お妃教育
私室で急いで着替え、また違う部屋へと案内される。
その部屋は客間のうちのひとつだろうか、日当たりがよく、部屋の中央に向かい合わせに二台、大きな机が置いてあった。
フリードマン先生とやらはまだ来ていないらしく、セシリアはほっと胸をなでおろした。
壁際に書棚があり、そこに置いてある本を見ていると扉を叩く音がした。
「はい」
セシリアは反射的に返事をしたあとに、席についていたほうがよかっただろうかと思ったが、既に扉が開いて長身痩躯の男性が部屋に入ってきていた。
半白の髪を綺麗になでつけ口ひげと顎ひげをたくわえている。年は父よりも少し上だろうか。金縁の片眼鏡が近寄りがたい印象を受けた。
瞬間、目が合い、セシリアが先に膝を折ってお辞儀をした。
「セシリア・フォン・シーラッハと申します」
嫁入りのあてもなく、社交界にも出なかったセシリアは行儀作法についてうるさく言われることはなかった。ただお辞儀だけはどこに行っても役に立つからと、しっかりと叩き込まれ、母にもお辞儀だけは美しいと褒められたものだった。
顔を上げたセシリアは、フリードマンの顔に浮かんだ微笑みを見て、間違っていなかったと安心した。
「王太子妃殿下にご教授いたしますアントニー・フリードマンと申します。よろしくお願いいたします」見た目に反して高めの柔らかい声で挨拶を返してくれた。
「どうぞおかけになってください」
勧められてセシリアは椅子に座る。フリードマンも向かいの机に着いた。特に雑談などもなくフリードマンはセシリアに質問した。
「失礼ですが妃殿下はこの国の歴史についてどれくらいご存知ですか」
「あまりよくは知らないのです。こどもの頃におとぎ話や説話で聞いたくらいで。建国者ヴィルヘルムの弟宮アルフレートがシーラッハ家の始祖である、ということは知っていますが、それくらいしか」
「いえいえ、普通の貴族のご令嬢であればそれだけご存知であれば十分ですよ。今までの王太子妃となられた方も同程度の知識だったと思いますよ。ただ」フリードマンはそこで一旦息を継いだ。
「……ただ?」
「王太子殿下が、妃殿下には国のことをよく知っていてほしいとお望みなのです。この国をふたりで良くしていきたいからと」
似たようなことをアレクから直接言われていたのだが、他の人間から聞くとまた違ったふうに聞こえる。セシリアはなんと言っていいかわからず、ただうなずいた。
「ではこの国の成り立ちからお話していきましょうか」
そう言ってフリードマンは、建国者ヴィルヘルムについて話し始めた。
はじめはしっかりと学ばなくてはと意気込んでいたセシリアだが、フリードマンの話が面白く、途中から勉強だという意識は薄れ、すっかり自国の歴史を楽しく聞くことができた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、授業も終わりの時間となった。
「では、明日は中興の祖マグヌス大帝からお話しましょう」
フリードマンが本を閉じながら言った。セシリアも本を閉じ、筆記具を片付ける。
腰を浮かしかけたセシリアに、少しためらったあとフリードマンは言った。
「これは老婆心ながら申し上げるのですが妃殿下はもう少し立ち居振る舞いをお考えになったほうがよろしいかと思います。妃殿下が私に敬意を持ってくださっているのはわかりますが、それにはそれに合った形、というものがあります。妃殿下はその形を学ばれるべきかと思います」
セシリアは自分が気にしていたことを指摘されて、再び椅子に腰掛けた。大公家の出とはいえ、自分に優雅さが足りないのは十分自覚している。
「別に妃殿下を責めているわけではないのですよ。あなたの直截さはとても魅力的だと思います。しかしこれから完璧な立ち居振る舞いを求められる場面も出てくるでしょう。その時に困らないように今から完璧な王太子妃という仮面をかぶる準備をしておくべきです」
「そう、ですね」
「私はこのあと王太子殿下に今日の授業内容をご報告するのですが、よろしければその時に王太子殿下に伝えておきますが」
「ありがとう。お願いします」
フリードマンならきっと上手くアレクに伝えてくれるだろう。セシリアががさつなのはアレクもわかっているとは思うが、自分からは言い出しづらい。
「どうぞ明日もよろしくお願いします」
セシリアは立ち上がって膝を折って頭を下げた。
「大丈夫です。こんなに綺麗にお辞儀をできる妃殿下ならすぐにできるようになりますよ」
たとえ慰めでもセシリアにとってフリードマンの言葉は心強かった。
セシリアは部屋を辞すると昼食のために食堂へと向かった。




