50 二人で居れば
暦が一つ進んだ。
水平線の向こう側に太陽が落ちようとしている。
海上を揺れる大きな船の甲板に私達は居た。
空は蒼から紅へ色を明け渡し、そして黒の衣を纏いつつあった。
「この船が着くまで後どれくらいだっけ?」
「後二つほど暦を超えると言っていましたね」
二つの暦。まだまだ船旅は続く。
裁判の日、アルベルト様から国外追放を命じられた後、私達はシーロリオ領までホウキを飛ばした。そしてそのまま異国に行くと言う船に乗ったのだ。
揺れる足元の違和感にはもう慣れてしまっていて、既にリムナント王国は遥か遠く見えなくなっていた。
潮風が鼻を撫で、髪の中に入り込んでいく。少し根元がゴワゴワとしてきていた。
「フィリア様、何処を見ているのですか?」
「リムナント王国の方を」
波は揺れて砕けて泡となる。変わらないその様を夕陽が照らす。
この光の先にリムナント王国があった。
船は揺れていたから、本当は今見ている先に王国が無いかもしれない。どれくらいこの大船が進んだのか私には分からない。
それでも私は生まれ育ったリムナント王国を見ていた。
「あそこは私とロスティ様が出会った場所だから」
「わたしとフィリア様が出会った場所でもありますね」
国を捨てた事へ後悔は無い。
だけれど、こうしていると自分がどれだけ物事を知らないのかが分かってしまった。
これから先どうすれば良いのか。恐れがふつふつと湧き上がってくる。
足元のトランクへ意識を向ける。アルベルト様がご用意してくれたこれには旅に必要な道具が一通り揃っていた。普通に使えば数年は保つだけの路銀さえも入っている。
使える物を使うしかない。まずはこれでどうにかするしかないのだ。
甲板から腕を出して潮風を撫でる。その手から魔力の泥がボタリボタリと海へ落ちていく。
不安は尽きない。きっと、やらなければならない事がいっぱいある。
はたして、私達はこれからどうなるのだろう? どうするのだろう?
沈みゆく太陽をこの手では掴めない。
「ロスティ」
「何でしょう?」
「これから何をしましょうか?」
「何でもしましょう。きっと何でもできますよ」
ロスティは笑う。その笑顔には私と同じように不安が混ざっていたけれど、私とは違って希望であったり期待であったり、そう言った物も多く含まれていた。
「わたし達は今真っ新です。だから、きっと、何にでも成れますよ」
銀の髪が光る。
紅玉の瞳が輝く。
その笑顔を見れば、私の不安が溶けていく。
言う通りだった。今、私達を縛るモノは何も無いのだ。
「そうね。何でもできるわ」
潮風を撫でていた手の平を見る。そこからもう泥は流れない。
「ねえ、ロスティ」
「はい」
「私はね、あの時、終わっても良かったの。あなたと二人でロスティ様の誇りを守れた。あの人の気高さを示せた。なら、もう何もかもが終わってしまっても良いって思ったの」
「ええ、わたしもフィリア様となら終わっても良いと思っていました」
「でも、私達は終わらなかった。終わらないままに、真っ新に成っちゃった」
旅を望んだ訳ではない。だけど、旅に出たいとはずっと思っていた。
考える。ロスティ様だったなら一体どうするのか。
旅は始まった。目的地は決まっていない。真っ新な私達は何をするのだろう。
答えは無い。でも、あの人ならばこう言うと思う言葉ならばあった。
「なら、何でもしてみましょう」
「はい!」
ロスティは笑う。朗らかで穏やかな声が波音に飲まれていく。
やはり、それはロスティ様とは違う笑い方だ。
彼女の感情が変わる。小さな不安と大きな期待はそのままに喜びと希望が混ざっていく。
見たかった物ではない、けれど、これからもこのロスティの笑顔を見ていく事に成る。
切ないし、寂しい。でも、嫌なわけじゃない。銀の髪と紅玉の瞳には笑顔が良く似合う。
私はロスティへ笑い返し、彼女の喜びがまた少し強くなった。
彼女の視線が私から水平線の向こう側へと伸びる。
夕暮れが落ちていく。空が夜を纏っていく。
変わりゆく景色の何もかもが私達には新しい。
ほぅっと息を吐いてロスティが言った。
「フィリア様、今のわたし達は真っ新で、わたし達の旅は始まったばかりです」
「そうね。知らない事ばかりが起きるんだと思うわ」
「はい。一体、どんな記憶がこれから刻まれていくんでしょう。わたしはそれが怖くて、楽しみで、仕方ありません」
記憶、とロスティが口にした。思えばこの旅はこの言葉から始まったのだ。
ロスティ・メモワールの破滅を巡る旅だった。
はたして、私はあの人の破滅を気高く終わらせられたのだろうか。
追憶をするのにはまだあの人との記憶が強く残っている。
それを抱えたまま、私は、私とロスティは真っ新な旅を始めるのだ。
「また、記憶探しね」
「はい。今度は私達の記憶探しです」
結局、私達の旅は記憶を探す物に成るのだ。
海から空へ視線を移す。夜の衣装を着たばかりの空はまだ星を見せてくれない。
だけど、すぐに銀の星々が私達を見下ろすのだろう。
黒髪を潮風が撫でる。この髪は少しだけ前の様に伸びていた。
「ロスティ、手を握らせて」
「喜んで、フィリア様」
ロスティと手を握る。
彼女からは感情を、私からは記憶を、互いの大切を交換し合う。
「きっと、二人で居れば大丈夫だわ」
「はい。二人で居れば、何も怖くありません」
記憶探しの旅が始まる。
そこに刻まれる感情が良い物であってくれと私は願った。
(完)
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