公爵家令嬢からの手紙
セシリアはいつも通りの一日を終え、寝台に潜り込んだ。少し本を読んでいると、アレクが寝室に入ってきた。
いつも通り今日あったことの話でもするのかと思ったのだが、アレクは固い顔をしてセシリアに封筒を手渡した。
「セシリア、お前に手紙だ」
「手紙?」
「ベルンシュトルフ家のヒルデガルトからだ」
セシリアは封筒を受け取り首をかしげた。ベルンシュトルフ家はこの国で最も力のある公爵家だ。家格としては大公家であるシーラッハ家のほうが上だが、それ以外の国政への影響力、経済力などは比ぶべくもない。
そのベルンシュトルフ家の令嬢、ヒルデガルトはセシリアより三つほど年かさで学校で一緒になったこともないし、面識もない。
全く心当たりのない手紙にセシリアは戸惑った。
「開けるか」アレクが聞く。
「はい」
「ちょっと待ってろ」
アレクは奥の間に入るとペーパーナイフを持って戻ってきた。アレクは手紙をペーパーナイフで開けると再びセシリアに渡した。
ベルンシュトルフ家の家紋が漉かされた封筒から手紙を取り出す。触っただけで上質だとわかる便箋には流麗な文字で、王太子妃になったことのお祝いとお近づきになりたいのでお茶会でもいかがですかという旨が綴られていた。
読んでも全く心当たりのない手紙だ。セシリアは手紙をアレクに手渡した。手紙を読んでいるアレクの顔がみるみる曇っていく。
「これはどういうことですか」手紙を読み終えたアレクにセシリアは聞く。
「それは……」アレクはため息を吐いて、寝台に腰掛けた。「事情がある。ベルンシュトルフ家は知っているな」
「はい。でも私はヒルデガルト嬢と面識はありません」
「そうだろうな。ヒルデガルトは最後まで王太子妃候補に残っていた娘だ。いろいろと根回しもしていたようだが、俺は選ばなかった。ベルンシュトルフ家は王太子妃の座が喉から手が出るくらい欲しかったはずだ」
「そうだったんですね。お近づきになりたいとありますが、これって」
「どうだろうか。正直、俺にもヒルデガルトの意図はわからない。直接害するようなことはないと思うが。表立って動くにはベルンシュトルフ家に得がない」
「そうですよね」セシリアはしばらく考えて、口を開いた。「私、ヒルデガルト嬢にお会いしようと思うのですが、どうでしょうか」
「会うって正気か」
「はい、理由を付けて断ったとしても、本当に会いたければ何度も頼んでくるはずです。それならば会ってしまったほうがいいと思います」
「それもひとつの手ではあるが」
「そのかわりお茶会はベルンシュトルフ邸ではなくて春宮で行うんです。ここならば私も安心できますし」
「そうだな、それがいい。ここなら安心だ。暇があれば俺も顔を出そう」
「いえ、それには及びません。手紙ではアレクのことは触れていませんでしたし、ヒルデガルト嬢がどう思っているかわからないので私だけでお会いします」
「そうか」
「そんな不安そうな顔をなさらないでください。先程ご自分で害するようなことはないと思うとおっしゃったじゃないですか」
「そうだが……そういえば義母上がお前とお茶会がしたいと言っていたが、ヒルデガルトの前に予行演習というわけではないが義母上とお茶会でもしたらどうだ。お茶会を主催したことはないのだろう。準備は言い付けておけば召使たちがやってくれるが、主催者としての心構えや振る舞いを義母上に聞くといい」
「そうですね。そうしていただけるとありがたいです」春宮でお茶会を催すということは、セシリアが主催者になる、ということに考えが至らなかったセシリアは頭を下げた。
「いや、俺もやったことはないが、主催者自体はそう大変ではないはずだ。一度経験して流れを経験しておけば問題ないだろう」
「はい、ありがとうございます。ところで、アレクはヒルデガルト嬢についてなにかご存知ではないのですか」
「俺はあまり知らないんだ。社交の場で顔を合わせたことはあるし踊ったこともあるが、個人的に話をしたことはない」
「そうですか。どなたかヒルデガルト嬢のことを知っている方をご存知ではないですか」
「そうだな、あまり思い当たる節はないが……強いて言えばヴィクトルか」
「ヴィクトル、ですか」力のあるベルンシュトルフ家と軍人家系で子爵であるオルロフ家が結びつかず、セシリアは首をかしげた。
「言葉は悪いがあいつの親父はベルンシュトルフ家の使い走りのようなことをしていてな。ヴィクトルとヒルデガルトも、今はわからないが幼いころに付き合いがあったはずだ」
「そうですか。ヴィクトルに話を聞ければいいんですけど」
「ヴィクトルも義母上とのお茶会に呼べばいい」
「そうですね。そうします」セシリアはいまだに受かない顔をしているアレクに目を止め、努めて明るく言った。
「私にきた手紙なので私が対処します」
「だが……」
「大丈夫です」
セシリアがアレクの腕にそっと触れながら言う。
正直ヒルデガルトは何を考えているかわからないし不安もあるが、このことまでアレクが対処するのは、さすがにアレクの負担が大きいと思ったからだ。自分でできることは、自分でやりたい。
「わかった。なにかあったらすぐに言ってくれ」
アレクはいまいち納得していない様子ではあったが、了承した。セシリアはほっとしてアレクの腕に触れていた手を引っ込めた。
しばらく奇妙な沈黙がありアレクが慌てて言う。
「少し先になるが牧場に行くのは再来週の日曜日ではどうだろうか。その日なら一日時間が取れる」
「はい、私はいつでも大丈夫です」
「もう少し近ければ馬で行ってもよかったのだが、今回は馬車にしよう。もっとうまくなれば牧場まで馬で行ってみるのもいい」
「はい、楽しみにしております」セシリアは牧場のことを考えて、笑って答えた。
「そうだな、楽しみに待つとしよう」
そう言うとアレクはゆっくりと寝台から立ち上がった。そしてセシリアを見つめて続けた。
「今宵はなんだか名残惜しいな」
「もう少しお話されますか」アレクは一瞬驚いたような顔をして首を振った。
「いや、やめておこう。もう遅い。おやすみ、セシリア」
アレクはそう言うと奥の間へ消えた。
セシリアはなんだか取り残されたような気持ちで寝台に潜り込んだ。