EP 2
光の晩餐と、闇の経済戦争
「ん〜〜っ! 龍魔呂さんの作った豚の角煮、お箸で切れるくらいトロトロだよぉっ!」
ポポロ村の片隅。小料理屋『鬼龍』の店内は、出汁と醤油の甘く温かい香りに包まれていた。
純白の兎耳を揺らしながら、キャルルが満面の笑みで頬を抑えている。
カウンターの奥では、赤いジャケット姿の龍魔呂が、相変わらず無表情のまま、手際よく次の料理の仕込みをしていた。
だが、キャルルの空になったグラスにすかさず温かいほうじ茶を注ぐその手つきには、彼特有の『無自覚な優しさ』が滲み出ている。
「ふふっ。本当に美味しいわね。……龍魔呂さん、私には熱燗をもう一本お願いできる?」
「……あぁ。少し待て」
輝夜は、備前焼のぐい呑みで冷えた体を温めながら、ふわりと微笑んだ。
窓の外には、美しい満月。店内には、穏やかな日常の笑い声。
誰もが思い描く、争いのない平和な世界の象徴のような時間が、そこには流れていた。
だが、輝夜は知っている。
この温かな光(平和)を守るために、今この瞬間、足元の深い暗闇の中で、恐るべき『虐殺』が行われていることを。
◆ ◆ ◆
「ルナミス帝国・第三通商ギルド、ならびにアバロンの筆頭貴族ダッジ伯爵。当方の仕掛けたダミーの穀物先物にフルレバレッジで食いつきました」
地下深くの戦略指令室。
青白いモニターの光だけが照らす無機質な空間で、蘭がチュッパチャプスを転がしながら、ゲームでも実況するような軽いトーンで告げた。
「馬鹿が。欲望に目が眩んだ豚どもめ」
義正が、指に挟んだ赤マルの灰をトントンと落とす。
「奴らの資産構成は?」
「全体の80%が現金と帝国通貨。残りが不動産と魔導具。今の先物買いで、奴らの手元資金は完全にロックされたよ」
「上出来だ。……蘭、相場の底を抜け」
義正の氷のような声に合わせ、蘭の指がエンターキーを叩く。
『――ピッ』
その小さな電子音が、二つの大国の支配層にとっての『死へのカウントダウン』だった。
「市場に流通している帝国の法定通貨を、俺たちのダミー口座から一斉に空売り(ショート)しろ。桁は限界まで積め。帝国の通貨価値そのものを、一瞬で『紙屑』に変えてやる」
凄まじい勢いで、モニター上の相場チャートが滝のように崩落していく。
ルナミスとアバロンの悪徳貴族たちは、自分たちの独占していた物資や通貨が、わずか数分の間に何の価値も持たないゴミに変わっていくのを、ただ見ていることしかできない。
「……えげつねぇ」
ソファでその様子を眺めていた信長が、顔を引きつらせて呟いた。
「物理でぶん殴って殺す方が、まだ慈悲があるわい。おどれら、笑いながら他人の人生(ケツの毛)までむしり取っとるじゃねぇか」
「プロを舐めるなよ、信長。血を流さない戦争ってのは、物理の殺し合いよりよっぽど残酷にできてるんだ」
義正が、獰猛な笑みを浮かべてモニターを睨みつける。
「奴らが慌てて資産を売却しようとした瞬間に、買い板を全部引き抜け。借金の強制決済で、奴らの領地も、屋敷も、隠し財産も、すべてシステムが自動的に差し押さえるように仕組んでおけ」
「了解〜。ダッジ伯爵の隠し口座、パスワード突破。……はい、全財産いただき。今頃、お城で泡吹いて倒れてるんじゃないかな」
蘭が悪魔のように無邪気に笑う。
彼女にとって、世界は数字のパズルに過ぎない。義正という最凶の指揮官の指示で、盤上の駒(貴族たち)が次々と消滅していくのが楽しくて仕方がないのだ。
「これで第一段階終了だ。奴らの富は、すべて俺たちの『ポポロ・ゴールド(PG)』に変換されて、この地下のサーバーに吸収された」
義正がタバコを灰皿に押し付け、首をボキリと鳴らす。
「明日の朝には、ルナミスとアバロンの支配層は、パンツ一丁の素寒貧だ。……ざまぁみろ、豚どもが」
◆ ◆ ◆
「はい。熱燗だ」
『鬼龍』のカウンター。
龍魔呂が、輝夜の前に徳利を静かに置いた。
「ありがとう、龍魔呂さん」
輝夜は熱燗をぐい呑みに注ぎ、ゆっくりと口に運ぶ。
五臓六腑に染み渡る酒の熱さと共に、彼女の胸の奥で、重い『覚悟』が静かに脈打っていた。
(……義正、蘭ちゃん。順調にやっているわね)
輝夜は、霞が関で数々の政策を打ち立ててきた官僚だ。
経済を破壊し、通貨を握ることが、どれほどの痛みと混乱を他国にもたらすか、痛いほど理解している。
それでも彼女は、このポポロ村の子供たちを、自分の大切な居場所を守るためなら、その泥を被る覚悟を決めていた。
「……輝夜?」
不意に、龍魔呂が怪訝そうな顔で輝夜を見下ろした。
「どうかしたの?」
「いや……。お前、今、ひどく『冷たい目』をしていたぞ」
龍魔呂の鋭い観察眼に、輝夜はほんの一瞬だけ肩を揺らし、そしてすぐに、いつもの優しい月の微笑みを作った。
「ううん、何でもないわ。……お酒が、少し強かったみたい」
表の光と、裏の闇。
ポポロ村の絶対的な勝利に見えたこの完璧な経済蹂躙が、やがて龍魔呂の抱える『信念』と最悪の形で衝突することになるなど、この時の輝夜はまだ、知る由もなかった。




