はじめての乗馬
王妃のダンスレッスンの翌朝、久しぶりにアレクに起こされた。
今までアレクより先に起きたことはなかったが、それでも最近はアレクに起こされる前には起きていた。疲れていたのか昨晩はアレクが寝室に来る前に眠ってしまったし、今朝も起こされてしまった。
なんだか申し訳ない気分で朝食の卓につく。
「昨日は疲れたか」
「はい、少し。でも、あの、思っていたより楽しかったです。お相手していただいてありがとうございました」
「そうか。俺だったらいつでも相手になる」
「お忙しいでしょうから、ご無理なさらないでください」
「無理はしない。それに、ヴィクトルに言われたからではないが、セシリアと過ごす時間を増やしたい。仕事は調整すればいいだけの話だ」
「……はい」セシリアはどう答えていいか迷ってただうなずいた。
「そういえばオリガから、馬に乗りたいと言っていたときいたのだが」
「はい、言ったと思います」護身術のために乗馬服を渡されたときに、オリガにそんなことを言った記憶がある。
「よければこのあと馬に乗ってみるか」
「いいんですか」
「ああ、王宮へは午後から行く。着替えて厩に集合だな」
セシリアとアレクは各々自室に戻り、着替えて厩へ集合した。
春宮内の場所がまだよくわからないセシリアはオリガに案内してもらった。オリガは、控えています、と言ってどこかに消えた。
「自分が幼いころに着ていた服をセシリアが着てるというのは、なんというかこう、不思議な気分だな」セシリアより先に着いていたアレクが言う。
「そうですか」
「新しい乗馬服を作ってもいいんだぞ」
「結構です。サイズはマリアムに直してもらいましたし、まだ十分着れます」
「俺はどちらでも構わないが」アレクが苦笑しながら言う。
ふたりは厩の中に入り、一頭の馬の前で立ち止まった。
青鹿毛で、鼻筋だけが刷毛ではいたように白くなっている。
「俺の馬だ。ファクシという」
言いながらアレクはファクシの首筋を撫でた。ファクシが気持ちよさそうに頭を振る。
「今日はよろしくね」セシリアも声をかけながらファクシの鼻面にそっと触れた。特に嫌がられているふうでもないので安心する。
「シーラッハ家にも馬はいただろう」馬場へとファクシを曳きながらアレクがたずねる。
「はい、大分おじいちゃんの馬が一頭だけ。うちは馬車も手放してしまったので、兄が出仕するのに使っていました。私も世話はしたんですけど乗る機会はなくて」
「では思う存分乗るといい。ファクシは賢い。はじめてでもうまくやってくれるだろう」
馬場に着き、アレクに手伝ってもらいファクシにまたがる。想像していたよりもずっと視界が高く少し怖い。
「前かがみにならず、まっすぐに、力を抜いて。俺が轡をとっているから大丈夫だ」
初めて乗った馬の背で、力を抜いて姿勢を保つというのは無理難題だ。
なんとか姿勢を保とうとしてかえって頭がぐらぐらと揺れているセシリアをみて、アレクが慌てて言う。
「悪かった。今日は楽しんで乗ればいい」アレクはため息を吐いてセシリアを見上げた。「どうも俺はいけないな」
「いえ、私もちゃんと乗れればいいんですけど」
「いや、初めてなのだから仕方がない。回数をこなせばできるようになる。今日は、そうだな、楽しんでほしい」
「はい」
アレクは楽しめばいいと言ったけれど、あんまり姿勢が悪いのももったいない気がして、セシリアはできる限り背筋を伸ばした。
「少し庭を歩こうか」
アレクはゆっくりと馬場を二周したあと、庭へと出た。ファクシの蹄が石畳を叩き、かつかつと音をたてる。
何度か庭は散歩したことがあったが、歩いていたときとは視点が変わり、また違う顔が見える。木々が近く風が気持ちいい。
「もう少し馬らしいことをしようか」庭の端の方まで歩いたあと、立ち止まりアレクが言った。「俺も乗るぞ」
俺も乗る?セシリアがアレクの言葉を理解できないうちに、アレクがセシリアの後ろにまたがった。
アレクが後ろから手綱をとっているので、セシリアはアレクに後ろから抱きしめられるような形になっている。
「え、え」
「おとなしくしておけよ」
アレクがファクシの腹をぽんと蹴ると、ファクシが速歩で駆け出した。
突然のことで驚いたが、すぐにセシリアは馬で駆けることに夢中になった。
歩いていたときはそこそこ時間がかかったが、戻るときはあっという間だった。
馬場に着き、アレクの手を借りてファクシから降りる。
「どうだった、セシリア」
「すごく、楽しかったです。私も乗れるようになりますか」
「ああ、練習すれば必ず乗れるようになる」
アレクが轡をとり厩の方へ曳いていく。
「あの、ファクシは二人で乗って大丈夫だったんですか」
「俺より大きな男が鎧を付けて乗ったりするからな。よかったな、心配してもらえて」
アレクがファクシの首筋を撫でる。アレクは厩の中にファクシを曳いていくと馬房へと入れた。
「馬の世話をしたことがあるということはブラシはかけられるな」
「はい」
セシリアはファクシをマッサージするようにブラシをかけ始めた。その間にアレクは蹄の手入れをしている。
ファクシの世話を終え、厩を出る。厩を出たところでアレクは立ち止まり、セシリアを振り返った。
「この間、出かけるといった話だが、牧場へ行かないか。馬を見よう。気に入った馬がいたらここに連れてきてもいい」
「本当ですか」思わず声が大きくなる。アレクはそんなセシリアを見て、ふと笑った。
「なにか変でした」
「いや、そんなに嬉しそうな顔は初めて見た、と思って」
「そうですか」
「ああ」アレクは少しうつむいたあと、セシリアに手を差し伸べながら言った。
「行こう。腹が減った」
セシリアはアレクの手を取り、春宮へと歩き出した。