第47話「歯車は廻る」
朝。クロックハイム。穏やかな朝。
ベルは自分のベッドで目を覚ました。目覚まし時計がかんかんかんかん鳴っている。ゼンマイ式。いつもの朝。
しかし——音が違う。
目覚まし時計の歯車の音が、いつもより澄んでいる。かちかちかちかち。以前は微かにざらついた音がしていた。大時計の唸りが街全体の歯車に影響していたから。唸りが消えた今——全ての歯車の音が、澄んでいる。
窓を開けた。朝の空気。冷たい。清潔な冷たさ。蒸気の色が明るい。純白。以前はほんの少しだけ灰色がかっていた蒸気が——純白になっている。歯車の噛み合いが改善されて蒸気の循環効率が上がったから。
メガネをかけた。世界がくっきりした。
台所に降りた。お母さんが朝ごはんを作っている。壁掛け時計が動いている。あの時計。五歳のときに壊して直した時計。一分遅れる時計。
「おはよう」
「おはよう。……ベル、顔色悪いよ」
「ちょっと夜更かしした」
夜更かし。千年分の歪みを体に通して光になりかけて守護者に救われて——夜更かし。
トーストを齧った。目玉焼きを食べた。蒸気で温めたミルクを飲んだ。いつもの味。しかし——光にならなかった朝の朝ごはんは、特別においしかった。
「お母さん」
「何?」
「時計——一分遅れてるよ。ずっと」
「知ってるよ。ベルが直してくれた時計だもん。一分遅れるのが——いいの」
笑った。二人で。台所で。朝日が窓から差し込んでいる。
学校に向かった。通学路。石畳。
街が——静かだった。唸りがない。千年間鳴り続けていた低周波振動が消えている。街の人々は気づいていない。聞こえていなかった音が消えたことには気づかない。しかしベルの耳には——静寂が聞こえる。千年ぶりの静寂。
ギアが肩の上にいた。翅が——四枚。全部戻っていた。
「ギア——翅、四枚に——」
「大時計が正しく回り始めたから。私は大時計の歯車から生まれた精霊。大時計が健全になれば——私も健全になる」
四枚の翅が金色に光っている。以前より——ずっと明るい。
「ジャミングは?」
「出ない。もう出ない。七十度の歪みがなくなったから。発生源がない」
ジャミングが——消えた。倒したのではない。蛇口を閉めたから。モップはもう要らない。
「……ギア。私——もう変身しなくていいの?」
「ジャミングがいないなら——戦う必要はない。変身は——」
「でもステッキは持ってく。毎日」
「……なんで」
「なんとなく。手に馴染んでるから」
学校に着いた。教室に入った。席に座った。隣の席の女の子が「おはよう」と言った。「おはよう」と返した。いつもの朝。
放課後。工房で課題の歯車機構をやっと完成させた。十二個の歯車。八番目の四十五度。提出期限をとっくに過ぎている。先生に「遅い」と言われた。「すみません」と言った。理由は言わなかった。
工房を出た。夕方の校舎。
鍛冶場の煙突から煙が見えた。ルストが新しいハンマーを鍛えている。かん。かん。かん。いつものリズム。新しいハンマー。前のハンマーの頭は歯車になった。新しい頭を——今、鍛えている。
橋の下からオルガンの音が聞こえた。フェーダーが壊れたオルガンを修理している。まだ半分しか直っていない。しかし——弾いている。声で歌いながら。弾きたいから弾いている。声が出るようになった。三日かかった。しかし——戻った。
時計塔の図書室に灯りが見えた。カリンが記録を書いている。千年分の記録に——新しい章を加えている。「バイパスの記録。七十度から四十五度への切り替え。成功。参加者:ベル・クロックワーク、ルスト、フェーダー、カリン、マイスター・グロック、ギア」。六人の名前。全員の名前を残す。百年前の少女には名前がなかったから。
大時計の地下では——グロックが計器の前にいる。いつもと同じ場所。しかし——椅子が変わっていた。新しい椅子ではない。前と同じ椅子。しかし座り方が変わっていた。以前は丸まって座っていた。今は——背筋を伸ばして。計器の針を見ている。安定した針を。揺れない針を。
歯車が回っている。
百万個の歯車が。四十五度で。千年ぶりに——正しい角度で。
この街が動き続けるために。明日も。明後日も。——千年先も。




