10.嵐の前の静けさ
長い廊下を歩き階段を下りて曲がった先には、応接室の扉の前で疲れた顔をして寄り掛かっているクリストファー様が目に入った。
帰宅後に急いで着替えたのか、白いシャツにトラウザーズと言う軽装をされている。
(……良かった。私の考え過ぎだったかな……。
そうだよね、ここは恋愛メインの乙女ゲームみたいな感じだもん)
やけに邸内に帯剣している者を多く見かけたので、悪い想像ばかりしていたが、それほど緊迫した様子では無さそうだった。
(王太子妃ルートを潰そうと思っていたら、まさかの内乱ルートに突入しちゃうのかなんて不安だったけど……)
こちらに気付いたクリストファー様が、ホッとしたような顔で近付いて来る。
「ルイーズ嬢」
「クリストファー様、お帰りなさいませ」
私は慰労の気持ちも込めて頭を下げた。
「先程は屋敷まで送ることが出来ずすまなかった、随分支度が早いが寝ていなかったのか?」
「いえ、少し休ませて頂いておりました」
「……そ、そうか」
クリストファー様が眉を下げて困惑気味だ、もしかしたら「真実の鏡」で嘘に気付かれたのかもしれない。
(これ……隠し事ひとつ出来ないの……?
でも、晩餐会での澄ましたお顔より、情けない八の字眉が私は安心するかも。
特に今日みたいな日は……)
「お父君のエクマーレ侯爵も君を心配しておられたよ。……これから周辺が騒がしくなるだろうが、公爵邸ならば君を守れるから暫く我慢して欲しい」
「……殿下、いえ、王妃陛下からですか?」
「君を王太子の婚約者に戻したいそうだ。陛下は一蹴しておられたが……」
「そうですか」
ヒロインの男爵令嬢はどうするつもりなのか。
ある意味予想通りの反応だけど、本当に馬鹿馬鹿しい……。
今は辺境伯や辺境伯に同情的であろう諸侯を抑えるべき時であって、王太子の失態に青い瞳を利用するしか考えられないなんて……。
前回の侵攻で多大な犠牲を払いながらもゴートエルドを守りきった英雄に、何も配慮せず踏み躙った自覚はあるのだろうか。
(……それとも殿下の隣に青い瞳を置いておけば、皆が黙るとでも?……馬鹿なの?)
「ルイーズ嬢、その……」
クリストファー様の凛々しいはずの眉が増々下がってきた。
(えっ? まさか心の声までは聞こえてないよね?)
「クリストファー様、辺境伯閣下がお越しと伺いましたが……」
「…………アウグスト殿は、父上の士官学校時代からの親友でね。夜分にすまないとは思ったが、この機会に婚約者である君を紹介しておきたいんだ」
「…………はい」
(正直、元庶民には何もかも荷が重くて逃げ出したいけど……。
でも、この状況で全てを投げ出すわけにはいかないよ……)
私はクリストファー様の青い瞳をしっかり見据えて頷いた。
「……その、婚約者として紹介して本当にいいだろうか」
「…………はい?」
「もし、君がまだ王太子に心が残っているなら……」
「……? 王命の元に結ばれた殿下との婚約に、心も何もありませんが……。
それよりも公爵閣下がお待ちかと……」
クリストファー様は何故か複雑そうな表情で溜息をつくと「そうか」と独り言のように呟いた。
そして、私は心構えをして応接室へ入室したのだけれど──
室内では辺境伯も公爵夫妻もお酒を飲みながら昔話をしていて、意外にも驚くほど和やかだった。
「……ああ、ルイーズ嬢来てくれたか。
アウグスト、紹介しよう。息子の婚約者のルイーズだよ」
「お初にお目にかかります、辺境伯閣下。エクマーレ侯爵が娘、ルイーズ・エクマーレと申します」
公爵に紹介されてカーテシーをすると、辺境伯は気さくに笑われた。
「ルイーズ嬢、俺はアウグスト・グラムだ。どうか畏まらないでくれ、クリスの婚約者に会えるなんて嬉しいよ。
良かったなクリス、なかなか決まらなくて生涯独身かと心配してたんだぞ」
「止めて下さい、アウグスト殿までそんな……」
「でも、あの赤ん坊だったクリスに婚約者か……。俺も歳を取るわけだな……」
恐らく晩餐会の出来事について、協議を重ねているだろうと予想していた私は、あまりにも穏やかすぎる空気に強い違和感を感じていた。
まるで嵐の前の静けさのようで──




