第61話:崩れ落ちた後で(後編)
エリオットは、まだ顔色が悪かった。
シャツは新しいものに着替えているが、瞳の光はいつもより弱い。本来なら寝ていなければならない身体。
空間転移で来たのだろう。白峰さんが連行されたことで「神の呪詛空間」が消え、移動が可能になったのだ。
「……来ちゃだめだって言ったのに」
床に座り込んだまま、かすれた声で言った。
「千里眼で見ていた。全部見た。だから来た」
「あんた、まだ回復してないでしょ」
「回復は後でいい」
エリオットが、ゆっくりと膝をついた。
私の目の前で。蒼い目が、真っ直ぐにこちらを見ている。
「よく戦った、私だけの令嬢」
声が、震えていた。
あの鉄壁のポーカーフェイスの男の声が、はっきりと震えていた。
「やめてよ……そういうこと言うの……」
「言わせてくれ。一度だけ」
エリオットの手が伸びた。
私の手を握った。冷たい手。大魔法使いの手は、いつだって冷たい。
でも今は、その冷たさが心地よかった。
「あの宮廷で、私は守れなかった。処刑台の前で、何もできなかった。永い間ずっと、その後悔を抱えていた」
声が途切れそうになる。神の呪縛が喉を焼いているのだ。真相を語ろうとするたびに、激痛が走る。
でも今、白峰さんが捕まったことで、呪縛が少しだけ弱まっている。完全には解けていないが、言葉の端は漏れるようになった。
「でも今日、君は自分の力で立っていた。あの会議室で、あの時の君より遥かに強く」
「前世の私が弱かっただけだよ」
「違う。リスクの高い手段だけを避けて戦った前世の君と、どんなに泥臭くても現代の手段で戦い抜いた今の君は、同じ人間で……同じくらい、いや……」
エリオットの蒼い目が、初めて潤んだ。
「今の君は、あの頃より強い。ずっと強い」
私の目から、また涙が溢れた。
今度は、悔しい涙でも悲しい涙でもなかった。
自分でもよくわからない涙。ずっと欲しかった言葉をようやくもらった時に出る、名前のない涙。
「……ちゃんと自分でやれた」
笑った。泣きながら。
「ちゃんと、自分の力でやれたよ。あんたの魔法なしで」
エリオットが何も言わずに、両腕を広げた。
私はためらった。一瞬だけ。
イケメンアレルギーが、微かに頭を掠めた。
(でも、今日くらい、いいか)
身体を預けた。
エリオットの胸に、頭をつけた。
冷たくて、固くて、でもどこか安心する体温。
大魔法使いの腕が、ゆっくりと私の背中に回された。
二人の間で、何かが変わった。
これは、もう「イケメンへの恐怖と妥協の産物」ではなかった。
§ § §
どれくらいそうしていたか。
会議室の窓から、夕焼けが差し込んでいた。霞が関の空が、茜色に染まっている。
蛍光灯が消えた省庁の建物の中で、二つの影がしばらくの間、動かなかった。
「……帰ろう」
「うん」
「だし巻き、作る」
「あんた回復してないでしょ」
「魔法は使わない。手で作る」
「……じゃあ、三個ね」
「七個だ」
「増やすな」
立ち上がった。
エリオットの手を引いて、会議室を出た。
廊下には誰もいなかった。
静かな霞が関のビルの中を、二人で歩いた。
繋いだ手を、離さなかった。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
エリオットが駆けつけ、二人は初めて、恐怖でも妥協でもない抱擁を交わしました。
「今の君は、あの頃より強い」。途方もない後悔を抱えた大魔法使いが、ようやく彼女の強さを正面から認めた瞬間。
そして帰り道、繋いだ手を離さなかった。
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