第二章 ~そして少女は、幻想の実在を知る~
「――水、緑茶、紅茶、コーヒー、百パーセントオレンジジュースがありますけど、どれが良いです?」
優希は、キッチンからリビングでくつろいでもらっている二人と一匹に聞いた。
「私は麦茶で」と鈴。
「俺はコーヒーをブラックで」とレフィクル。
「私は緑茶でお願いしたい」とフォルティス。
見事にバラバラだな、と思いつつ、優希は湯船を溜める命令を湯沸かし器に与え、各人の飲み物を用意する。ちなみに優希は百パーセントオレンジジュースだ。
「ところで、フォルティスさんと言いましたか?」
「フォルティス=サルファーレだ。『武器庫』の本名は?」
「鈴です。伴野鈴。よろしくお願いします。私の事をご存知で?」
「君に限らず、大抵知っている。というわけで、よろしく頼む。それで?」
「あの、どうして着物なのです? 似合っていますけど」
「褒め言葉感謝する。父の影響で日本が好きで、和服が着たかったからだ」
「日本が? どういう事で?」
「父上が好きでな。日本語が話せるのもそういう理由だ」
「余程お好きなのですね。一日本国民として嬉しく思います」
「そう言ってもらえるとこちらとしても嬉しいよ。――ところで、私の格好に何処かおかしなところがあるだろうか?」
「と言いますと?」
「いやな、この格好で出歩いていたら、どうにも人に注目されるのだ。誰かに聞いてみようとも思ったのだが、こんな形だからか、誰も彼も私が近づくとそそくさと逃げられてしまい、終ぞ聞けなかった次第だ。だからまあ、良い機会なので聞いてみたのだが、どうだろう?」
「そうですね……済みません。私には分かりかねますね……」
「そうか……。ふむ。謎は深まるばかりだ」
「そうですねー」
「……あのさ、それって突っ込み待ち? 突っ込み待ちなんですか?」
飲み物を用意し終えてリビングに戻った優希は、いい加減突っ込んだ。
「と言うと?」
「優希ちゃん、分かるのですか?」
「ちょっと待って。えーっと、鈴はこれね」
そう言って、優希は鈴に麦茶が入ったコップを渡す。
「ありがとうございます」
「どうも。で、これがフォルティスさん」
軽く答えつつ、優希は緑茶が入った湯のみをフォルティスに渡す。
「かたじけない」
「いえいえ。で、これがレフィクルさん。熱いから気を付けてね?」
フォルティスにも同じ様に返し、ブラックコーヒーが入った器をレフィクルの前に置いた。
「安心しろ。こんな姿だが、猫舌ではない」
「そうなの? じゃあ、何でそんな姿?」
「妖精的な存在とはこういう姿だ、と本で読んだ」
「本? その姿で? 後、何を参考にしたの?」
「慣れれば問題無い。参考にしたのは、魔法少女が出てくる本だ」
「……あ、そう」
「それで? どうなのだ?」
そこで、フォルティスが横から入ってきた。
優希は向き合っている二人の横に座り、百パーセントオレンジジュースを一口飲んでから、口を開く。
「どうでも良いですけど、鈴もフォルティスさんもどっか抜けてますよね?」
「何ですか、藪から棒に?」
「君は随分と失礼な人だな」
「……そこの黒猫。アタシ、凄く怒りたいんだけど、怒って良いと思う?」
何処かズレがある二人の反応に、優希は体を捻って、我関せずという態度でブラックコーヒーを舐めているレフィクルに話を振った。
「そこで何故俺に振る? 後、俺はライオンだ」
「細かいね。だってアンタ、突っ込むの面倒だから黙ってるんでしょ?」
あれだけ饒舌に語っていたのに、鈴とフォルティスが歓談を始めてからというもの、レフィクルの声を優希は一度も聞いておらず、リビングに戻って来た時に盗み見れば、我関せずという雰囲気でそっぽを向いていたのだ。
レフィクルは、鈴とフォルティスを一瞥し、
「……逆に聞くが、あれに付き合えとお前は言うのか?」
優希に愚痴った。
それを聞いて、優希はレフィクルの苦労を悟った。
「OK。それに関しちゃ、アンタとは仲良く語れそう」
「……お互い、ズレがある友人を持つと苦労するな?」
「激しく同意しとく」
視線が痛かったので、優希は二人に視線を戻し、一つ咳払い。
そして、二人に答えを示す。
「疑問は、フォルティスさんが人目を引くのは何故って事ですよね? そんなのフォルティスさんが文句無しの美人だからに決まってるじゃないですか。付け加えて、着物姿。ただでさえ目を引く外見なのに、洋服が主流となって久しい今現在、そんな美貌でそんな格好してれば、目を引くのは最早必然ですよ」
「……なるほど。そういう事か」「そういう事だったのですね」
しみじみと納得する二人。
それを見て、優希はどうしようもなく突っ込みたい衝動に、
「突っ込んだら負けで、付き合っても疲れるだけだぞ」
駆られたが、そこで小さな声でレフィクルが言ってきた。
優希は一度の深呼吸で気持ちを整え、話題を変える。
「で――そろそろ教えてもらえませんか?」
優希がそう言うと、場の空気が一瞬にして張り詰めた。
「誰が教える?」
真っ先に口を開いたのは、フォルティスだった。
「俺が教えよう。二人ともそれで構わないか?」
それには、レフィクルが答えた。二人は首肯を返す。それを見ると、レフィクルは優希に近づき、正座する優希の膝の上に乗った。
「ちょっと、何してるの?」
「重いか?」
「いや、そういうわけじゃなく」
「俺が乗りたいからだが?」
「……はっきり言うね。変態」
「絵的には問題無いからセーフだ」
レフィクルは、頑なに降りようとしない。
優希は諦めて、ブラックコーヒーが入った皿を取り、自分の前に置いた。
「気が利くな。感謝する」
「コーヒーを無駄にしたくないだけだよ」
「ツンデレか? ツンデレは良いな」
「誰がツンデレだ」
「優希ちゃん、殴って平気ですよ」
「むしろ殴っておけ。変態猫には良い薬になる」
「冗談が通じない奴らだな。後、俺はライオンだと何度言わせる気だ」
「こだわるね。じゃあ、変態ライオン、改めて聞くけどさっきのアレは何?」
「表現が曖昧だな。もう少し明確にしてくれ」
と言って、レフィクルは器用にブラックコーヒーを舐める。
「そうね……じゃあ、天使。アレは天使なの?」
先ほどの事を思い出しながら、優希はまずその事を聞いた。
「その認識は正しいが、アレは一般的に『天使』と呼ばれている物とは違う」
「どういう風に違うの?」
「アレには一般的に『天使』と呼ばれている存在もいる。いるが、それ以外にも人間より高次な存在で、超越的な力を持った『天使』以外の高次存在もそこに含まれている。で、そういう者達が天の命を謳って地上に降りてくる。だから、一概に『天使』という単語から想像出来る存在だけではないのだが、やっている事はどいつもこいつも同じで、それ故に俺達はまとめて天使と呼んでいる」
「じゃあ、あんな形をしてないのもいるって事?」
「いるが、大々的に動いているのは天使だからな。出会うとするならば、高確率で天使だろう。先ほどの様に、な」
「ふぅん。……じゃあさ、伴野さんやフォルティスさんのあの姿は?」
「それを語るには、天使の目的を知ってもらう必要がある」
「天使の目的?」
「ああ。天使の目的は、人類を滅ぼす事だ」
百パーセントオレンジジュースに伸ばした、優希の手が止まる。
「……いきなり壮大で、でも凄く分かり易いね」
「ほう」
レフィクルが感嘆を漏らす。
「物分かりが良いな」
「そう? 当然の発想で当然の帰結じゃない?」
「普通は驚く。なあ?」
レフィクルは静観している二人に話を振った。
二人は頷き、
「私は受け入れるのに時間がかかりました。そんな事が起きているのだな、と」
と、鈴は言い、
「私は別口から聞いたのだが、私も面食らってしまったよ」
と、フォルティスが言った。
それを聞いて、レフィクルは優希を見上げる。
「ご覧の通りで、だから驚いている。ちなみに、二人の様な存在は今や五万といるが、お前の様な反応をしたのはお前だけだ」
「なるほど。なら、アタシがおかしいって事で――そうなってくるとアンタはさしずめ魔法の使者で、二人は所謂魔法少女って事で、あの格好は魔法少女としての正装というか武装で、その力で二人を初めとした魔法少女達は、日夜極秘裏に天使の攻勢から人類全体を守ってる――と推測するけど、これって正解?」
優希が持論を話すと、二人と一匹は目を見開き、口が半開きになっていた。
二人と一匹の反応に、優希は首を傾げる。
「どうしたの、皆して?」
「……お前も大概何処かズレがあるな、と思っただけだ」
「むっ。そんな事を言うのはこの口だね」
レフィクルの言葉に、優希はムッとして、ひげを引っ張った。
「や、やめろ! ひげは――」
その時、引っ張っていたひげがピンと抜ける。
「あっ」「――っ!」
優希の間の抜けた声と、レフィクルの声にならない悲鳴が重なる。
「だからやめろと言っただろう!」
「あーっと、ごめん……」
「謝る必要は無いですよ、優希ちゃん。レフィクルには良い薬です」
「私もそう思う。で、変態黒獅子。サボってないで説明を続けろ」
「お前ら……」
辛辣な二人を、レフィクルはジト目で睨んだ。
しかし、二人はすまし顔である。
そればかりか、
「小さい事をネチネチと……」
「しつこい男の人は女性から嫌われますよ?」
そんな辛口な事を言う始末だ。
それを聞いて、レフィクルはため息をつき、
「――お前の推測は正しい。理解力が高くて助かる」
優希の推測に正解を示した。
優希は、それを受け入れつつ、
「でも、二人はどうしてあんな事を?」
鈴とフォルティスに聞いた。
先ほどの事――ぶっ飛び過ぎたためにどうにか持ち堪えられたが、生命の危機――死の恐怖を優希は確かに感じ取っていた。だから、あの恐怖と向き合い、そればかりかそれをずっと続けていこうとしている事が不思議で仕方が無かった。
「それは報酬が支払われるからだ」
答えてくれたのは、フォルティスだった。
「報酬?」
「ああ。別口である私は違うが、ほとんどの場合は天使と戦わせられる使命を課せられるが、その報酬としてどんな願いでも一つだけ叶えてもらえ、そのために誰しも戦場に身を投じ、置き続ける事を決断したのだ」
「どんな願いでも……」
そこだけを復唱し、優希は鈴を見た。
「伴野さんは何を願って魔法少女に?」
「恥ずかしいので内緒です」
「そっか。……あのさ、失礼を承知で聞くけど、それって――」
「ええ。超越性に縋らなければ、叶わない願いでした」
「……そっか」
そう言った鈴の目には、確かな覚悟があった。
それが何なのかは、想像も付かない。付かないが、それでもフォルティスが言っている様に自分で決めたのだな、というのは読み取る事が出来た。
だから、優希は話題を変える。
「話を変えますけど、フォルティスさんが言う『別口』って何です?」
「答えるが、その前に一つ聞く。君は何故、私と話す時だけ敬語なんだ?」
「え? あ、いや、フォルティスさんの方が年上だな、と思ったので」
そう言った瞬間、フォルティスはがっくりとうなだれた。
地雷踏んだ、と悟りつつ、優希は恐る恐る聞いた。
「えーっと、アタシも伴野さんも十七歳ですけど、フォルティスさんは?」
「……だ」
「はい?」
「同い年だ!」
それを聞いて、フォルティス以外の全員が沈黙した。
「……そこで何故黙る?」
「いやいや、フォルティスさん、それはいくら何でもサバ読み――っ!?」
言い終わる前に超高速のパンチが、優希の目の前で寸止めされた。拳圧と呼べば良いのか、空気を切り裂いた際の衝撃波が優希の顔に吹き付ける。
「私は十七だ」
「じ、十七ですよね! そうですよね! 疑って済みませんでした!」
「うむ。分かってくれれば良い」
優希の謝罪に満足したのか、フォルティスは拳を引っ込め、座り直す。
「で――何の話だったか?」
「フォルティスさんの別口の話ですよ」
静観していた鈴が静かに口添えする。
それを聞いて、フォルティスは頷き、緑茶を一口啜ってから口を開いた。
「私はある天使に協力を求められ、だから別口なのだ」
サラリとそんな事を言った。
「て、天使って、ええっ!?」
優希は思わず声を上げる。
「近所迷惑だ。静かにしろ」
一方、喚かせた元凶は静かに優希の事を諭してくる。
「だ、だって、天使ってさっき話に出て来た天使ですよね? それなのに――」
「一口に『天使』と言っても色々いる、というわけだ」
「……じゃ、じゃあ、味方なんですか?」
「そういうわけではないが、敵対するつもりも無いし、した事も無い」
「なら、どうしてレフィクルを?」
そこで、鈴の糾弾が割り込んだ。
フォルティスは、鈴を一瞥した後、優希に視線を向け、
「――彼女が不規則な存在だからだ」
深刻な調子でそう言った。
それを聞いて、鈴とレフィクルは閉口し、眉根を寄せる。
「……どういう事?」
分からない優希は、我先にと尋ねた。
「私がレフィクルを殺そうとしたのは、君と引き合わせないためだ」
「えっ……」「心外だな。俺はこれでも人を選んでいるぞ」
優希の呟きと、レフィクルの反論が重なる。
フォルティスは、視線を落とし、目付きを鋭くしてレフィクルを見る。
「彼女の素質からして、お前が見逃すとは夢にも思えないからだ」
「ご明察。だがな、俺をあまり舐めるな。いくら素質があるとはいえ、これほどの不規則性を内包した者に働いてもらおうなどと死んでも思わん」
「……そうか」
肯定すると、フォルティスはテーブルから離れ、レフィクルに土下座した。
「なら、先の非礼を詫びる。こちらの早計を許してくれ」
「頭を上げろ。言っただろう? お前の判断はお前にとっては正しいと」
「早計過ぎるきらいは確かにありますけどね」
「ほら、トモノさんも――」
「先ほど言い忘れましたが、鈴で構いませんよ」
「感謝する。ほら、リンもこう言っているぞ?」
「……リン、ややこしくしないでくれ」
「私は事実を言っただけですよ?」
「ややこしくなっているからそう言っている」
「アタシからもお願い」
「……優希ちゃんの頼みなら聞きましょう」
そう言って、鈴はコップを持ち、席を立った。
「あ、ごめん、アタシが――」
優希は立とうとしたが、鈴は左手でそれを制した。
「お構いなく。優希ちゃんはお話の方を」
「あ、うん。ありがと」
「どういたしまして」
微笑みながら言って、鈴はキッチンへと消えていく。
「続けて良いか?」
そこで、フォルティスが優希に聞いた。
「あ、はい。お願いします」
「では――カミシロさん――」
「あ、優希でいいよ。さっきからフォルティスさんって呼んでるし」
「そうか。気遣いに感謝する」
「どういたしまして。それで素質って何?」
「魔法少女としての素質だ」
「ということは、アタシって魔法少女としては天才って事?」
「百年に一人の逸材、と言ってもいいだろう」
「ふぅん。それじゃあ、不規則って?」
パッと聞いた感じ、良い意味では捉えられない。それは鈴、フォルティス、レフィクルの反応を見れば、一目瞭然で、だからこそ聞いておきたかった。
「……気にはなっていました」
と、キッチンから戻ってきた鈴が言った。
鈴はそそくさと先ほどまで座っていた場所に戻りつつ、続ける。
「魔法少女になってから気付いたのですが、優希ちゃんは魔法少女として並々ならぬ素質を持っていました。ですが――」
そこで、鈴は言いよどんだ。尋ねづらさを堪え、優希は先を促す。
「ですが?」
「……それ以上に気になったのは、優希ちゃんから、人間以外の波長――レフィクルや天使が持つそれと同質の波長も感じられる事です」
「えっ――」
それを聞いて、優希は自分の耳がおかしくなったのかと思った。
「何、それ……? どういう事?」
「驚かせて済みません。でも、本当の事なのです」
そう言った鈴は、どうしようもないくらいに真面目だった。
困惑に苛まれる中、優希はまずフォルティスを見る。
「……伴野さんが言ってる事がそうなの?」
その問いに対し、フォルティスは黙して首肯した。
それを見て、優希は自分の膝元に視線を落とし、レフィクルを見る。
「……アンタも同意見?」
「ああ。だから、あの時『打開策は無い』と言った。許せ」
「……それほどの事なの?」
あまりの事に優希は呻いた。
有ったにも関わらず、それでも『無い』と言わなければいけなかった。
それはつまり、優希の中にある不規則性はそれだけ危険という事を意味する。
だからこそ、呻いた。
専門家を躊躇わせるほどの不規則性――。
何も分からない優希でも、その危険性が分からないほど鈍くは無い。
「……何なの、それ……」
「一応聞くが、心当たりは無いのか?」
「……あったら、こんな顔してないって」
フォルティスの問いに、優希は沈んだ顔で答える。
「それもそうか。では、リン――に聞いても分からないか。分かっているなら、先ほどの様な事はまず言わないだろうからな」
「つくづく早計ですね。無いとは誰も言っていませんよ? ただ――」
「ただ?」
問われた鈴は、フォルティスから視線を外し、優希に目配せする。
「別にいいよ。知られて困る事でもないし」
「? 何かあるのか?」
「優希ちゃんは記憶喪失なのです。それに私は気にする事無いと思いますし、記憶喪失だから当然なのかもしれませんが、優希ちゃんは自分が自分である、という実感がどうにも持てない様なのです。だから、何かあるとするなら、私でも知らない――優希ちゃんだけが知る思い出の中――そう私は見ています」
「記憶喪失に自分を自分だと思えない、か……」
鈴が口にした事を、確かめる様にフォルティスは反芻する。
「なるほど。判断材料としては十分だな」
「しかし、謎は深まったな。そして、一瞬にして袋小路だ」
フォルティスの納得に、レフィクルは反論し、ため息交じりに締め括る。
「全くだな。記憶喪失では手の打ち様が無いからな」
納得したフォルティスもそれが分かっているのか、曇った表情は晴れない。
「だね。……あ、でも、アタシが――」
「いけません」「駄目だ」「オススメしない」
優希の思い付きを、二人と一匹は一斉に遮った。
一斉に否定され、優希は意気消沈した。
「……何も全員で言わなくても……」
「そうは言うが、ユウキの不規則性はそれだけ危険なんだ。だから、私は私達が納得出来るまでユウキの側にいると決めたのだ。一方的な都合を押し付ける形になって済まなく思うが、どうか聞き分けて欲しい」
「それはつまり、優希ちゃんを監視するという事ですか?」
フォルティスが言い終えた瞬間、鈴が詰問する様に聞いた。
「――これを見ても監視の必要が無いと言えるか?」
そう言った瞬間、フォルティスは得物を抜き、優希を攻撃した。
「くっ――えっ?」
焦燥した鈴だったが、それは一瞬にして困惑へと変質する。
当然。超高速で抜き放たれ、躊躇う事無く優希の首を切断せんとした一閃は、他の誰でも無く優希の手によって鮮やかに止められていたのだから。
「……あの、精神的にきついからやめてくれない?」
「許せ。ユウキの不規則性を分かってもらうにはこれが一番手っ取り早い。それと金輪際こういう機会が訪れない限りはやらない」
謝罪しつつ、フォルティスは真紅の大鎌を引っ込める。すると、突如出現した真紅の大鎌は、現れた時同様まるで手品の様に消えた。
得物を消し、フォルティスは中腰状態の鈴に視線を移す。
「これで分かったか? どういう理屈なのかは分からないが、一端でもこれだ。こんな人物が魔法少女の力を手に入れてみろ。どんな化学反応が起こるか分かったものではないだろう? それに、私が常に側にいれば、契約を結ばなければならない、という危機的状況に陥ったとしてもすぐに対応出来る。理由は違うが、リンとて友人にあんな経験をさせたくはないだろう?」
「それは……そうですけど……」
「だろう? だから――」
言葉を切ったフォルティスは、立ち上がり、深々と頭を下げた。
「一方的な都合を押し付ける形で済まないが、私の提案をどうか受け入れて欲しい。これまで働いた非礼の数々を私に詫びさせてくれ。この通りだ」
真摯な懇願に、優希と鈴は顔を見合わせた。
「優希ちゃん、どうします?」
「アタシは賛成。ならせてもらえないみたいだからね。伴野さんはどう思う?」
「はっきり言えば、不安が残ります。理由を拝聴し、それは確かにフォルティスさんにとっては最善だという事が分かりました。でも、力に訴えて物事を解決しようとする短絡思考が鼻につきますし、今は問題無いとしても『危険』と判断出来た場合、フォルティスさんは優希ちゃんを殺そうとするでしょう」
「そうなるだろうね。すでに一回殺されそうになったから分かるよ」
「なっ――そ、それは一体どういう――はっ! そういえば、フォルティスさんは優希ちゃんの不規則性に気付いて――い、一体何時の間に!?」
鈴の絶叫に、レフィクルが説明に入った。
「俺がフォルティスに襲撃された時だ。ちなみにその時、柄にも無く叫んでしまったのだが、その声をユウキは聞き、俺を助けるために首を突っ込んだそうだ」
「レフィクルと優希ちゃんが一緒だったのはそういう事情だったのですか」
「そういう事。いやー、あの時は本気で死を覚悟したよ」
「完璧に回避しておいてよく言う。結局忠告も無駄になったからな」
そこで、頭を上げたフォルティスが割り込んだ。
それを聞いて、優希は閃いた。
「あ、ひょっとして、あの時の忠告ってアタシを魔法少女にしないために?」
「あの時ってどの時です?」
それを聞いて、鈴が割り込んだ。
「外野さんの部屋を掃除してた時だよ」
「智世ちゃんの? ……何でフォルティスさんが智世ちゃんの家に?」
「外野さんに用があるみたいだったけど?」
「いや、私は『Unknown』を探しにこの町へとやって来たのだ」
「『Unknown』って?」
「元はその名称通り、正体不明の何か。強大な力を持っているが、素性、目的、正体――あらゆる意味で不明。それ故に誰からもマークされている」
「何と無く聞かなくても分かる気がしますけど、なら、今は?」
「君の事だ、ユウキ=カミシロ」
「……やっぱり、そうなんだ」
予想通りの答えが出て来た事に、優希は後頭部を掻きつつ、ため息をつく。
何せ、さっきの今だ。理解に至るな、という方が無理な話だ。
「そう気を落とさないでくれ。証拠過多だが、今のところ暫定だからな。で――話を戻すが、ユウキへの忠告はユウキの未来を慮っての事だ」
フォルティスの言葉に、優希はきょとんとした。
「? 何でフォルティスさんがアタシの事を心配してくれるの?」
「ユウキがとりあえずとは言え、日常を尊い物だと思っているからだ」
そう言って、フォルティスは湯飲みに視線を落とし、表情を少し曇らせる。
「不規則性を内包していても、ユウキの素質は凄まじく、故に魔法少女になる事は時間の問題だと思った。だが、魔法少女なんて好き好んでなる物ではない。いくら願い事を叶えてもらえるという報酬があったとしても、それにより歩く事になるのは命の価値が無いに等しい修羅の道。だから、一先輩としてそんな道を歩かせたくないと思った。ただそれだけだ」
言い終えて、フォルティスは湯飲みを口元に運び、緑茶を啜った。
「つまるところ、自己満足欲しさの愚行だ。笑ってくれていいぞ」
それを聞いて、優希は申し訳無さで一杯になった。
「……済みません。折角の厚意を無駄にする事になって」
だから、素直に謝った。
「気にしなくて良い。自分でそうすると決めたのだろう?」
「え? ――あ、は、はい。自分でそう決めました」
それだけは断言出来る。少しでもマシな方――そういう理由で選んだ事だが、強制されたわけではなく、流されたわけでもなく、確かに自分で選んだから。
それを聞くと、フォルティスは優しく微笑んだ。
「なら、尚更気にするな。自分で決めた事なのだからな」
そう言って、フォルティスは席を立ち、皆に一礼した。
「馳走になった。私はこれでお暇するよ」
「どちらへ?」
「野暮用を片付けてくる。ではな」
鈴の質問に素早く答え、フォルティスは足早にリビングから出て行く。
「鍵は開けとくし、布団も用意しとくから良かった使って」
その背中に優希は言った。
護衛をしてもらう以上、家主としてもてなさなければ、と思っての事だ。
「気遣い感謝。では、また後ほど」
そう言って、フォルティスはリビングを後にし、上代家から出て行った。
フォルティスを見送り、優希は時計に視線を移した。
「もう二十三時なんだ……明日はサボろうかなー」
それを聞いて、鈴は怒った顔をする。
「駄目ですよ、優希ちゃん。学生の本分は勉学なのですから」
優希は露骨に嫌そうな顔をした。
「えー、だって、あんな事があった後だよ?」
「駄目です。私はちゃんと行くのですから」
「じゃあ、伴野さんも休もうよ」
「それは無理です。私、先生方に目を付けられていますから」
「およ? それまたどうして?」
「私が外出規制時間に出歩いているところを目撃されてしまったからです。適当に誤魔化してはいますが、休んだとしたら間違い無く邪推され、そうなると両親に連絡されてしまい、外出し難くなるからです」
「あー、なる」
「というわけで、優希ちゃんも付き合ってください」
「えー……」
「お願いします」
「……はー、分かった。ちゃんと行くよ」
「それでこそ優希ちゃんです」
「もう。褒めてもお風呂くらいしか貸せないよ?」
そう言って、優希はレフィクルを膝の上から下ろし、席を立ち、盆に汚れた食器を載せていく。鈴もそれを手伝った。片付けを終え、二人はキッチンへ。
「それで結構です。このまま寝るのはちょっときつかったので」
「アタシも。じゃ、アタシは着替え用意するから、これお願い」
優希は食器が載ったお盆を鈴に渡し、キッチンを出て二階へ。
自分の着替えと鈴の着替えを箪笥から抜き取り、一階へ戻り、風呂場へ。風呂場の前では、鈴は到着を待っていた。
「お待たせ。これ使って」
優希は持ってきたパンツとTシャツを鈴に渡した。
「お借りします」
「どうぞ、どうぞ」
「なるほど。どうするのかと思ったら、Tシャツで代用するのか」
「貧相な胸で――」
優希は途中で言葉を止め、足元を見た。
そこには、しっかりと見上げているレフィクル。
優希達は、上はブラウス、下はパンツだけの姿だ。
自分とレフィクルを交互に見つめ、
「な、何してんの!? 何当然の様について来てんの!? 何見てるの!?」
下を隠しつつ、大声で叫んだ。当然である。
「騒ぐな。近所迷惑だ」
「そうですよ、優希ちゃん」
言いながら、鈴は衣服を脱いでいく。
「ちょ、と、伴野さん! 変態黒獅子が見てるよ!?」
「? それがどうかしました?」
「待って! その反応は絶対的におかしいから! 何で!? 何でなの!?」
「何でと言われても……別に見られて減るものじゃないですし」
言いつつ、ついに一糸まとわぬ姿になる鈴。
「へ、減るよ! だって、この変態黒獅子、雄だよ!? 前隠して!」
「減りませんってば。ほらほら、優希ちゃんも早く脱いでください」
「減るってば!」
「喚くな。威張るなら、威張るほどの曲線美を得てから威張れ」
「貧相って言うんじゃないわよ!?」
「誰もそこまで言っていない。後、リンと比べたら大抵貧相だし、別に無いというわけじゃないのに何をそんなに喚く? それから需要はあるぞ」
「常識を説いてるの! 需要とか知らん! さっさと出てって!」
「危険地帯に好き好んで突っ込んでくる奴に常識を説かれたくはない」
「ここでそれを持ち出すな! 言い返せないでしょ!?」
「そこは無理にでも言い返すところでは?」
「冷静な突っ込みありがとう! ああもう! 見たきゃ見ればいいじゃん!」
強引に脱がそうとする鈴の手を払い、優希も一糸まとわぬ姿になり、鈴の背中を押して、脱兎の如く浴場に入り、引き戸を力任せに閉じた。
「入って来たらぶっ飛ばすからね!」
浴室の中から、優希は外にいるレフィクルに叫ぶ。
「流石にそこまではしないから安心しろ」
そう言って、レフィクルは浴室から出ていく。
遠ざかっていく足音を聞いて、優希は肩すかしを食らった気分になる。
「全く、何なのよ……」
「まあまあ。それより優希ちゃん、先に湯船へ」
優希がぼやいた時、シャワー片手に鈴が言った。
「と――って、いいの? 汚れちゃうよ?」
「気にしません。ここは優希ちゃんの家ですし、私と優希ちゃんの仲ですよ?」
「そう? なら、お言葉に甘えて」
優希は一礼し、湯船に浸かった。
それを見て、鈴は椅子に座り、髪を熱湯になったシャワーを浴びせて濡らす。
「熱くない?」
「平気です。お気遣いありがとうございます」
「どういたしまして。……はー、疲れが取れてくー」
肩までしっかり浸かり、優希はのん気にそんな事をぼやいた。
その隣では、鈴が洗髪を始める。
「優希ちゃん、その――」
「分かってる。彼には感謝してる。おかげで少しだけ楽になったから」
鈴の言葉を遮り、苦笑交じりに優希は答えた。
ちゃんと分かっている。優希があの時感じた死の恐怖、事情説明により発覚した奇妙な合致――それらを優希に考えさせないために、レフィクルは敢えて道化を演じていた事を。それが分からないほど、優希は鈍くは無い。
「となると、最後は見せたのはささやかなお礼なのですか?」
「……分かってて言わないでよ」
「これはとんだ失礼を」
「別に良いよ。まあもっとも、アタシの体じゃ目の保養にならないだろうけど」
「平気ですよ。彼、スレンダーな女性が好きですから」
「そうなの? なら、少しは見せた甲斐があるかな?」
「まあ、こちらの不手際なので優希ちゃんが非を感じる必要は無いのですけど」
「いやいや、アタシが首突っ込まなきゃ良かったわけだから、非は百パーセントアタシにあるよ。勇気と無謀を履き違えちゃいけないね、うん」
「でも、そのおかげでレフィクルは生き長らえる事が出来ました。優希ちゃん、遅くなりましたが、レフィクルを助けてくれてありがとうございます」
「お礼は不要だよ。アタシは自分の都合で動いただけだし」
「そうだとしても、ありがとうございます。おかげで、私はまだまだ恩返しを続行出来そうですから」
「恩返し?」
「報酬の事です。私は前払いで頂いているので」
「ふぅん……。そういう事も出来るんだ?」
「内容によりますけどね」
そこで、鈴は洗髪を終え、体を洗い始めた。
そうして、二人は同時に黙った。
立つのは、シャワーから熱湯が流れ、雫がタイルに降り注ぐ音のみ。
「……あのさ、聞いていい?」
少しして、優希は静かに口を開いた。
聞きたい事はたくさんあった。あったが、それを聞くのには、悲鳴の発生源に向かう時よりも勇気が必要だった。それをどうにか固められた。
「私が報酬に望んだ事以外で、私が答えられる事ならお答えします」
「大丈夫。それはもう聞かないから」
「ありがとうございます。それで? 聞きたい事と言うのは?」
「あのさ、どうしてあの時、伴野さんは反対したの?」
「反対? ――ああ、優希ちゃんが魔法少女になろうとした時ですか?」
「そう」
優希が答えた時、鈴は体を洗い終え、泡も落とし終えた。
優希は湯船から上がり、鈴と場所を交代し、髪を濡らしながら続ける。
「レフィクルやフォルティスさんにが止めたのは分かるけど、伴野さんにとっては得しかないじゃん? それなのにどうして?」
「――『アナタ』が自分を大切にしないからです」
その言葉に、優希は驚きのあまり、洗髪していた手を止めた。
驚きは当然。あれだけ否定していた鈴が、明らかに『今の優希』を意識して言っているからだ。そんな事ただ一度としてなかったのに。それは『今の優希』を認めているという事になり、つまりこれまで鈴は『今の優希』を『上代優希』ではなく、別の物として扱い、その上で同じ態度を取って来た、という事に他ならないだろうから。
「……何で?」
だからこそ、その疑問が自然と零れ落ちる。
「何で? 何でそんな風に接してくれるの?」
理性で抑えようとした。しかし、決壊した感情の波の勢いは止まらない。
「アタシは……今ここにいるアタシは! 皆が知ってる……皆が帰って来て欲しいと願っている『上代優希』じゃないんだよ!? そればかりか、アタシのせいで『上代優希』はこんな事になってるのかもしれないんだよ!? それなのに……こんなアタシにどうしてそんな風に接してくれるの!?」
ずっと疑問に思っていた。
『上代優希』の事を知れば知るほど、その疑問は明確さを増していった。
奇異の視線を向けられたのは、復学してからほんの少しの間だけ。それ以降は、慣れ親しんだ級友に接する様に誰も彼もが接してくれた。鈴以外には自分に対する違和感を話していないにも関わらず、誰も彼もが『今の優希』を『上代優希』としてではなく、別の誰かとしてきちんと見てくれていた。そしてそれは、『今の優希』が『上代優希』として振る舞おうとすればするほど顕著になっていった。
それは、『今の優希』にとって嬉しくもあり、辛くもあった。
結果はひたすら裏目。どんな事をしても、周りの目は変わらなかった。
でも、それは逆に『今の優希』が認められている、という事でもある。
だから、ずっと不思議で不安だった。
「――『アナタ』が『上代優希』を大切にしてくれるからです」
その言葉に、優希は鈴を見て、言葉を失った。
そう言った鈴は、優しさしか感じられない笑みを浮かべていたから。
そんな微笑みを湛えたまま、鈴は静かに続ける。
「『アナタ』は悪くありません。むしろ『アナタ』は被害者です。突然分けの分からない状況に放り込まれ、対応する事を余儀無くされている人。それにも関わらず、『アナタ』は『上代優希』の事を思い、少しでも皆が望む『上代優希』になろうと努力しています。そんなのは『アナタ』を見れば一目瞭然です」
「でも……だけど……」
「ええ。『アナタ』が原因かもしれないという可能性はあります。『アナタ』と言っていいかもしれない不規則性はそう邪推する事も出来る判断材料ですから」
でも、と鈴は一度区切る。
「この事は『上代優希』の行動の結果と見る事も可能です。『上代優希』が行動をした結果、本意か不本意かは分かりかねますが、記憶を失う、或いは失いたいほどの結果が待ち受けており、それによって『アナタ』が生まれた、と。こういう風に考えた事、今まで一度も無いでしょう?」
「え? う、うん……。だって、アタシがいる事自体がおかしいし……」
「やっぱり。そんな風に考えているから、言動に出てしまい、努力が水の泡と化してしまっているのです。『上代さんが何か無理してる様に見えるというか、変な事言うけど、何と言うか別人が上代さんを演じている感じがするんだけど、伴野さん何か知らない?』――こんな事を色んな人に聞かれるくらいに」
「……そう、なんだ」
「ちなみに適当に誤魔化しているのでご安心を」
「……どんな風に?」
「記憶を失っているのだからそういう風に感じるのは当然でしょう、と」
「……それ、丸きり正解じゃん」
「ええ。だからちゃんと言ったじゃないですか。『適当』に、と」
「……そっちの『適当』かい」
「『適当』という単語はこういう風に使うのが正解で、そちらは誤りですよ?」
そう楽しげに言って、鈴は一つ咳払いし、真面目な顔になってから続ける。
「長くなりましたが、過去がどうだろうと、周りがどうだろうと、魔法少女として戦う事になるのは、他の誰でもない『アナタ』です。それでも尚、『アナタ』が『上代優希』のために願って戦うというのなら、私は止めませんし、そのお手伝いをします。ですが、私個人の意見ですけど、戦うのは『アナタ』なのですから、報酬として支払われる物は『アナタ』の物だと私は考えており、『アナタ』自身のために願うべきだとも」
そう言って、鈴は湯船から上がり、
「優希ちゃん、先に上がりますね。私に気にせず、ゆっくりしてください」
浴室の外へ出て、体を拭き、浴室を後にしていく。
遠ざかる足音を聞きながら、優希は体をよく洗い、泡を流し、髪と体をよく拭き、用意しておいた着替えを着て、鈴の後を追う。
リビングに近づくと、奥の方から物音がした。
「レフィクル、そこは貴方の寝場所ではありませんよ?」
それに交じり、鈴の叱咤が聞こえて来た。
「ライオンはこたつで丸くなると言うだろう?」
ついで、レフィクルのどうでもいい反論も聞こえてくる。
何と無く入るのを躊躇われたので、優希はその場で盗み聞きする事にした。
「それを言うなら猫ですし、ここは布団です。丸くなるなら向こうですればいいでしょう。後、猫科だからという逃げをしたらぶっ飛ばしますからね」
「布団を温めておいてやろうという俺の思いやりが分からんのか?」
「だったら、優希ちゃんの布団を温めて来てください」
「安心しろ。それはもう――ま、待て! 剣を仕舞え! 落ち着け!」
「私とした事が。済みません、手が滑りました」
「逃げの常套句痛み入るよ。それで? あの子は?」
「先に言っておきますが、強要したら許しませんからね?」
「その辺は安心してくれ。それで?」
「出来る限りはしました。後は優希ちゃん次第です」
「そうか」
そこで、小さな足音が聞こえてきた。
優希は慌てて逃げようとしたが、
「そこの悪魔、言った側からどういう了見です?」
それをするより早く、鈴の敵意しかない言葉が耳をついた。
「言ったはずです。強要しないで、と」
「フォルティスも早計だが、リンも大概早計だな。釘を刺しに行くだけだぞ?」
「優希ちゃんにこれ以上余計な事を吹き込まないでください。ただでさえ――」
「リン、あまり俺を見くびってくれるな」
有無を言わせないその物言いに、優希は自分に向けられた言葉ではないのに萎縮してしまった。それだけの迫力が、その言葉にはあった。
「確かに戦力は欲しいさ。だが、あの子を魔法少女にするという事は、赤ん坊を戦車に乗せる様な物だ。つまり、あの子は戦力としてはまるで使い物にならず、そんなのこっちから願い下げだ」
「でも、契約を持ちかけたじゃないですか」
「阿呆。何事も命あっての物種だ。あの子みたいな馬鹿は嫌いじゃないが、そういう馬鹿だからこそ己の愚行を悔い改めさせる必要性があるだろう。そのためには生きてもらわなければならない。だから、生かそうと思った。それだけだ」
「……素直に『嬉しかったから』と言ったらどうです?」
「そうは言うが、本人が聞き耳立てているのに恥ずかしいだろう?」
それを言って、引き戸の向こうが慌しくなる。
「……いるのですか、優希ちゃん?」
そして、引き戸の向こうから鈴の問いかけが投じられた。
優希は観念してリビングに入る事にした。
「……あはは、いや、その……何か入り難くて……その、ごめん」
「謝罪は不要です。聞かれてまずい事を話していたわけじゃありませんから」
「俺としては聞かれたくなかったが……それはそれとして、ユウキ」
「は、はい!」
名指しされ、優希は直立不動になった。
一方、レフィクルは首を傾げ、鈴を見る。
「リン、彼女どうかしたのか?」
「貴方が怖い声で私に色々言ったからでは?」
「そうなのか? 別に怒ったつもりはないぞ?」
「あれでですか? だとしたら今後は控えてください」
「了解した」
そう言って、レフィクルは改めて優希を見た。
「ユウキ、魔法少女になる事そのものを止めはしない。他の同様、お前にも超越性に縋り、何を犠牲にしても叶えたい願いの一つや二つあるだろうからな」
だが、とレフィクルは強めの語調で一度区切る。
「その道を選んで待っているのは、命の価値がタダ同然の修羅の道だ。その事を絶対に忘れず、それを踏まえた上でどうするのかよく考えてみてくれ」
「……分かった。肝に銘じとく」
「結構。なら、今日はもう休め。明日に差し支えるからな」
「うん、そうする」
優希は肯定し、リビングに背を向ける。
去ろうとして、鈴がどうするかが気にかかり、再び身を翻す。
「そういや、伴野さんはどうするの?」
「フォルティスさんを待って、それから休もうと思います」
「そうなの? なら――」
「優希ちゃんは休んでください。今日は疲れたでしょう?」
「そういう――ふぁあ」
言いかけた時、欠伸が自然と零れた。
それを見て、鈴が小さく笑った。
「ふふ。体は正直ですね」
「……そうみたい。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうね」
「そうしてください」
「そうする。お休み、伴野さん。それと変態黒獅子」
「お休みなさい、優希ちゃん」
「別に構わないが、俺はついでか?」
「冗談だよ。お休み、レフィクル」
「ゆっくり休め」
「うん、そうする」
一人と一匹とのやり取りを済ませ、優希は自室に下がった。
自室に戻り、ベッドに潜り込む。
「あ、ホントだ。あった……」
言い終える前に、優希はまどろみに沈んだ。