていた。
不味い訳ではない。
美味しいだけでもないそれを、咀嚼して飲み込む。
これからもがんばるために。
出発の朝、馬車に乗り込む時、ユアは当たり前のように手を差し出す。
手を差し出される事と立派すぎる馬車に慣れないオレは、ほんの一瞬身体が強張る。
むやみに暴力を振るわれた事はないけど、兵士や騎士にも緊張する。
ふいにユアが、御者ができるかと聞いてきた。
荷馬車ならと答える。戦の時の輸送で荷馬車なら操った事はある。
じゃあお願いしてみようと聞こえた。
―――何を?
それから慌ただしく準備がされたのは普通の荷馬車と、それに似合わない立派な馬。
御者台にはオレ。毛布とクッションがたくさんの荷台にはユアとケイト。
兵士も騎士も同乗していない。騎乗して護衛につく様子もない。
「さぁ、出発だ!」
ユアの掛け声で思わず手綱を振った。
馬車は走り出す。
まさか。オレの気後れに気づいたのか?
それで荷馬車になって、護衛もケイトだけになったのか?
荷台でケイトと楽しそうに話しているユアの声を聞きながら、胸が温かくなった。
馬車は朝日に向かって進む。
世界は明るくなっていた。




