夕焼け
春宮に着いたころには、陽は傾きつつあった。
セシリアはアレクに手を取られ馬車から降りた。ふと顔を上げ、夕焼け空の美しさに目が留まる。薄い雲がたなびいていて、茜とも紫とも言い表せない複雑な色をしている。
「どうかしたか」立ち止まったセシリアにアレクが聞く。
「いえ、空が綺麗だなと思って」
セシリアの言葉にアレクが空を見上げる。
「そうだな」アレクはしばらく空を見つめて続けた。「少し歩こうか」
「はい」
セシリアとアレクは春宮へは戻らず、中庭へと向かった。
一旦中庭に来たものの木々が多く、セシリアとアレクは開けた馬場へとむかった。そのあいだにも刻一刻と空は色を変えつつある。
馬場へと着いたときには、馬車を降りたときよりも薄暗く空の色も夜を感じさせる色合いへと変わっていた。
馬場も木がないとは言わないが、中庭よりも大分見通しがいい。その分、冷たくなり始めた風が直接肌に当たる。それでもふたりは、黙ってただ静かに暮れていく空を見上げていた。
そのなかで、セシリアはふと視線を感じて何気なくアレクのほうを見た。目が合う。アレクは一瞬目を伏せたが、困ったように笑って言った。
「少し冷えてきたな。寒くはないか」
「……大丈夫です」セシリアはなるべく平静に聞こえるように答えた。
「そうか」とアレクは言ったものの、セシリアの隣から風を遮るように背後へと移動した。アレクによって、セシリアに風が直接当たることはなくなった。
触れているわけではないがはっきりとアレクの体温を感じる距離で、胸が騒ぐ。
セシリアはアレクと直接顔を合わせられない位置で、顔を見られなくて安心した。
アレクがあんな顔をして自分を見ているなんて知らなかった。先ほど目があったときのアレクは、セシリアがはじめて見る顔だった。
セシリアの言葉で言えば、『大切なものを見ている顔』なのだが、それだけではないなにか、セシリアがまだ知らない感情が乗っている気がした。
ルシアやヴィクトルの言う、いわゆる恋慕の情というものなのだろうが、セシリアにははっきりとわからないものだったし、考えると落ち着かない気持ちになった。
やがて太陽が沈み、地表がかすかに赤く陽の名残りが残るだけとなった。中天はすでに夜で、いくつか星も瞬いている。
「そろそろ戻ろう。すっかり冷えてしまったな」アレクがセシリアの指先を温めるように握りこんだ。「夕食前に湯浴みして温まるといい。夕食は遅らせよう」
セシリアはアレクに手を引かれて、春宮へと戻った。
戻ると入浴の準備が整っていて、急いで入浴を済ませる。いつもより少し遅れて食堂に着くと、アレクが前室でセシリアを待っていた。
「早かったな。急がなくてもよかったのだが」
「いえ」
アレクを見ると、どうしても夕方見た顔を思い出してしまう。それを振り払うようにセシリアは小さく首を振った。
アレクにエスコートされてテーブルに着く。いつもと変わらない夕食がはじまる。
「どうした。疲れたか」いつもより食の進みが遅いセシリアを見てアレクが言う。
「そうですね。少しだけ」
「無理をさせてしまっただろうか」
「いえ、そんなことは」心配そうにこちらを見るアレクから目をそらしながらセシリアは控えめに否定した。
セシリアは浮かない顔のまま、食事はデザートまで進んだ。
給仕が盆に乗ったデザートを運んできて、セシリアの前に置く。それは錫の器に盛り付けられたアイスクリームだった。
「わ」セシリアから思わず声が漏れた。
「作らせておいた」セシリアの驚いた顔を見て、アレクが満足気に言う。
セシリアは今まで2度だけアイスクリームを食べたことがあった。今日で3度目だ。
セシリアはほんのりと黄みがかった白をスプーンですくい、口にいれる。あっという間に滑らかに溶け甘さが口に広がる。
「おいしい」
「好きなだけ食べるといい。まだある」
「いえ、でも」
「いまさら遠慮しなくていい。今日はどうした。俺はもう一皿もらうぞ」いつの間にかアイスクリームを平らげていたアレクはそう言うと、給仕に合図をした。
セシリアは空になった錫の器を前に、少し考えてから小さな声で「私も」と言った。
アレクは再び給仕に合図を出すと、セシリアに向かって言った。
「アイスクリーム、うまいよな」こどものようなアレクの口ぶりにセシリアは思わず笑ってしまった。それを見たアレクも笑みをこぼす。
すぐに二皿目のアイスクリームがきて、ふたりの前に置かれる。アレクはアイスクリームの上に、とろりとした濃い琥珀色の液体をかけた。
「シェリー酒だ。甘くて香りがいい。セシリアもかけるか」
牧場ではシードルを断ったが、シェリー酒かけたアイスクリームには興味がある。でもお酒を飲み慣れていないのにいきなりアイスクリームにかけるのは、とセシリアが迷っていると、アイスクリームがのったスプーンをアレクがこちらへと差し出した。
「俺のを味見してみるか」
「え……」
「早くしろ。溶けるぞ」
「あ、はい」
アレクに急かされるまま、差し出されたスプーンをくわえる。
フルーツのような芳醇な香りが広がり、アイスクリームとはまた別の甘さを感じる。喉を通るときにカッと熱くなったが、後味は悪くない。
「……おいしいです」
「そうだろう」アレクが得意げに言う。「かけるか」
セシリアがうなずくと、アレクがセシリアのアイスクリームにシェリー酒をかけた。
セシリアは味わいながらもあっという間に食べてしまった。食事が終わり、アレクがセシリアの手を取る。
「部屋まで連れて行こう。酒は強くはなさそうだな。少し赤くなっている」
確かにふわふわと地に足がついていない気がする。アレクに手を引かれるまま、セシリアは自室の前まで来た。
「アレクは私のことがお好きなのですか?」
酔っぱらっているというほどではないが、気持ちが大きくなっているのか気になっていることがそのまま口に出た。
「それを聞くか」アレクはしばし絶句したあとに、大きなため息とともに続けた。「そうだ。だからそばにいたいし、セシリアにはなるべく楽しく過ごしてほしいと思っている」
「……」
「こんなことなら、もっと早くにはっきりと言うべきだったな」アレクはセシリアとの距離を詰めた。「そんな顔をして……俺の気持ちはセシリアにとって迷惑か」
「迷惑なんて、そんな、私なんかが……」
「『私なんか』とは二度と言うな。俺の気持ちは俺のものだ。お前にだって文句は言わせない」アレクがセシリアの言葉を遮って強い口調で言う。
「……ごめんなさい」
「いや、俺も悪い」アレクはセシリアの肩をぽんと叩いて言った。「部屋で眠ってしまわないように。ちゃんと寝室で寝るんだぞ」
「はい」
セシリアは自室へ入り、寝支度を整えた。その後、寝室で会ったアレクはいつもと変わらぬアレクだった。




