お茶会、三人目のお客様
「ブリギッテ・フォン・ヴェンツェルです。お邪魔してしまって申し訳ございません」
消え入りそうな声でブリギッテが挨拶する。声とは裏腹に、大柄でここにいる誰よりも背が高い。広い肩幅を申し訳なさそうにすぼめて頭を下げている。
「セシリア・フォン・シーラッハです。お会いできて嬉しいわ。どうぞ気楽になさってください」
セシリアは少しでもブリギッテの緊張が解けるようにと、明るく声をかけた。
「もったいないお言葉です」ブリギッテがますます小さくなって言う。
ヒルダは三人仲が良かったと言ったが、全然性格が違い、仲が良い様子が想像がつかない。
「セシリア、ブリギッテをよろしくね」
ヒルダはそう言って、マルティナともどもレッスンへと行ってしまった。人数が多くなったので食堂にお茶の支度がしてある。
「そんなに緊張なさらないで。先にお茶をいただきましょうか。それとも春宮を案内しましょうか」
「そんな、ヒルデガルト様を差し置いてお茶をいただくだなんて、それに妃殿下に案内していだたくなんて恐れ多いです」
「本当に楽にしてちょうだい。あと妃殿下もやめてちょうだい。セシリアでいいわ。ヒルダを見たでしょう」
「そうですが……」
「私は、ブリギッテと呼んでもいいかしら」
「もちろんんでございます、セシリア様」
ブリギッテの言葉はまだ固いが『妃殿下』ではなくなっただけよしとしよう。
「ふたりは楽器がやりたくてここに来ているのだけれど、ブリギッテもなにかやりたいことはない?家族に反対されているけれどやってみたいこととか」
「……やってみたいこと……」
ブリギッテは黙り込んだ。遠くからヒルダのピアノの音がかすかに聞こえる。
「でも、そんな申し訳ないです」
別にブリギッテの願いを叶えてあげる筋合いもないのだが、他の二人が好きなことをしているのにブリギッテだけ何もない、というのはなんだか――ブリギッテはそうは思っていないだろうが――不公平に思えた。
「天気もいいし、庭でも散歩しませんか」
このまま食堂にいてもいいのだが、屋外のほうが気分が変わっていいだろうと、セシリアはブリギッテを誘った。
セシリアとブリギッテは言葉少なに中庭の石畳の道を行く。石畳の脇にはセシリアが名前も知らない色とりどりの花が咲いている。春宮に来てしばらく経つが、中庭にはいつも四季折々の花が絶えず咲いている。
「少し休憩しましょうか」
セシリアは東屋に腰を下ろすと、自分の隣を指し示した。ブリギッテは恐縮しながらも、セシリアの隣に座った。道すがらもそうだったが、なかなか会話も弾まない。当たり障りのないものをと思い、家族のことを聞いてみる。
「ご兄弟はいらっしゃるの。ごめんなさいね、私、あまり他のお家のことを知らなくて」
「いえ、滅相もないです。私には兄がふたりいて、どちらも軍に所属しています。兄たちはなんでもできるんです。狩りのときは料理だってするんですよ。休暇のときはよく所領に狩りにいっています」
ブリギッテは今までで一番口が回った。兄たちとの関係は悪くないらしい。
「あら、そうなの。所領はどちらに」
「ヴェチェルニー湖の近くです」
「私は行ったことはないけれど綺麗なところなのでしょうね」
「はい、とても良いところです。名前の通り、夕暮れがとても綺麗で、湖面が赤く染まってとても神秘的なんです」
「まあ、素敵ね」
「舟遊びも楽しいですよ。釣りもできますし、機会があればセシリア様にも来ていただきたいです」
「すごく楽しそうね。機会があればぜひ伺いたいわ。釣りも狩りもできるのね」
「はい、兄たちは狩りばかりですが、釣りも楽しいです」
「あら、お兄様がたは釣りはなさらないのね」
「自分から獲物を捕りに行くのがいいみたいです。私は危ないからと連れて行ってもらえないのです。所領の管理人には娘がいて、その子は連れて行ってもらえるのに私はだめなんです。何かあっては困ると」
少し不満げな様子でブリギッテが言う。言葉に感情が滲んだのは初めてのことだった。
「ブリギッテは一緒に狩りに行きたいのね」
「あ……そうですね。一緒に行けたらいいと思います。すみません、こんな話をしてしまって」
「いえ、いいのよ」セシリアはしばらく考えてから続けた。
「弓を使ったことは?狩りって弓を使うのよね」
「はい。ありません」
「そう、では今から弓を練習してみるというのはどうかしら」
「弓を練習……そんな私なんかができるでしょうか」
「できるかどうかはやってみてから考えればいいわ。私と一緒にのんびりすごしてもいいけれどヒルダもマルティナも好きなことをやっているし、ブリギッテもなにかやってみればいいと思うの。弓を練習してもお兄様がたが狩りに連れて行ってくれるとは限らないけれど、もし連れて行ってもらえることになったときに、弓が使えたほうがいいでしょう」
「それはそうかもしれませんが、でも……」
「ブリギッテが嫌だったらいいのよ。私も思いつきで話しているから。やるとしたらまず弓を教えられる人を探さないといけないのだけれど、それは心当たりがあるわ。とりあえずやるだけやってみるのはどうかしら」
「でも……」
「やるのは嫌?」
「そんなことはありませんが……」
「とりあえずやってみて、嫌だったらやめればいいのよ。そうしたら他のことをやりましょう。どうかしら」
「……では、よろしくお願いします」
「よかった。オリガ、オリガいるんでしょ」
セシリアが少し大きな声で呼ぶと木陰からオリガがあらわれた。
「お呼びでしょうか、セシリア様」
「やっぱりいると思った。オリガは弓は使える」
「得意ではありませんが、使えないことはありません」
「では教えることはできる」
「それも可能ですが、まずは引けるようになるまでが大変ですよ」
「いいの、とにかく教えてもらってもいいかしら」
「わかりました。練習用の弱い弓が衛兵の詰め所にでもあるでしょうから探してきます」
「お願いね」
オリガは早足で春宮の方へと歩み去った。
「セシリア様、やっぱり私……」
「もう頼んでしまったからやるだけやってみましょう。オリガは私の侍女で護衛なの。ああ見えて強いのよ。私も護身術を習っているのだけれど、なかなか厳しくてね」
「セシリア様もそのようなご苦労をされているのですね」
「ご苦労というほどではないけれど、体を動かすというのも悪くないものよ」
その後、セシリアは護身術を習うのに具体的にどんなことをやっているのかをブリギッテに話した。聞いているブリギッテの顔がみるみる曇っていくのを見て、セシリアは話しすぎたと思ったが、もう遅かった。
やがて、左手に弓を二張持ったオリガが戻ってきた。
「あら、戻ってきたわ。オリガは厳しいけれど、やっていれば必ずできるようになるから。オリガ、ブリギッテのことをよろしくね」
セシリアは立ち上がると春宮へ戻ろうとしたが、戻ることはできなかった。セシリアの二の腕をオリガがしっかりと掴んでいる。
「セシリア様もやるんですよ」
「え、私も」
「どうせお暇でしょうし、ブリギッテ様もセシリア様がご一緒のほうがよろしいでしょう」
「いや、私は」
「セシリア様、どうかご一緒してください」
ブリギッテに懇願されると、セシリアは否とは言えなかった。
セシリアは射埸への道すがら、どうしてこんなことにと思ったがあとの祭りだった。