記録:動き出す世界
「征覇様ぁ~? 征覇様ぁ~?」
「……ん……ぁ?」
少しずつ開けていく瞳に、鮮明な光が射し込んでくる。ハッキリと覚醒していく意識の中で、征覇は視界に居る、少女を見た。
――メイドの雪奈である。
(あぁ……そうか。――――って!)
「ゆっ、雪奈っ! 何してんだ、お前!」
「はい、征覇様を起こしに参りました」
「自分で起きるから、いいよ……はぁ」
髪の毛をクシャクシャと掻き毟り、征覇はゆっくりと体を起こす――前に、自分の体へ馬乗りになっている雪奈へ喋り掛けた。
「おい、雪奈。そこを退いてくれ」
「しょーがないですね。『征覇』」
いつもとは違い、征覇の事を呼び捨てで呼んだ雪奈。
そう、雪奈は霜月家のメイドであり――征覇の幼馴染である。二人きりの時は、呼び捨てで呼ぶのだ。雪奈はしぶしぶ、ベットから下りた。
「さて、朝食の前に……征覇。今日から私が学校まで送ります」
征覇はしばし沈黙の末――。
「はぁ!? 何で!? 学校ぐらい普通に行かせてくれ」
「いえ。ご両親が海外へお仕事の間、私達メイドが征覇を守らなければならないのです」
にっこりと、嬉しそうな笑みを浮かべて雪奈は言った。それが営業スマイルなのか、本心なのかは、征覇には分からなかった。
「あのさぁ……僕をその辺の、おデブ貴族と一緒にしないでくれ」
「その辺におデブ貴族はいませんよ?」
「……もういい。わかったよ、送ってもらえばいいんだろ!」
「はいっ!」
面倒臭そうに征覇はため息を吐き、今度こそベットから下りる。
すると、雪奈が不自然に征覇の方へ、体を密着させた。ふわっと、シャンプーの甘い香りが征覇の鼻孔をくすぐったのと同時に、征覇の心臓もドキッと高鳴る。
征覇は慌てた様子で、言う。
「お前っ、何やって――――」
「いいじゃないですか、征覇。いつもはこうして、二人で話す機会が少ないのですから」
「いや、だからって、こんなにくっ付かなくても……!」
征覇の首へ、雪奈は腕を掛けるように接近する。
雪奈の吐息が首筋に当たりそうになる、次の瞬間――。
「お兄ちゃん……一緒にゲーム、やろ――――って、あんた達、何やって……っ!」
偶然にも、妹の空が征覇の部屋へ入室して来た。空の片手には携帯型のゲーム機。兄と一緒にゲームをやろうと思っていたのだろう。
表情が次第に険しいものへと、なっていく。
「誤解だ、空。僕はメイドである雪奈に頼んでもいないのに、無理やり起こされたんだ」
「いえ。私は、征覇様に愛のあるご奉仕を――――」
「誤解を招く事を言うなっ! 空よ、この悪いメイドの言葉を信じるなよ」
征覇は何とか空の誤解を解こうと、冷静に訴え掛ける。ここで取り乱しても、状況が悪化するだけだろう。征覇は内心では焦っているが、冷めた表情で対応する。
すると、空の体が妙に、小刻みに震えていた。
征覇の危険察知能力が開花する。――ヤバい、妹が怒っている。
不可解な記憶の一部の情報である、妹が怒っている時のサイン。征覇は逃さなかった。
「そうだ、空。ゲームをしよう。学校まで少し時間があるし、いいだろ?」
「えっ、あっ――うんっ!」
「よし。じゃあ、部屋で待っていてくれ。――雪奈、離してくれないか?」
「うぅ……承知しました」
しぶしぶ、雪奈は征覇の体を解放した。メイドとして、少し出過ぎた事をやってしまっただろうか、雪奈は少し心配な気持ちになってしまう。
空は部屋を出て、自分の部屋へと帰って行く。征覇は部屋を出て、朝食を食べにリビングへ行く。その後を追うように、雪奈が付いて行く。
征覇は歩きながら、少し考える。
(…………何故だ?)
今思えば、征覇の今の状況には不可解な点がある。いや、もちろん世界がこのように、おかしくなってしまったのも充分に不可解なのだが……問題は別にある。
征覇が世界の異変に気付いて、何度か、雪奈や空へ話した事がある。
『世界がおかしい、と感じた事はあるか?』――――と。
しかし、決まって返事は、『いいえ』。ただ、自分がどうかしてしまったのだろう、と考えていた事もあった。だが、頭の中で眠る『記憶』がどうしても、その答えを妨げるのだ。
そして、征覇の答えは決まった。――『世界がおかしい』と。
なら。
どうして、自分だけがその異変に気付いているのだ?
否、『自分だけ』と確定付けるには早すぎるだろう。ただ、少なくとも周囲の人間は、どう見ても異常な光景を当たり前のように、受け入れているのだ。
「……ま、ンなコト、今考えても意味ねぇか」
「ん? 何か仰いました? 征覇様」
「何でもない、気にするな」
今はまだ、情報が必要だ。もしかすると、自分のような存在が他に居るかもしれない。そして、この不可解な現象を知っている者と話をしたい。そのためには、時間がいる。
焦らず、情報収集を繰り返していけば、いいだろう。幸い、何故か両親は海外へ仕事で出掛けている。何かと行動に制限が付く事はないだろうと、征覇は妙な安心感に包まれる。
――――
朝食を終え、更に妹とのゲーム(人気ハンディング・アクションゲームのお手伝い)も終え、征覇は学校への支度を済ませる。
カッターシャツを着、襟を黒のネクタイで締める。規定の制服を着こなし、征覇は鞄の持って部屋から出る。
そこには、律儀に征覇の支度を待っていた雪奈が居た。
美しい顔立ち。艶やかな黒い髪。細く長い手足。妙に似合っている、メイド服。素直に素晴らしく、美しい。
――しかし。
「なぁ、何でお前は、日本刀を携えてんだ?」
征覇が雪奈の腰の部分を見て、言った。雪奈の腰には、江戸時代の侍が使っているような、立派な日本刀が装備されていた。銃刀法違反などで捕まらないのだろうか。
思わず、征覇はポケットからスマホを取りだして、警察に通報し掛けた。
「誤解なさらないでください、征覇様。私は別に、ヒキコモリのオタニートのブラコン妹を駆逐しようだなんて、一ミリも考えていません」
「その発言で僕は確信した。キミは今すぐ、署へ行くべきだと思う」
征覇は半ば呆れながら、
「――で、腰のそれは何なの?」
「駆逐どう――護衛道具です」
「……突っ込むが面倒だから放置するけど、それ捕まらないのか?」
「メイド資格があれば、問題ありません」
にこりと、雪奈は微笑んで言った。
(なるほど。法律とかも、変わっちまったのか……。それにしても、『メイド資格』って無理あり過ぎだろ)
「そ。なら、行くぞ」
征覇は特に問い詰める事もなく、言った。
「はいっ!」
雪奈は良い返事で、歩く征覇の後を付いて行く。
玄関を出て、駐車場へ向かう。そして、征覇は黒いリムジンを発見する。初めてリムジンを見た征覇は、その黒光りするボディに、嫌気を指した。
(……うわぁ、目立つなぁ。これは……)
雪奈はポケットから、小型のリモコンらしき物を取り出し、カチッと機械のボタンを押す。ピッと無機質な電子音が鳴り、リムジンのドアのロックが解除される。
「どうぞ、征覇様」
言われるまま、征覇はリムジンの後部座席へ乗る。
すると、その隣に雪奈が乗る――と思いきや、雪奈は運転席へと乗り込んだ。
これには、流石に驚いた。
「は? お前、運転できるの? 免許は?」
雪奈は、征覇と同じ十六歳のハズだ。征覇が驚いた様子で訊ねると、雪奈は可憐な笑顔で答える。
「メイド資格です」
征覇は一つため息吐き、出発進行の合図として、こう言った。
「まったく、ご先祖に顔向けできねぇ有様だな、この国は――」