Flag-008【お嬢様Sudden attack!】
有楽町オフィシャルガレージとは、つい先月にオープンしたばかりのメーカー直営ショップだ。2002年の新宿オフィシャルガーデン閉鎖以来、メーカー直営店はしばらく存在しなかったが、2008年春に川崎オフィシャルガレージが開業。それに続いて年を跨がずに二店目がオープンしたのは、第三次ブームの盛り上がりを印象付ける出来事だった。ミニ四駆以外のプラモデルとかも扱ってるが、ここの目玉はもちろん、ミニ四駆の常設コースがあることだ。それもメーカー公認大会で使用される5レーンタイプ。これは有楽町店のみで、余所で5レーンを常設してる店はまずない。ミニヨンネット上で壮太に誘われた俺は、初めてここに来店した。しかし、コースを走るには一つ条件がある。
「あ、そういや翔司郎、コース使うのにここで買い物しなきゃなんねーんだけど・・・、」
「ああ、知ってる。なんか適当に見繕うさ。」
年間パスポートは大人三千円、ジュニア千円の買い物で発行される。当日のみコース利用なら買い物一つでいいらしいが、これからお世話になることも踏まえ、軍資金は用意してきた。並んでるのはガーデン日吉でも扱ってるような商品ばかり、割引はないからあまり買い込むつもりはない・・・つもりだったが、余所では見かけないものが目に入った。
「・・・本格的にすげぇな。ホイールとかシャーシとか、予備パーツが単品で売ってんのか!?」
「目移りしてっと財布カラになるぞー。」
それらは本来、部品破損時にメーカーへ直接注文しなけりゃ手に入らない予備パーツ、いわゆるカスタマーパーツだ。
「その辺、日吉でもマスターに頼めば取り寄せできるけどな。メーカー特約店なんだし。」
「そうなのか?んじゃ、今日は控えめにしとくかな。・・・お!TZXの黒まであんのか?」
ドライブウイングに使っている俺の愛用シャーシだ。シャーシの色については、灰や緑よりは黒や白がいいと聞く。混ぜてる顔料の影響で、摩擦部分の滑りがいいとか、強度があるとか、製造時の材料収縮がちょうどいいとか・・・色々理屈は聞くが、実際のところはよく分からない。ただ、TZXに関してはデフォルトの灰色の方がヤワな印象があり、それらは単なる噂じゃないだろうと俺は思っている。
「黒ってレアなのか?」
「ああ、実は限定キットにしか入ってないんだ。こりゃかなり助かるな。」
過去に買っておいたストックが幾つかあるが、いよいよ無くなった時の不安はあった。それが解消されたのは大きい。俺はラックに掛かるTZXを一つ取り、モーターボックスをセットする部分のシャーシ表面に目を凝らし、そこにある【1】というごく小さな番号を読みとる。これは製造に使われた金型の番号を示すものだ。同じシャーシでも金型によって若干個性があるから、色の違いと同様に性能差が出る場合がある。
「TZXって、金型何番まであるんだ?」
「2番までしかない。」
俺が何をしたいのか、壮太にもわかったらしい。ということは、壮太も金型番号の知識を持ってるということだろう。つくづく侮れない奴だ。
「そんで、いいのはどっち?」
「実はよくわかってないんだよな・・・なんで、一応両方買っとく。」
一部のシャーシは明確にこの番号がいい、とかいう話を聞くが、TZXについては良し悪しがないのか、あるいは愛用者がそもそも少ないからか、ネットで調べても確たる情報は得られなかった。ロット、つまり生産時期で事情が変わることもあるらしいから、いずれにせよ、使うときに自分で確認しなきゃならない話だが。
「お前のMSシャーシはどうなんだ?」
「オレが使ってるユニットは金型一つしかないし。色と材質は気にしろって言われたけどさ、まず壊れないから換えることほとんどないし、よくわかんねー。ま、黒使っとけばいいかなって感じ。」
モーターボックスなどのシャーシ用部品は別売りだ。これもランナー部分に金型番号があり、よくわからないなりに【1】、【2】、と刻印があるものを一つずつ選んだ。
「1134円になります。サーキット利用パスポートはお持ちですか?」
「いえ、」
「では、ご利用の際はこちらのパスポートを提示ください。本日より一年間有効ですよ。」
店に入って一階が店舗、コースは地下の多目的スペースに設置されている。パスポートを手に地下へ向かった俺たちを待ち受けていたのは、少々意外な光景だった。
「あれ、あれれ?どうなってんだ?」
ガラスで仕切られた向こうの多目的スペースには、確かに公認大会用の白い5レーンコースが設置されている。が、全体に目を走らせた壮太はその一部に、厄介なものを見つけていた。
「フラットって言ったよな・・・あの直線の出だしにあるの、ドラゴンバックってやつか?」
ストレート一枚分の長さに収まる程度の小山のことを、そう言う。要はジャンプ台、つまりは立体コースと呼ばれる類のレイアウトだ。
「げげぇ!こないだ来た時はバーンルーフチェンジ付きの超フラットだったのによー。翔司郎、わりぃ。」
俺も壮太も、ジャンプとかそういうアスレチックな要素がないフラットコースで、いかに速く走るかを目指したマシンを主力にしてる。誘った壮太は申し訳なさそうに言った。
「先にコース見てから買い物してもよかったな。」
「いや、要るもんが買えたんだからいいさ。それに、立体だからって走れないこたない。」
立体コースに不向きとはいえ、ブレーキを追加するとか、セッティング変更である程度は対応できる。もちろん、そういったパーツも持ってきている。俺らは空いてるテーブルに落ち着くと、早速マシンを弄り始めた。とりあえず、この間公認大会で走ったときのセッティングならすぐできる。リヤアンダーブレーキを取り付け、フロントバンパー下部にはフェンス乗り上げ防止の部品を追加する。それだけだ。壮太も公認大会の時、やはり似たようなセッティングだった。それをやるんだろうと思って目を移すと、意外にもまずギヤカバーを外し、バンパーではなく中身をいじっていた。
「ん、先にモーター交換か?」
「いや、ギヤ交換。」
立体コースを完走するため、モーターを弱いものに落とすことはある。あるいは、ギヤ比を低速のものにするか・・・と思って見ていたが、壮太はギヤ比3.5:1となる緑のカウンターギヤを、別の緑ギヤに変えただけだった。つまり、何も変わらないはずだが。
「それ、意味あるのか?」
と言いかけて、一つそれらしい理由が思い当たった。
「こっちは立体コース用。MSだとカウンターの軸穴が磨り減ってバカになりやすいんだ。だからさ、立体の時は古いやつ使ってる。」
「ふーん・・・。」
飛んだり跳ねたりする立体コースじゃ、駆動系に余計な負荷が掛かる。フラット用に精度のいいギヤを取っておくということだろう。そこまで考えてるとは、とさすがに驚嘆する俺。それからさりげなく、自分のマシンのギヤもチェックする。壮太のMSシャーシと違い、TZXシャーシのカウンターギヤはそこまでへたれる印象はない。まず先にやられるのは歯先が細いピンクのクラウンギヤの方だ。案の定、歯先が幾つか欠けていた。こいつはフラットコースで走らせてても欠ける消耗パーツだ。しかし、このクラウンギヤを交換するにはシャフトからホイールを外して抜き取る必要がある。そうすると、今度はシャフトを固定するホイールの穴が劣化して脱輪しやすくなる恐れがある。だから、そう頻繁に交換できない。交換するのは、純粋に速度が試されるここ一番の勝負の前だけだ。
「よし、あとはブレーキ、ブレーキっと。」
壮太がギヤだけ交換し、結局俺がセッティングに手を付けないままのその時、不意に、背後から声が掛かった。
「見つけたわ。・・・ちょっと、あんたのことよ!」
その声が俺に向いてる気がしてようやく振り向くと、そこには一人のお嬢様が腕を組んで立ちはだかっていた。そう、お嬢様。まさにセレブとしか言いようがない、高級ブランドっぽいもんを着込んだ、たぶん小学生。デパートでしかお目にかからない人種にしてその出で立ちは、ミニ四駆のコース脇にはいささか不釣り合いな存在に思えた。
「レーサーネーム翼駆こと、本名依酉翔司郎!東京都在住、私立両慈大学付属中学二年、あんたのことでしょ。」
「あ、ああ・・・っと、どうでもいいけど、個人情報を大声で叫ぶな!てか、なんで知ってるよ?」
するとその子は、さも得意げな顔で言った。
「あんた、自分の名前ネットで検索したこと無いわけ?2007年、フィッシング協会関東大会の学生部門三位、両大中一年、依酉翔司郎・・・たしか、オオクチバス35cmだっけ?」
「クッ、古い話を・・・。」
俺自身、すっかり忘れていた。中学に入ってすぐ、あれこれ部活を覗いている頃にお試しで参加しただけのもんだ。結局、どの部活に収まることもなく今に至るわけだが。
「・・・で、何の用だ?」
するとお嬢様はポシェットに忍ばせたケース、俺らがマシンを収めてるのと同じあの専用ケースから、まるで刀を抜き放つようにマシンを取り出し、その切っ先を突きつけてきた。
「神楽冴の最強マシンを駆る不届き者、あたしのクレイモアと勝負なさい!」
緑のデュエルエッジがあしらわれたケース、そしてマシンはシャイニングスコーピオンという代表的なフルカウルマシン。そのボディは部分的に肉抜きされ、半透明のキャノピーの奥にはやはり、GPチップが見える。
「デュエルエッジ、そういうことか。」
「・・・で、姉ちゃん誰?」
なんとなく納得した俺の傍らで、壮太が口を次ぐ。するとコースでマシンを走らせていた男の一人が、おもむろに寄ってきてお嬢様に声を掛けた。
「お、奈緒ちゃん。今日は立体だけど、そのマシンでいいの?」
「いえ、今日はちょっと野暮用で♪」
ここの常連なのか、どうも顔は広いようだ。
「・・・じゃあ奈緒、オレのことも知ってるか?佐々薙壮太って言うんだぜ。」
「そう、知らない。」
「ありゃ!そのデュエルなんとかって、これのことだろ?よくわかんないけど、それに絡むんならオレも混ぜさせろ!」
壮太もまた奈緒に真似て、エスペランサを突き出した。すると奈緒は、かすかに眉をひそめたようだった。
「・・・ふーん、あんたがあの。そう、いいわ。便乗させたげる。」
「そうこなくっちゃ!」
「じゃあ、始めるか。」
「そうね・・・ただしここじゃない、ついてきなさい。」
奈緒はマシンをしまいながら背を向けた。そのクレイモアというマシンも見る限りフラット仕様。なるほど、どこか都合のいいコースが他にあるんだろう。そう思い俺も荷物をまとめ始めるが、そうなると結局、ここへ俺らは何をしに来たんだろうか。壮太はわざとらしい口調で、奈緒に聞こえるように言った。
「今日はオレら、有楽町を満喫するはずだったんだけどなー。翔司郎、どうする?」
「どうせ立体なんでガッカリしてたんでしょ。だったらおとなしくあたしについてきた方が、利口だと思うわね。」
「お連れ様はお二人で?」
「ええ、お願い。」
店の前には一台の高級そうな黒塗りのワゴンと、一人の老紳士が待っていた。そう、紳士・・・というより、その服装からして執事と呼ぶべきかもしれない。案内された車内はまた別格で、シートの座り心地の良さと言ったら、うちのリビングに欲しいくらいのもんだった。俺はミニ四駆はともかく実車の知識はからっきし、車名と社名が全く結びつかないほどだったりする。なので何という車かわからなかったが、少なくともうちの車、数台分の値段なのは想像できた。
車は有楽町を離れ首都高に上がり、どうやら目黒方面に向かっている。時間は昼過ぎ、始めは多少渋滞したが、すぐに流れるようになって順調に進んだ。
「で、どこへ向かってるんだ・・・奈緒、さん?」
ここまでのゴージャスぶりに少々やられていた俺は、口調が定まらなくなっていた。助手席の奈緒はむくれて返す。
「なに?その半端な呼び方。せめて様でも付けたら?・・・でなけりゃ、堂々と呼び捨てるべきよ。」
するとすかさず、壮太があっけらかんと言った。
「奈緒でいいじゃん、奈緒で。」
「・・・ふん、特別にそう呼ばせたげるわ。自由が丘の方よ。」
その辺でフラットコースといえば、思い当たる店は一つしかない。
「ヤクモ模型か?」
「それもいいけど、今日は特別にあたしのホームサーキットへご招待よ。」
あの界隈、他にもコースを置いた店があるんだろうか。ミニヨンネットには掲載されてないはずだが。
「・・・そうだ、もう一つ聞いとく。なんで今日、俺が有楽町に来るってことまで知ってたんだ?」
「ミニヨンネットのあんたのID拝借させてもらったら、ちょうど有楽町行こうってメールが入ってたもんでね。」
壮太から貰ったメールのことだろう。
「あ、そうか・・・ちょい待て、俺のIDでログインしたってのか?」
「あんな安直なパスワードじゃね。試しに打ったら入れちゃったのよ。大丈夫、覗いただけだから。」
「いや待て、充分ダメだろ!」
確かに、翼駆だから【tubasagali】ってのは無防備過ぎかもしれないが、最初と最後の一音を、【tsu】じゃなく【tu】、【ri】じゃなく【li】にしてるのをあいつは探り当てたことになる。たまたまでは絶対、ない。
「お嬢様、イタズラが過ぎますぞ。」
運転席の執事さんもさすがに諫めたが、奈緒は相変わらずの調子で言った。
「パスワード、変えていいわよ。」
「当たり前だ!」
こいつと話してるだけで、正直疲れる。今日、まだ何もしてないってのに、すでに大会で敗退した帰りのような気分だった。
車は高級住宅街の中へ入り、一軒の豪邸の前で停まった。周囲を塀で囲まれた庭付きの一軒家。私立通いの俺のダチにも裕福な奴はいるが、知る限りここまでの家に住んでる奴にはお目に掛かったことがない。広さも、造りも、一線を画している。執事さんはエンジンを掛けたまま、車を降りるとご丁寧に後部座席のドアを開いてくれた。
「足下にお気をつけてどうぞ。」
「・・・え?」
「まっさか、ホントにホームサーキットなのか!?」
「人に答えさしといて聞いてなかったとか?ありえなくない?」
奈緒は不機嫌そうに言いながら助手席をそそくさと降り、玄関を開けながら執事に言った。
「たけのん、後でお茶をお持ちしてちょーだい。」
「かしこまり・・・コレお嬢様!人前でそのような気安すぎる愛称はお控えくださいと、再三申しておりますのに。」
それから、執事さんはふとこちらに向き直った。
「そうそう申し遅れました。わたくし、御堂家執事を務めさせて戴いております、上条武之進と申します。」
「タケノシン・・・おっちゃん、スゲー名前じゃん!」
「執事って、あの執事・・・マジですか?」
「上条家は安政年間より代々御堂家にお仕えする家柄。当代はこの武之進がその任を仰せ付かっております。」
御堂・・・と聞いて、ふと思い浮かんだ。この一帯に住んでてその名字、そしてこのゴージャスっぷり。まさかと思いながら、俺は訪ね返した。
「あの、御堂グループの?」
「左様にございます。・・・お嬢様、ろくにご紹介もされておられないので?」
五大財閥の一つ、あの御堂グループだ。御堂重工、御堂化学、御堂建設、すだち銀行、乙武百貨店と、傘下企業は挙げればキリがなく、その名、その規模は子供でも知っている・・・はずだが、壮太はというと反応が薄かった。
「そんな話は今日の用件に関係ないわ。この借り物レーサーが、神楽冴の継ぎ手に相応しくないってのをわからせてあげるために、呼んだだけ・・・ついてきなさい。」
俺にはその口調、単に不機嫌というより、だいぶ棘があるように聞こえた。
俺たちは奈緒に続いて廊下を進み、庭に面した広い部屋に案内された。ちょうどアメリカ映画とかで富豪がやってるようなホームパーティー、そういうのを目的としたスペースに見える。部屋の床には一面ゴムマットが敷かれ、日吉やヤクモの倍はあろうかという3レーンコースが広がっていた。連続コーナー、連続ウェーブ、大型バンク、そして長いストレートが二本という、変化に飛んだ純然たるフラットコースだ。
「すっげぇーな奈緒!見直したぜ。」
「ちょっと、どんだけショボいの想像してたわけ?で、コースはどっち回りにする?選ばせたげるわ。」
「どっちでもいいのか?」
長いメインストレートの両端に、それぞれチェッカーラインが引いてある。順走逆走、それで何が違ってくるか?俺は一番の難所、レーンチェンジ周辺に目を向けた。レーンチェンジの前後には着地用のストレートが一枚ずつあり、一方は連続ウェーブ、もう一方は連続コーナーへ続いている。どちらの区間がより減速するか、それでレーンチェンジの難易度が変わってくるということだろう。安定性に自信のない俺にとっちゃ、少しでも減速できるほうがいい。それがどっちなのか、迷うところだが。
「・・・ウェーブ側からレーンチェンジに突入する方で、どうだ?」
「さんせー!」
「決まりね、勝負は六周よ。・・・この、SSクレイモアと勝負してもらうわ。レギュレーションはチューンモーターで大径以下、それでいいわね?」
奈緒は再びその愛車を取り出した。ローラーは全て830ベアリング、アルミ製のローラーワイドマウントでバンパー幅は最大まで拡張されている。軸受けは620ベアリングだろう。シャーシはスーパー1シャーシ、今となっては旧式ながら、第二次ブーム初期にミニ四駆の高速化を導いた優秀なシャーシとされる。ホイールはショートトレッド大径ナロー、そして発売されて日の浅い、オフセットトレッドタイヤを履いていた。これは内から外に向かい、テーパ状に径が小さくなっていくタイヤで、まず接地面が細い。また左右タイヤ接地面の間隔、つまりトレッドが狭くなるため、コーナーでの内輪外輪差を小さくできる。コーナーの高速性をとことん高められるパーツだ。それら装備からして、俺らのマシンと同等か、それ以上と考えていいだろう。
「準備はどうする?練習走行、何時間でも恵んであげていいわよ。」
あれだけのウェーブがあれば十分減速できるだろう。レーンチェンジは心配ない。だが、このままで奈緒のマシンに勝てるだろうか。クレイモア、まず間違いなく、あの神楽さんが作ったマシンだ。奈緒の自信からして、その由来に恥じないスペックと見ていいだろう。こんな時、何をすべきか・・・神楽さんなら、どうするだろうか?そう考えたとき、脳裏にある言葉が響いた気がした。
「・・・練習走行はいい、だがメンテの時間が欲しいな。」
「オレもー。」
とにかくレーンチェンジの心配がないなら、速度を延ばす最大限の努力をするしかない。
「上等ね。じゃ、充電含めきっかり三十分あげるわ。」
奈緒はラジコン用充電器に電池をセットしたまま一旦部屋を出ていき、俺と壮太はマシンのメンテを続けていた。壮太はカウンターギヤをフラット用に戻し、それからターミナル磨きに取り掛かっていた。俺の場合はメンテというより、セッティング変更に近い。俺は思い切って前後ホイールを外すとシャフトごと引き抜き、ピンクのクラウンギヤを取り出した。ここしばらく交換してなかったフロントのクラウンギヤは、歯が欠けていた。リヤは目立った破損はないが、以前に立体コースを走ってからは交換した覚えがない。
「うわ、翔司郎そこまでやるか?」
クラウンギヤを両方とも新品に替えると、ホイールをまた差した。唯一ホイールだけは加工し、シャフトが外側に貫通するようにしている。その根本に、粘度の低い即乾接着剤を少し染み込ませ、溢れた分はティッシュで拭き取る。
「ミニ四レーサーってのは、なんで運転もしないのにレーサーなのか・・・考えたこと、あるか?」
「は?」
「いや・・・。昔、ある人がこう言ってた。ミニ四駆はラジコンとかと違う、レーンに入れたらセッティングのままに走るだけ。スタートの時点で、すでに勝負は決まってるようなもんだ。」
次に俺は角度調整チップを外し、フロントローラーの傾きを浅い角度にした。ダウンスラストは弱くなるが、速度は上がる。
「どんな走りができるかは、レーサーがそこまでに何をしたかで、全て決まるんだ。だから、」
そこで、壮太が続いた。
「ハンドル握らなくてもオレたちはレーサー、だろ?」
「え?・・・ああ、そうだな。」
そうか、と思った。壮太もきっと、同じことを聞いたんだろう、あの人に。
「借り物競走やってる人が、いっちょまえに言葉まで借りちゃってさ。」
振り向くと奈緒が戻ってきたところだった。
「あと五分よ。」
「ああ。」
しばらくして、陽の当たる壁際のコンセントに差しておいた、俺の充電器の赤ランプが、消えた。
長い直線を臨むチェッカーラインに、マシンを添える。インが奈緒、ミッドが俺、アウトが壮太の並びになった。
「じゃ、いいわね。ゲットレディ・・・ゴー!」
三台が概ね揃ってスタートした。最初のロングストレートを進み、コーナーを折り返してほぼ同じ長さのストレートを戻ってくる。ここは順当に奈緒のクレイモア、俺のドライブウイング、壮太のエスペランサの順だ。それからコーナーを曲がり、連続ウェーブに突入する。その後、早速エスペランサがレーンチェンジブリッジに突入する。
「踏ん張れよ!」
エスペランサはふわりと浮き上がり、着地でフェンスに乗り上がりかけたが、その後のコーナー直前で何とかコースに収まる。長い長い直線の後、いくら減速区間のウェーブが続いても、速度が殺し切れてないようだ。
「あっぶね!ふー。」
「スラストは?」
「マイナス1°・・・デフォルトにしときゃよかったかなー。」
お次は長い連続コーナーをうねり、小バンクを上って下りて、いよいよストレート二枚分を上る大型バンクへ。ここまでにだいぶ減速の大きいセクションが続いただけに、幾らか遅くなってるのが見てわかる。ここで二本目のロングストレートをまたいで越えて、再びメインストレートへ戻る。なので、実質八の字コース、インアウトに大きな差は出ない。レーンチェンジブリッジで減速してるエスペランサはマシン二台分程遅れていたが、ドライブウイングとクレイモアはほぼ並んでいる。
「お二人さん、油断すんな?」
「・・・バカね、そっくり返すわ。」
折り返したストレートでクレイモアにややリードされ、続くウェーブでドライブウイングは思いっきり減速する。そしてレーンチェンジブリッジだが、これは期待通り、不安なくクリアできた。連続コーナーでさらに引き離しにかかるクレイモアを、エスペランサとほぼ並びながら追いかける。
「へぇー、さっすが速いじゃん。」
「誰のホームサーキットだと思ってるわけ?だからバカだってのよ。」
「・・・なぁ、オセジは素直に受けとくモンだぜ?」
壮太は挑発に乗るでもなく、不敵に返していた。大型バンクをクレイモア先行のまま上る。俺のドライブウイングも1000mA電池のおかげで走りが軽くなったのか、壮太のエスペランサと遜色無くスムーズに上る。下ってコーナーを折り返し、メインストレートに戻ると再び加速を始める。そして折り返し、連続ウェーブを通過し、依然奈緒のクレイモアがリードを守ったまま、レーンチェンジブリッジに入る。が、その挙動は何とかクリアしながらも、さっきのエスペランサ並に際どい。その着地ロスのおかげで、ドライブウイングとエスペランサは追いつくことができた。
「アブなくね?」
「危なくないわよ、ちゃんと走ってるでしょーが。」
クレイモアはローラーワイドマウントというアルミの拡張バンパーにより、フロントローラーはやや後ろ、リヤローラーはやや前に寄っている。前後ローラー間隔、つまりローラーベースが短いから、基本的にコーナーやウェーブは速いとされる。それが徒になって、ウェーブでの減速がいまいちなんだろう。そして三周目、ちょうど1セットを戻ってきたとき、三台はほぼ横並び、エスペランサが半身程度遅れるだけという、大接戦であることが判明した。
「・・・やるわね。でもこっから先は燃費勝負、期待しない方がいいわ。」
「どうかな。」
今度は俺が奈緒に返した。リードしてる訳でもないが、そういう手応えがあった。直線後のウェーブで二台に先を越されるも、エスペランサがレーンチェンジで後退する。ドライブウイングは連続コーナーでクレイモアに食らいつく。バンクを上がって下って五周目。三台はちょうど1セット前の、二周目と同じような並びだった。メインストレートの先の折り返しで最インのエスペランサがやや追いつき、そしてウェーブ。俺のドライブウイングはリヤバンパーから伸びたカウンターブレードによって、リヤローラーがかなり前寄りの位置、タイヤの横合いまで来てる。コーナーの切れはそう悪くないが、腰が振られるからウェーブの減速は激しい。今回はそれがうまく御利益になり、二回目のレーンチェンジブリッジも危なげなく通過。あとはスラストを落としたフロントローラーを武器に、ひたすら速度を伸ばすだけだ。連続コーナーでまたエスペランサと並びながら、クレイモアを追走する。そんなに遅れてる感じはしない。
「さ、泣いても笑っても最後の一周だぜ?」
「ふん、泣いてなさい!」
ロングストレートから連続ウェーブに至るまで、クレイモアは相変わらず快調に進む。そしてレーンチェンジブリッジへ。電池が消耗してる分、クレイモアはさっきよりマシな挙動でクリアしていたが、その着地の隙にエスペランサとドライブウイングがわずか、前に出る。その後の連続コーナー、クレイモアのセッティングにとって不利ってことはないだろうが、速度が乗ったままの俺ら二台にはなかなか追いつかない。そして、俺のドライブウイングはエスペランサに対しても一歩抜きん出たように見えた。
「ちょ、ちょっと!」
「エスペランサ、逃げ切れ!」
大型バンクの登りで速度がわずかに落ちたとき、ミッドレーンのドライブウイングがわずかにリード、アウトのクレイモア、インのエスペランサという順に見えた。右回りのバンク頂点から下って、左回りのコーナーを折り返し、直後のチェッカーラインを過ぎるまでは一瞬だった。
「よし!」
珍しく、俺の口から不意に声が漏れた。長いメインストレート、エスペランサとクレイモアはどちらが前とも判別できず併走。しかし、ドライブウイングは半身ほどその先を行っていた。
「っかー!奈緒と同着かよー。」
「じょ、冗談じゃないわよ!」
よほど結果が不服だったのか、奈緒はだいぶ喧嘩腰に叫んできた。
「フンをお食べなさい、だわ。こんな僅差で勝った気になって貰っちゃ困るのよ!だいたいそのマシンはね、冴ねぇそのものって言ってもいいくらいのもんなのよ。どこの馬の骨かわかんない奴に、そうそう使いこなせるもんじゃない・・・。」
「使いこなせてるとは、正直思ってない。でも、こいつは・・・、」
そこまで言われて、俺も黙っちゃいられなかった。俺は正真正銘自分の言葉で、こう続けた。
「ドライブウイングは、俺のマシンだ。神楽さんから譲り受けて、でも遅くなって・・・また、俺の手で鍛え直してきたマシンだ。借り物のままで走り続けられるほど甘くないことぐらい、わかってんだろ?」
奈緒は少し気圧されたように黙り、それから言った。
「・・・いいわ、とにかくもう一勝負、」
「いや、そこまでだな。」
部屋の外から声が割り込む。奈緒に似てそうじゃない、しかしどこか他で聞き覚えのある女の子の声。振り向くと、髪を一本に束ねてキャップを被った、割とボーイッシュな服装の女の子と、傍らにはメイド服を着た若い女性がそこにいた。女の子の方は間違いない、あいつだ。
「あ、イオじゃん。・・・アレ、なんで?」
イオはコースをさっと見回しながら言った。
「レーンチェンジの不安はおんなじでも、翔司郎はウェーブで減速し放題だ。逆回りの方が、まだ奈緒に有利だったと思う。」
「伊緒ちゃん・・・。」
今のレース展開、イオはしっかり捉えていたようだ。
「ドライブウイングがコースアウトしなきゃ、勝機はなかったかもしれない。・・・翔司郎、前より少し、速くなったね。」
「ん、ああ。」
それにしても、なぜイオが・・・と思ったが、奈緒と見比べてみてなんとなくわかってきた。服装雰囲気は違えど、背は一緒、よく見れば顔立ちも、声も。
「伊緒お嬢様、バッグは部屋にお持ちしましょうか?」
伊緒は促されるまま、肩に掛けたバッグを後ろに控えるメイドのお姉さんへ渡した。
「お願い。叶さん、ついでに、」
「いつものリュックと充電器ですね。少々お待ちください。」
壮太はぽかんとしていた。
「伊緒、おじょうさま?・・・ナニソレ?」
次回予告
壮「へー・・・お二人さん、いい暮らししてそーだなー。」
奈「そんな話はどうでもいいのよ。・・・だいたいあんた、割と速いわね。」
伊「それも言っておいたはずだけど?」
翔「で、お前らはなんで、神楽さんのマシンを持ってるんだ?」
伊「古い話になる。・・・新宿オフィシャルガーデン、聞いたことは?」
壮「何それ?」
翔「いや、よく知ってる。」
奈「じゃあ知ってる?六年前、第二次ブームの最後に、冴ねぇがそこで何をしようとしたか。」
壮「冴ねぇ?」
伊「次回エアーズ、Flag009【過ぎ去りし興亡】」
奈「チェッカーラインを見逃すな!」
壮「・・・あれ、翔司郎?」
翔「いや、もういいかと思って。」
翔司郎「この物語はフィクション、ってことで、細かいとこ色々突っ込まないでおいて貰えると、すごく助かります。パーツの金額とか、個人情報とか、諸々・・・。やべ!ミニヨンネットのパスワード変えないとかないと。」