第37話「バイパス設計」
グロックが「やれ」と言った翌朝。
眠れなかった。興奮で。恐怖で。ベッドの中で天井を見つめていた。歯車模様の壁紙が暗闇の中で回って見えた。
朝の五時に起きた。目覚まし時計より早く。台所に降りて冷たいミルクを飲んだ。手が震えている。興奮か恐怖か——たぶん両方。
八時。四人が図書室に集まった。設計図を広げた。手帳を開いた。ルストが鍛えた歯車の実物を並べた。
バイパスの最終設計。大時計の心臓部に設置する歯車列の配置図。全部を——一枚の設計図に落とし込む。
ベルの手が動いている。シャーペンで。〇・五ミリの線で。歯車の位置。軸の角度。蒸気管の経路。切り替え用の接合歯車の配置。
手が——震えていない。ミルクを飲んだときは震えていた手が、シャーペンを握った瞬間に——止まった。歯車を描く手は震えない。お父さんと同じ。
「主軸のバイパスは七箇所。七箇所全部に四十五度の歯車列を並行設置して、同時に切り替える。一箇所ずつ切り替えると——回転差が生まれて歯車が壊れる」
「七箇所同時。フェーダー、できる?」
フェーダーがオルガンの鍵盤を見つめた。半分しか動かない鍵盤。
「同時同調は——やったことがない。一箇所ずつなら確実。七箇所同時は——」
「できるかどうかじゃないの」
ギアが言った。肩の上から。翅が三枚。
ベルが笑った。「それ、私の台詞」
「あんたの台詞を借りたのよ。——やるしかないでしょ」
設計作業が始まった。
最初の一時間は——順調だった。ベルが歯車の配置を描き、カリンがアルト・マイスターの原図と照合し、ルストが歯車の寸法を確認した。
一時間目の終わりに——意見が割れた。
「切り替え用の接続歯車。テーパーを入れるか入れないか」
ベルの設計では接続歯車にテーパーなし。直線的な歯。理論上は最も効率がいい。
ルストが首を振った。「テーパーを入れろ。〇・〇五ミリ。蒸気圧で金属が膨張する。膨張分を見込まないと——噛み合いが浅くなる」
「膨張率は計算に入れてる。設計図通りの合金なら——」
「計算通りに膨張する金属なんてない。鍛冶師として言ってる。金属は計算通りに動かない」
ベルの手が止まった。ルストが正しい。計算は理想値。実物は——いつもほんの少しずれる。ベルは歯車を「設計図の上」で組んでいる。ルストは歯車を「炉の中」で知っている。
「……テーパー〇・〇五ミリ、入れる」
数値を修正した。設計図の接続歯車の形が——微かに変わった。
二時間目。フェーダーが問題を出した。
「七箇所の同調——私の声で同時に制御するとして。七つのポイントに声が届く時間差がある。音速は秒速三百四十メートル。一番近いポイントと一番遠いポイントの距離が——」
カリンが設計図を測った。「十七メートル」
「十七メートルの距離差。音速で割ると——〇・〇五秒の時間差。七箇所同時に切り替えるとき、手前のポイントと奥のポイントで〇・〇五秒のずれが出る」
〇・〇五秒。小さい。しかし——歯車の回転速度を考えると、〇・〇五秒のずれで歯が〇・三ミリずれる。〇・三ミリ。噛み合いが浅くなって——歯が折れる可能性がある。
「フェーダーが中央に立てば——全ポイントへの距離差が最小になる」
ベルが設計図にフェーダーの立ち位置を描き込んだ。心臓部の中央。七箇所のバイパスポイントへの距離が最も均等になる位置。
「ここなら——最大の距離差が八メートル。時間差〇・〇二秒。歯のずれは〇・一ミリ以内。許容範囲」
フェーダーが頷いた。「〇・〇二秒なら——声の揺れで吸収できる。揺れがあるから精密な同調ができる。先生は間違ってた」
三時間目。最後の問題。
「切り替えの窓——七つの音が同時に揃う瞬間——は何秒続く?」
フェーダーが七つのバイパスポイントの振動数をオルガンで鳴らした。半分の鍵盤で。七つの音。それぞれ微妙に違う振動数。しかし——ある瞬間、七つの音が同期する。
「〇・三秒。同期の窓は〇・三秒」
〇・三秒。その間に五人が七箇所全部を押し込む。
「短い——」
「短いけど——十分よ。手が覚えている角度を押し込むだけ。〇・三秒あれば——手は動く」
ベルが設計図の最後の線を引いた。
設計図が——完成した。カリンが最終確認した。「歯車の位置が〇・一ミリ以内で原図と一致。テーパー修正済み。フェーダーの立ち位置確定。切り替え窓〇・三秒。——完成」
その時——ギアの翅が橙色に変わった。
「大型。時計塔の直下。——心臓部の真上」
最悪のタイミング。設計図が完成した直後に——ジャミング。
「設計図を守って——!」
カリンが設計図を胸に抱えた。ベルが変身した。
「ロードアウト——アイアン・ブート!」
ギアシールが図書室の床に展開した。金色の歯車が千年分の書物を照らした。装甲。歯車翼。歯車リボン。
「魔法少女アイアン・ベル——起動!」
窓から飛び出した。歯車翼の蒸気推進。時計塔の外壁を蹴って降下。地面に着地。
時計塔の基部に大型ジャミング。基礎歯車を食っている。ここが食われたら時計塔が傾く。図書室が崩れる。
フェーダーが窓から逆位相を放った。金色の波紋。ルストがハンマーで道を開けた。カリンが核の位置を叫んだ。「左寄り二十度!」
ベルが飛んだ。内側に。核に向かって。
「ギアシフト——フォーティファイブ!」
金色の光。歯車紋章がジャミングの内壁に投影された。ギアの粉が光の紋章に沿って渦を巻いた——金色の粒子が歯車模様を描きながら核に集中していく。核が金色に輝いて——砕けた。
金色の粒子が時計塔の壁面を駆け上がった。四つの時計盤が金色に染まった。
図書室に戻った。設計図は——無事。カリンの胸に。
「……明日から——工事を始める」
千年ぶりの——修理が始まる。




