ヴィクトルとの話
ルシアとエフラムが出ていった途端、ヴィクトルが本題を切り出す。
「俺にヒルデガルトのことを聞きたいって」
「はい、一体どういう意図でお近づきになりたい、と」
「俺も最近は社交界で見かけるくらいだからはっきりとはわからないんだが自分が収まるはずだった王太子妃の位をとった女の顔を見てやろう、ということじゃないのか。深い考えで動いているようには思えない」
「私、取った覚えはないんですけど」
「セシリアからすればそうだろうが、ヒルダからすればどうだろうな。逆恨みだが、セシリアは憎き恋敵というわけだ」
「そんな」
「俺が見る限り、ヒルデガルトはアレクに惚れている。そもそもヒルダは幼い頃から王太子妃になるように教育されている。その半ば洗脳のような教育のせいか、本当に好きなのかはわからないがな」
「……」自分から会うと決めたものの、こういったことを聞いてしまうと気が重い。
「放っておいたらなにをするかわからないから、こちらから会ってみるのは悪くないと思うぜ」
「そう、ですか。ヒルデガルト嬢はどんな方なのですか」
「蝶よ花よと育てられた典型的な貴族のご令嬢だな。父親に逆らえないところも含めてな。王太子妃になれなかったことはベルンシュトルフ家には大事件だったはずだ。そしてヒルダがあの親父にどんな目に合わされたか俺は考えたくもないね」
「それは……」
神隠しにあったと噂を立てられ、嫁の貰い手がないとされていたセシリアにはヒルデガルトの肩身の狭さがよくわかった。
貴族の娘はいかによい家に嫁ぐかが全てだと言ってもいい。王太子妃にと幼い頃から期待され、叶わず一体どういう気持ちでいるだろう。
「ヒルダが可哀想って顔に書いてあるぞ。お人好しだな、ヒルダが王太子妃の座を奪いにくるかもしれないのに」
「それはそうですが、でも、他人事とは思えません。まだ私は家族に受け入れられてたのでよかったのですが」
「間違ってもヒルダの前でそんな顔するなよ。あいつは気位が高い。同情されていると知れたらどうなることか」
「その点は注意します。でも……」
「セシリアの気持ちもわかるが気を付けろよ。ヒルダはまだいいが、あいつの親父は一筋縄ではいかない」
「なんだか気が重くなってきました」
「気を付けるべきはヒルダの親父で、今回はヒルダが相手だ。ヒルダは気位は高いが単純だ。ちょっと褒めればいろいろと話してくれるかもしれん」
「そうなんですか」
「どこかの貧乏大公家のご令嬢と違って、ヒルダは正真正銘の深窓の令嬢だ。そこまで心配する必要はないさ。うまく丸めこんでやれ」
「丸めこんでやれって……普通にお話するだけです」
「まあいいさ。意外と気があったりしてな」
「そうならいいんですけどね」
「ところでアレクとはどうなんだ」
「どう、とはどういう意味ですか。そうだ、今度牧場に馬を見に行きます」
「……俺は流石にアレクが気の毒になってきたよ」無邪気に言うセシリアにヴィクトルがため息を吐く。
「なんでですか」
「なんでもない。アレクがいいなら俺がとやかく言う話ではないな」
セシリアは釈然とせず焼き菓子を口に放り込んだ。
「アレクのことはよくわからないのです」セシリアは焼き菓子を飲み下して言う。
「そうか?比較的わかりやすい男だと思うが」
「私がアレクに対してどうすればいいか、ということがわからないのです」
「へえ、俺が思っているよりアレクのことを考えてるんだな」
「茶化さないでください。男の人とは関わりのない人生だと思っていたのでどうしていいかわからないんですから」
「楽しそうでいいね」
「全然楽しくないです」
セシリアは深く息を吐くと、椅子の背にもたれかかった。そんなセシリアをよそに、ヴィクトルはにやにや笑いながらお茶を飲んでいる。
「否が応でも関わらなければいけないんだから楽しめばいいじゃないか。相手がアレクじゃ不満か」
「不満だなんて、そんな……私はただ、なぜ私なのかが本当にわからなくて」
「それは、さっき王妃殿下もおっしゃっていただろう。人を好きになるのに理由はいらないと」
「そうですが……」
「何が引っかかっている。普通に求婚されていたら素直に縁付いていたか」
「それは……わかりません。そもそも結婚は出来ないと思っていたので」
「そうか」ヴィクトルは言葉を探すようにしばらく黙った。「俺はこういう言い方はあまり好きではないのだが、運命というものは信じるか」
「運命、ですか」セシリアは、ヴィクトルに似つかわしくない言葉が出たことに驚き、聞き返した。
「アレク本人に聞いた訳ではないが、セシリアになんらかの運命的なものを感じているはずだ」
セシリアはピンとこず、首を傾げた。
「あいつは王太子だ。誰でも好きに娶れるわけではない。自分が一目惚れした相手が、条件にぴったりと合っていた。これは運命と言っていいんじゃないか」
「そういう、ものですか?」
「おや、運命は信じないのか」
「運命は……よくわかりません。でも、貴族の家に生まれた以上、嫁いだ先の夫によって将来が大いに変わる、という意味では運というのは大きいとは思います。その点では私は運が良い、のだと思います。それが運命なのかはわかりませんが」
セシリアの言葉を聞くと、ヴィクトルは大きな声で笑い出した。
「いいね。面白い。婚家に従うよう、口を噤むように花嫁教育をされていないご令嬢は初めてだ。少しアレクに加勢してやろうとおもっていたのだが…俺が出る幕ではなかったな」
そこでルシアとエフラムが戻ってきて、セシリアとヴィクトルの話は終わってしまった。
その後はエフラムを中心に、お茶とお菓子を楽しんで和やかな時を過ごした。
日が傾き、お茶会はお開きになった。エフラムは玄関ホールで帰り際、小さな手でセシリアの手をギュッと握り言った。
「義姉上、またお話しましょう」
「ええ、ぜひ」名残惜しそうにいつまでも手を離さないエフラムを、セシリアはしゃがんで抱きしめた。
「あら、アレクサンドル、おかえりなさい」
ルシアの声に顔を上げると、ちょうどアレクが帰ってくるところだった。
「義母上、もうお帰りですか」
「ええ、楽しくてすっかり長居してしまったわ」
「兄上!」
エフラムはアレクを見ると、セシリアから離れアレクの足に飛びついた。
「エフラム」
アレクはエフラムをそのまま抱え上げた。エフラムはアレクの首に腕を回してぎゅっとしがみついた。
「次は兄上もご一緒してください」
「ああ、次は参加するとしよう」
「絶対ですよ」
エフラムはルシアに手を引かれて帰っていった。
「俺も帰るわ」
ヴィクトルはアレクの肩を軽く叩いて、特に言葉を交わすことなく帰っていった。
客人が帰ってしまったあとの、そこはかとない寂しさを誤魔化すようにセシリアはアレクに言った。
「エフラム王子はかわいらしいですね」
「ああ、まっすぐに育っている。エフラムは周りの人間に恵まれているな」
「はい」
「セシリア」名前とともにアレクの腕が差し出される。
ふと先程のヴィクトルとの会話が頭をよぎる。戸惑ったセシリアに、アレクは怪訝そうな顔をしたが、すぐに柔らかく笑いかけた。
セシリアはアレクの腕を取った。自分はそうするべきだ、とそう思った。




