今思えば寿命尽きる寸前だったんだなあ
びちびちびちっ。
今までのくだりでサカナ要素あったか?
せっかくのスーパーイリュージョンに記者達無反応。
そもそも黒澤の行いが意識から外れている様子。まるで死神が人間を乗っ取った時のようだ。
杉田Bは黒澤の方を気にしつつもオジサンのもとへ向かう。俺のように間抜け面になっていないあたり、何かいる『雰囲気』を感じても黒いやつとか透き通るサカナまでは見えていないのかも知れない。
黒澤はまだ黒いやつを捕まえたまま、腕に力を込めて締め上げていく。だが、自在に変形するそのカラダが顎を上向きにした瞬間にぱかっと口を開いて、サカナを丸呑みにしてしまう。「あっ、くそっ!」黒澤は食わせることまかりならんと片手にすっぽり収まる程度の小さな鎌を持ち出す。
何処から出したかなんてのは最早些末な問題。
「ううわっ」
悲鳴を上げたのは俺。
鎌の鋭い刃先が黒いやつの被膜を易々と突き破り、臓物らしき物体がべちゃべちゃ床に垂れ落ちる。切り口から手を突っ込みまさぐる黒澤が、見事サカナを外へ出して見せた。
黒いやつ、中身撒き散らして萎んだのをいいことに黒澤の腕をすり抜け、しかも切れ込みから裂けて二つに分離しやがった。すばしっこくデタラメな方向へ転がるように動きながら離れていく。片方は投擲された鎌が命中してその身を絶やしたが、もうか片方は逃亡に成功。
黒澤は床に突き刺さって立っていた鎌を抜き取り、何やらスプレーを撒いてから戻ってくる。
俺が驚き呆れていると、戻ってきた黒澤がそんな俺を見て驚き呆れる。
「既に蟲の姿が見えているのですね。聞きしに勝る成長速度だ」
「あ、あの黒いやつが、ムシ?」
「そうですよ。あそこまで末期のタイプは初めてでしたか」
全部初めてなんだが。
適当に頷いて話を聞いていくと、ムシの寿命は数時間から数日と短く、最後の方は真っ黒になるとのこと。発生して最初は半透明の不定形でぼんやりのんびりしているが、寿命が尽きる寸前になると慌てて生きた証を残そうとするらしい。
いや言い方。胸に刺さりまくるわ。俺、ムシ並。
「生きた証ってのは、繁殖のこと? オスとかメスとかあるわけ?」
繁殖前に栄養を蓄えようと活発になるのがメスで、オスはそんなメスのまわりで求愛ダンスをしまくってアピール合戦だろうか。きっと、デカくて黒々艶々なヤツがモテるムシの世界。
どうせ俺は短小色ムラ十円ハゲの毛虫野郎だよ。
いかん、しっかりしろ俺。
突然『生きた証』とか言い出すからメンタルやられちまった。
「繁殖というか、特別な存在になりたがる、承認欲求行動みたいなものですかね」
いやだから言い方。
俺もさ、たった一人で誰も見向きもしなかった事業を成功させてさ、会社の窮地を救った英雄とか呼ばれてさ、今まで俺を馬鹿にしてきた奴らが手のひら返しで擦り寄ってくるのをほくそ笑んでさ、上から目線で俺を派閥に取り込もうとする役員どもに罵声浴びせてからあっさり会社辞めてやるんだとか思ってた頃があったさ。
今思えば寿命尽きる寸前だったんだなあ。
じゃねえよ、ムシの話な。
大きくは二種類の行動に分かれるという。
ひとつは物質化。つまりこっちの世界に入ろうってやつ。だから人間の目にも見える存在になる。と言っても、精々が石化して小さな石ころの姿で残る程度。しかも失敗して一瞬光ったり弾けた音になったり、風になって消えてしまうものの方が多いとか。切なすぎる。
もうひとつは分化。特異性を獲得しようと自ら進化を試みる。散々もがいた挙句、大半は何者にもなれず平凡に終わる。やめろ。本気で泣くぞ。
そんな俺みたいなヤツら退治なんかする必要ないじゃん、そっとしておいてやれよと思えば違った。
厄介な存在はどこの世界にもいる。
物質化と分化の両方を求め、捕食しまくって分裂を繰り返す往生際の悪いやつ。
「先程のはまさに、捕食を暴走させるタイプでしたね」
「捕食……」
黒澤が尻尾を掴んだままのサカナへ目が行く。
腹をガッツリもってかれているものの、背骨は無事なようで、べちべちと暴れてまだ元気だ。
「ムシは、サカナが好物?」
「さあ。私は興味がないので。いつも食われてる死神が詳しいでしょう」
これに訊けばいいみたいな感じでべちべちを目の前にもってこられる。
一瞬止まった。
目が合った。(気がする)
またべちべち暴れだす。
「えっ、コレ、まさか、死神なの!」
そうですけど。とあっさり簡単に答えてくれる黒澤。
こんなサカナの口から「だね」なんて聞こえたらホラーなんてもんじゃないぞ、今晩眠れなくなるじゃねえか。勘弁しろ。
死神の真の姿がサカナかと思えば、黒澤の説明は違うものだった。
人間に寄宿する死神を捕食するために、ムシが死神を実体化させるらしい。おそらくさっきのムシは川か海のある地域からやってきて、サカナが捕食可能なイメージだったのではと。なるほど。
わかるかい!
「死神って、そんなしょっちゅう人間の中に居るわけ?」
「居るみたいですね。私も詳しくありませんが、同じ人間に長くは居座ってられないので転々としているそうです」
何だそれ。ムシからしたら人間はタコツボみたいなもんなのかよ。
あの倒れたオジサン、災難だよなあ。
「よかった。これなら減給は免れるでしょう」
黒澤は事なきを得たと溜め息を吐きつつ、ポイっとサカナを宙に放った。
それは床に落ちることなく、空中で霧散した。
他の死神が拾っていったと。なるほど。
わかるかい!
「し、死神をそんなぞんざいに扱っていいわけ?」
「心配無用です。あれらに礼節などという概念はありませんから」
なくもないだろう。アレがもしルミさんだったら一週間折檻が続くところだぞ。
もしや、それさえもヒトの記憶に従って振る舞っているだけで、死神自身に思うところはないということなのか?
黒澤という男。死神という存在を冷静に分析してうまく対処している。こいつは俺が考えていたよりもはるかに手練なのだろう。
そしてもうひとつ知ったのは、ルミさん陣営、俺に対してかなり情報を絞っている。これはもう説明不足とかいうレベルでなく、飼っている実験体に余計な知恵をつけさせない意図が露骨に感じられる。
黒澤も実験体であった時は同じような境遇だったのだろうか。
とりあえずムシの説明が無かった理由で思いつくのはひとつだけ。
「ムシって、人間には無害なの?」
「はい。概ね無害ですね」
やはりそうか。
俺が見えていないのならば、わざわざ教える必要はない判断か。
突然オジサンの意識が回復。むくっと起き上がり、「いやー、思いっきり滑ったね」とスリッパの所為にしながら照れ笑い。怪我もないからと周囲を安堵させる。
やはり首には歯形も見当たらない。一見して無害だ。
むしろ、オジサンが転倒したように、食われる直前の死神が人間のカラダに及ぼす影響の方を心配すべきかもしれない。
ここまで見てしまった以上、もうムシを無視するわけにはいかない。
ムシだけに。てオヤジかよ。オヤジだよ。
「で、ムシって何なのさ?」
「蟲は、……いえ、このあたりは主観が混入しやすいので、源五郎さんたちに訊いてください」
急にオブザーバーとしての態度に変わる。
教え方を間違うと実験に支障が出るという内容なのか。
つまり俺は客観的な視野をもって正確にムシという存在を理解する必要があるということ。
焦る気持ちはあるが、ルミさんが後で教えてくれそうな雰囲気だったからな。この場で無理に問うのはやめておこう。これを我々の世界では『問題の先送り』と言う。
それはそれとして。
「さっき片方逃しちゃったけど、追わなくていいの?」
「依頼がまだ届かないんですよ」
依頼とは。
黒澤は自分のスマホを再確認しながら「普段はもっと素早く注文が届くのですけどね」と首を捻る。いや知らん。死神世界のIT化はスルーする。
「受注してからってのは正しいけどさ、死神が危険なんでしょ?」
かつてアホ君に説いた基本ルールの重要性に偽りはないが、何事にも緊急の人道的配慮はある。そして、どこの世界にも世知辛い現実はあった。
「受注前に処分すると一円にもならないんですよ」
「なんと。事後は認められないのか!」
はい。と深く頷く黒澤。
蟲退治の仕事は固定給+歩合制。受注前にムシを葬っても成果にカウントされず、しかも担当エリア内で死神がムシに捕食された場合はペナルティとして固定給から減給されるという理不尽な鬼畜制度だと、しみじみ語られた。
「既にこの一帯の弱い死神は逃げたでしょうし、蟲の方も担当エリアから外に出てもらえると助かるんですが。あの程度では狩っても幾らにもならないので」
あの程度がどの程度かなんてもういい。
聞いてるだけで疲れた。
いったい何の始業式だったんだよ。
ムシ退治の始業なんて知らんてば。
想定外の山盛りで腹がはち切れそうだ。
これ以上の設定追加は俺が許さん。
ていうかもう許して。
ムシ退治は黒澤の仕事。
その道のプロに任せておけばいい。
俺は学業に専念する青春只中の若人。
とりあえずこの場は、
杉田Bの『雰囲気』は侮れない。
ということだけにする。




