牧場にて
牧場へは朝食後、すぐに出発した。
アレクの意向で伴のものは連れず、アレクとセシリア各々に一名ずつ護衛がついているだけだ。
アレクの護衛は御者台に、セシリアの護衛であるオリガは客車内に、アレクとセシリアと向かい合う位置で座っている。
オリガの隣には精進潔斎中にアレクに差し入れてもらった大きなバスケットが置かれていて、瓶口がのぞいている。
しばらく馬車に揺られ、牧場に着いた。
一旦、厩舎の隣の家屋に入る。アレクは馬丁たちに随分歓待されていて、たびたび訪れていることが知れた。
今の時間、馬は放牧しているということで放牧地へ移動する。アレクは護衛と馬丁の同行を断り、セシリアとふたりだけで歩いていく。
広々とした草原では馬が思い思いに草を食んだり歩きまわったりしている。薄曇りで風が気持ちいい。
「わあ」セシリアが歓声を上げる。
厩にいる馬は見慣れていたが放牧されている馬を見るのは初めてだった。
「しばらく見て、気になる馬がいるなら少し近くに行ってみるか。午後は厩舎に戻ってくるから、そうしたらもっと近くで見られるぞ」
「はい」
セシリアは牧柵の外から全体を見て、一頭の馬に目を止めた。ミルクをたっぷり入れたお茶のような淡い色合いの馬だ。たまに草を食みながら悠々と歩いている。特に気になる動きをしているわけでもないのに、セシリアはその馬から目が離せなかった。
「あの、あの馬が気になります」
セシリアが見つめている馬を指さす。アレクが手庇を作って馬を確認する。
「あの明るい色の馬か。近くまで行ってみようか」
「はい」
セシリアとアレクはその馬になるべく近付くように回り込んだ。とはいっても馬は柵から離れたところにいるのでそれほど近付けたわけではない。それでもセシリアはその馬を熱心に見つめていた。
「あの馬が気に入ったのだな」アレクが聞く。
「気に入った、というか気になるというか」
「随分と熱心に見ていたようだが」
「そう、ですね。どうしても目が行ってしまいます」
「もうしばらくあの馬を見ているか、それともほかの馬も見てみるか」
「そうですね、せっかくなのでいろいろな馬を見てみようと思います」セシリアはしばらく考えてから答えた。
「では行こう」
今までは道沿いに歩いていたのだが、アレクは道からはずれた牧柵のところを歩く気らしい。
緩やかに上りになっている草地を歩いていく。明け方に雨が降ったのか、草が濡れていて滑りやすい。
アレクが苦戦しているセシリアに手を差し伸べる。セシリアは迷うことなくアレクの手を握った。
いつもの肘に手を置くエスコートと違って、つないだ手からはしっかりとアレクの体温が伝わってくる。
そのあと、歩きやすい場所に移動してもアレクはセシリアの手を離さなかった。セシリアも、落ち着かないが嫌な気持ちはしないのでそのままにしておいた。
アレクと手を繋いだまま、いろいろな馬を見て回ったが、セシリアの気持ちはどうしてもあの馬に戻っていった。
そうしている間に、日は中天近くまで登り、雲も晴れた。
「セシリア、そろそろ戻ろう。昼食を食べている間に馬たちも厩舎に戻ってくるだろう」
「はい」
「戻る前にもう一度、あの馬のところに行くか。気になっているのだろう」
セシリアはアレクに気持ちを見透かされていたことが気恥ずかしく、ただうなずいた。
明るい栗毛の馬は、初めて見たところとさして変わらない場所で、相変わらずのんびりと歩き回っていた。
また放牧地で見ることができてなんだかほっとしたセシリアは、厩舎で会えることを楽しみにしつつ、屋舎に戻った。
屋舎では一室を借り、テーブルにバスケットの中身を広げる。
焼いた肉と野菜がこれでもかと挟まっているバケット、酢漬けの野菜、桃のコンポートとシードルの瓶。全部並べてセシリアとアレクは食卓についた。
セシリアは昼食を見た途端、急にお腹が空いてきて食前の祈りもそこそこに、バゲットにかぶりついた。それを見たアレクが苦笑しながら言う。
「もう少し小さく切ろうかと思ったのだが……そのままでも構わないか」
セシリアはバゲットを頬張ったまま、喋れないのでただうなずいた。アレクは笑ったまま、セシリアにシードルを勧めた。
「少し飲まないか」
「いえ、私は……」
「普段から酒は飲まないようだが、好きではないか」
「好きではない、というよりほとんど飲んだことがなくて」
「そうか。少し飲んでみるか」
「いえ、初めてお酒を飲むのに出先で飲むのは……」
「そうだな」アレクは手に持っていたシードルの瓶を机の端に置いた。
「俺もやめておこう。シードルは馬丁たちにやればいい」
「私のことは気になさらず召し上がってください」
「いや、今日はいい。せっかくふたりでいるのだから、飲まなくてもいい。酒はいつでも飲める」
セシリアは申し訳なく思ったが、アレクはさほど気にしていないらしく次々と食事を平らげていった。
食事が終わり、セシリアとアレクは厩舎へと移動した。馬が続々と牧草地から戻ってきている。
セシリアは気になっている明るい栗毛の馬を探した。その馬は既に馬房に戻っていて、すっかりくつろいだ様子だった。
近くで見ると毛艶があり、明るく澄んだ目をしている。セシリアは、馬に詳しい訳ではない。実家の馬と街中で見かける馬くらいしか見たことはないが、それでも、その馬の顔は好ましく思われた。
人間のことはわからないが、一目惚れとはこういうことを言うのだろうか。
「王太子妃殿下、アンヴァルのお世話をされますか」馬丁にすすめられてセシリアはうなずいた。
「この馬はアンヴァル、というのね。私がお世話しても大丈夫かしら」
「ええ、おとなしい馬なので」
春宮で馬の世話はしているが経験は浅く、初めて会う馬の世話をきちんとできるか不安だった。しかし、アンヴァルにそっと触れたとき、大丈夫だという直感があった。
セシリアはアンヴァルをしばらく撫でさすり、ブラシをかけた。アンヴァルはされるがままで、たまに気持ちよさそうに首を振っていた。
ブラシをかけ終わって、戻ったセシリアにアレクが言う。
「アンヴァルを春宮に引き取るか」
「正直、迷っています。春宮に来るよりここでのびのび過ごしたほうがアンヴァルは幸せなのではないかと」
「ここは王室の牧場だ。年ごろになれば軍馬や使役馬になる。ここでずっと暮らしていける馬はほとんどいない。アンヴァルも遅かれ早かれ、どこかで使役されるはずだ。行き先がわからなくなるよりは、目の届くところに置いていたほうがいいと思うが」
「……少し考えさせてください」
「わかった。よく考えてアンヴァルにとって一番いいと思う行く末を選べばいい」
「はい」一頭の馬の将来をゆだねられたという責任を感じながらセシリアはうなずいた。
「自由に道を選べない、という意味では人も馬も変わらないかもしれないな」
ぽつりと言ったアレクに、セシリアは何も言えなかった。




