オリガの護身術
食堂で慌ただしく昼食をとり、自室で少し休憩をする。
楽しくはあったが、久しぶりの授業にぐったりとソファにもたれていると、オリガが部屋に入ってきた。いつもの無表情と違いなんだか嬉しそうだ。
オリガはセシリアの前に来ると、ブーツを何足か床に置き、腕に抱えていた服を広げた。それはセシリアにサイズが合いそうな乗馬服だった。
「護身術なので本来ならばドレスのままで行うのがいいのですが、慣れるまでは動きやすい格好で行います。これに着替えてください。靴も合うものを履いてください」
「わかったわ」
「これは王太子殿下がお若い頃に身に着けられていた乗馬服です。本来ならば新しいものを用意すべきだったのだが間に合わなくてすまないと王太子殿下がおっしゃっていました」
「別に気にしないわ。これで十分よ」
乗馬服はそれなりに着用されているようだったが、擦り切れも継ぎも当たっていない、セシリアからすれば十分きれいなものだった。
「着るのを手伝ってもらえるかしら。こういうのは着たことがなくて」
「馬に乗られた経験はないのですか」
「それがないのよ。乗ってみたいとは思っていたのだけれど」
「そうですか。もちろんお手伝いいたします。セシリア様」
オリガに手伝ってもらって乗馬服に袖を通す。着てみると作りは簡単でこれならひとりでも着られそうだ。自分に合うブーツを履いてオリガのあとについて自室を出る。
オリガに連れて行かれたのは、春宮内の広間だった。
「ここでいいの?」
「広間は行事かお客様がいらっしゃったときにしか使いませんので大丈夫です」
「そう」
「いきなりやると怪我をするかもしれないので軽く動きましょう。同時にセシリア様がどれくらい動けるか見させていただきます」
それから飛んだり跳ねたり、体を曲げたり足を上げたり、オリガの言う通り動いた。この時点でかなり息が上がってしまっていた。
「大体わかりました。貴族のお姫さまにしては動けますね」
「家では木に登ったりはしていたから」
「木登り?」
「うちは庭師を置く余裕がなくて、二週間に一度しか来てくれなくてね。二週間も放っておいたらせっかく生った果物がだめになってしまうでしょう。だから私が木に登って採っていたのよ」
「貧乏って謙遜じゃなかったんですね」オリガがあきれたように言う。
「平民の家庭ならば十分暮らしていけるかもしれないけれど貴族の暮らしをするには全然足りないわ」
セシリアはオリガに手渡されたハンカチで額に浮いた汗を押さえながら答えた。そんなセシリアをよそにオリガは続ける。
「護身術といえば相手の力を利用してうまく立ち回ると思っていらっしゃるかもしれませんが、今のセシリア様では男の力には勝てません。そこで手っ取り早く暗器を使います」
「暗器?」
「隠し持っておけるくらい小さな武器のことです。殿方のように帯剣できればいいのですが、王太子妃殿下が剣を持ち歩くわけにもいきませんので。セシリア様にはこれを使っていただきます」
オリガは懐からてのひらに収まるくらいの長さの鉄の棒を取り出した。両端は中央よりゆるやかに細くなっていて、鋭利とは言えないが押し当てられれば痛そうだ。中央より少し寄ったところに指輪くらいの鉄の輪が付いている。
オリガはその輪に右手の中指を通すと、鉄の棒をくるりと回してみせた。鉄の輪を支点として棒の部分は自由に動くらしい。
「短剣もいいのですが、剣は刺せば血が出る。セシリア様は血を見ても冷静でいられますか」
セシリアは慌てて首を横に振った。自分が傷つけた相手の血を見て冷静でいられる自信はない。
「そこで寸鉄です」
「すんてつ……」
「遠い異国の暗器ですよ。セシリア様の力で刺したところで血が出ることはないでしょう。しかも素手で対応するよりもずっと効果がある」
オリガは寸鉄を回して、先端を下に向けるとぐっと突き刺す仕草をした。
「うまく使えば相手はしばらく動けない。セシリア様くらいの力なら急所をついたところで死ぬことはないでしょう」
オリガがさらっと物騒なことを言う。オリガは珍しくにっこり笑って続けた。
「むこうは殺る気できているので、中途半端な気持ちでいるとこちらがやられてしまいますよ」
甘い気持ちでいたわけではないけれど、こういうことを聞いてしまうと身がすくむ。
「まあとにかくやってみましょう。まずは扱いに慣れてください」
オリガは普段と違って随分と活き活きしている。
寸鉄を渡されて、セシリアはオリガを真似、右の中指に鉄の輪をはめる。指を使ってくるくると回してみる。確かに慣れる必要があるが、扱いはそれほど難しくなさそうだ。
「今日は寸鉄の扱いに慣れていただくのと、体力作りですね」
「体力作り……」いやな予感がしてセシリアはつぶやいた。
「いざというときに動けるためです。公務をこなすにも体力は必要です」
それは、セシリアが見たなかで一番いいオリガの笑顔だった。