イロモノビデオ④
――★★★――
どうして怨霊たちに物理攻撃が通ったのか?
大巡さんは全てが終わった後、部屋の掃除の最中に教えてくれた。
「まぁ、嬉しい誤算だね。おそらく、あのお嬢ちゃん用に渡した『霊体に触れられるお守り』が、長いこと使ってる内にこの部屋全体に適用されるようにでもなった……って感じかな。というかまぁ、そうなってくれたらいいなと思って、ずっと術を唱えて効果の増強は図ってたけどね」
「……じゃあ、彼があんな動きをしてくれなかったら、為す術はなかったってわけですか?」
「いやいや。その時は九十九くん自身が彼に代わってやってくれれば良かった話さ」
「俺に彼のような動きはできませんよ。怨霊とはいえ、人間を斧で叩っ切るなんて。霊体から血まで出るなんて聞いてないし」
「でも……君はやったでしょ? 愛する美里ちゃんのためなら、彼が動かなければ武器を奪ってでも戦ったんじゃないかな? 為す術がないと思っての行動だったら、尚更」
「………………」
美里のためならやったか。
美里はもういない。戦おうが戦わなかろうが、結局美里のためには何もできなかった。
「……随分落ち込んでるじゃないか。始めの頃は勘弁被るって感じだったのに、今では入れ込んでしまって。別れるのが辛くなるくらいだったら、関わらないようにするタイプの人間だと思っていたがね、九十九くんは」
「こんな別れ方じゃなければ、俺も今頃は笑ってますよ。やり残したこと全部やったら成仏するって話だったでしょ? ……あの後から何も新しいことはしてないのに、それなのに勝手に成仏されたら、バカやりながらいくらか過ごした時間は何だって話ですよ」
「ほぉ、そうかね」
そんなことを言いながら、大巡さんは壁に付いた血痕を、塩をつけた歯ブラシを時々日本酒に付けながら磨いている。どうやら霊体から生じた血痕は霊障となって残るばかりで、清めの塩と御神酒の合わせ技じゃないと取れそうにないそうだ。
「あの、つくもさん。僕も何か手伝えることはありますか……?」
「ユウキ、ありがとう。だけど、お前は美里みたいに実体化して物には触れないだろうからいいさ。お前も怖かっただろう。しばらくじっと落ち着いていてくれるだけでいい」
「そう、ですか……」
血痕は大巡さんに任せ、俺は部屋の壊れた品々を片っ端からゴミ袋に詰め込んでいく。部屋の隅から隅まで壊してくれたみたいで、大方全部入れていくと、むしろ部屋の中は物もなく綺麗になった印象を受ける。
そうなってしまうと……どうにもさっきまでのことが本当に起こったことなのだと思い返される。
「………………」
「――あぁ、九十九くんや。今回ばかりは人間絡みで無かったことにはできないだろうから、警察関係に関しては知り合いに手を回しておこう。今友人から連絡が回ってきて、どうやら手斧の彼は警察に『保護』されたらしい」
「ありがとうございます」
大巡さんは様々なところに人脈を持っていて、警察に関しては昔なじみの友人がたくさんいるとかで顔が広いらしい。怪異に巻き込まれて結果的に時々警察のお世話になることが今までもいくらかあったが……その度にあまり警察からの調査が俺の方に向かないように、大巡さんが調整してくれていた。今回に関しては俺が警察の聴取を全く受けないのも厳しいだろうが……極力面倒くさいことにはならないように手を回してくれるようだ。ありがたい。
「つくもさん、大丈夫ですか……?」
「ああ、大丈夫だ。ちょっとここまで派手にされると俺も放心しちゃうってだけだ。問題ない」
「それならいいですが……」
「九十九くん。どうやら予報では明日が大雨のようだ。どうせ沈むなら、その時にしなさい。警察が聴取に来たときに涙顔では都合も良くないだろう」
「……まぁ、被害者ですから。涙浮かべてたぐらいでも問題ないと思いますがね」
「はっはっは、それもそうか」
何とも言えない気持ちを抱きながら片づけを終え、大巡さんが帰っていき、二人きりになったところでユウキもいつの間にか部屋からいなくなっていた。
それから三十分ほどした後、大巡さんの馴染みの警察官が尋ねてきて、先刻錯乱した精神異常者を保護したという連絡を受けた。「逮捕」という言葉が出てこないのは、おそらく大巡さんなりの仕事への矜持で、その表現になるように根回ししたのだろう。本当に、あの人ができることの多さにはいつも驚かされる。
「君に関しては大巡の奴から聞いてる。災難だったね。被害届を出すなら受理できるし、君が望むなら損害賠償も請求できるだろう。特殊な事情らしいからあまりとやかくは言わないが、まぁ受け入れの準備だけはいつでも整えておく。事情は大巡の方から聞いてるから、君の合図一つで全てできるようにしておく」
そういって、警察官は連絡先を教えてくれて、あまりこちらに深く追求せずに帰っていった。本来ならありえないのだろうが、ここはそっとしておいてくれた大巡さんの配慮にこそ敬意を払って感謝すべきだろう。
「大雨、か……」
そうして俺は、何も無くなって殺風景になった部屋の中で目を閉じた。
――★★★――
雨音と共に、目を覚ましたような気がした。
まどろみの中、覚醒はしたが目は開けられない。今日は何もないからもう少し寝ていたい感情が、俺に目を開けさせない。
そう言えば昨日は毛布もかけずに寝たんだったとか、そう言えばあの後からずっと何も食べてなくて空腹だとか……そんなどうでもいいことばかりが寝ぼけ眼の中で思い出される。
トン、トン、トン……
一定のリズムで繰り返される音。加えて、みそ汁でも作っているかのような優しい香り。そして、そう言えば寒くない寝床。
これじゃあ、まるで――
「つくもー、ご飯でき――ふぁわわわ!」
「生きててくれて、良かった!」
強引に抱きしめる。ふぁさり、と何か落ちたが、どうせエプロンか何かだ、大した問題ではない。
「つくも、何言ってるの? 私死んでるよ? もしかしてバカになっちゃった?」
「あぁ!? バカはお前だ、美里!」
「え、えぇ、ひどくない? そ、そりゃ勝手に上がって冷蔵庫開けて料理作ってたけど……こんな大雨だと私も機嫌良くて、何かしてあげたくなるし、バカって言わなくても……」
どうやら美里は状況がわかってないようだ。
「違うよ、バカ」
「あー、今日はもう二回もバカって言われたー! ……あ、もしかして昨日のこと、怒って、らっしゃる……?」
「心配、したんだぞ」
「ご、ごめんなさいよぉ。悪気はなかったんだよ、本当に。流石にバカな私でもあれはちょっと怒られるな、って思ったもん」
「なんだよ。じゃあ昨日の別れ際は確信犯か?」
「……? 『かくしんはん』の意味がよくわからないけど、別れ際に何かしたっけ、私? いつも通り雨止んだから帰っただけなんだけど」
「はぁ? だって、お前……なんかもう成仏だか消滅だかして、二度と会えないみたいな感じだったじゃないか!」
「いやいや、成仏しなければ消滅もしないよ。まだまだやり残したことたくさんあるし。ってか、もしかして、力強いハグくらいで私が成仏するって思ってた? それはつくもぉ、キスまでしちゃったんだから、今更ハグくらいじゃ満足できないよ、私?」
やたら腹立つ返しをしてくる幽霊女。いつも通りと言えば聞こえは良いかもしれないが、安心する反面、バカさ加減にはやっぱりイライラもする。
「いや、昨日は私も興奮しててさ。『日陰の中、独りぼっちで寂しそうにしている人』って言って、『あぁ、これつくも聞いたら怒るかなぁー』って後で思って。いや、つくもは別に根暗で友達居なくて寂しい男の子じゃないよ! 幽霊の友達だっていっぱいいるし、大学と家の行き来しかしてないのに幽霊たちにはモテモテだし、年の近い人たちに話しかけてあんまり関わろうとしないのはきっと傷つけてしまわないようにする配慮だし!」
「……は?」
「いや、私もつくもは眩しいよ! 眩しすぎるけど、一周回って親しみが持てるっていうか、独り占めしちゃいたいって思いにされちゃうっていうか!」
こいつは……こいつは、ほんとに……
「じゃあ、たまには独り占めしてみるか?」
「え、何言って――」
ベッドの中に強引に美里の身体を引き込む。そして、上から覆い被さって動けないようにしてみる。
「ちょちょ、つくも! ごご、ご飯、冷めちゃうよぉ」
「バカばっかり言うお前にバカにされたままも面白くない。たまにはお灸を据える必要があるだろ」
「いやいやいや、『オキュウヲスエル』って何? 新手の天使? 私、天国送りにされるの?」
「ほんっとに、口が減らんな、美里」
「つくもだって変だよ。こんな体勢、私……」
「今回だけだ、美里。俺はお前のことが――」
今回は邪魔も入らない。ユウキも昨日の今日で、気を遣って訪ねては来ないだろう。
いつもは恥ずかしくて言えなかったし、適当にかわしてばかりいたけど、やっぱり俺はいつの間にかこいつ無しではいられなくなっていた。
最初は大雨なんて憂鬱だった。こいつが来るようになってからは鬱陶しいことが増えたと思った。
でも、最近は雨の日を楽しみにしている自分がいる。こいつが訪ねてくれるのを心待ちにしている自分がいる。
「つくも……声が……」
大雨は音をかき消す。ザアザアと耳障りだった雨音は、二人の関係を祝福しているようにも感じられ――俺はまた一つ、この風間美里という地縛霊が成仏するための一歩を進めてしまったのだった。
――イロモノビデオ FIN――




