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101(ワンオーワン)   作者: 叢雲弐月
101人目の魔境王
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中庭へ

『…お前が悪いのよ。全部、お前が…。お前が女だったから…。』


 違う…。そんなわけない…。そんな問題じゃない。…違う。


『お前が…、お前が…。』


 身体にのしかかる、重いもの。女の声。黒い影。人の形をした、何か…。


 ううん、違う。これは、現実じゃない。ここにそんなものはいない。


 華の目尻に、汗とも涙ともつかぬものがつたう。でも、身体はどこもかしこも強張っており、身動きがとれない。


 これは違う。ここにそんなものはいない。違う。だってここは…。


 華は、眠りの扉を無理やり力でこじあけるように瞼をパッと開く。


「あ…れ…、ここ…どこ…。」


 ここはいったい…。華はそこまで考えて、ここがプラーガ城の一室だということを思い出した。


 夢の残滓は苦く、重い。それも、見たくもない夢であればなおさらのこと。


 次の朝起きた時、あったことが全部夢だったらいいのに、と思いながら眠りについた。それにもかかわらず、自分が眠っている間の夢さえ、暗い記憶の破片であることに絶望すら感じる。


 こんな夢、最近は見なくなっていたのに…。


 どこか緊張していたことが、夢に影響したのかもしれない。ここは、どことも知れぬ異国の地。住む人の服装も顔立ちも、華が暮らしていた日本とは、全く違う土地だ。言葉が通じないだけでなく、ここには、見たこともないような不思議な術すら使う人がいる。


 忍びよる朝の光、耳慣れない鳥の鳴き声、どこか遠くに小さく響いている足音。いつも通りでない朝の気配の数々。様々な要素が華の不安と絡み合い、蜘蛛の巣のように複雑な模様を織りなす。そうやって網を広げ、華を絡め捕り、夢の中まで支配しようとする。


 華は、到底二度寝をする気にはなれなかった。疲れは頭の芯に澱のように沈み、気持ちに淀みの波紋を広げる。いつもより、身体がなんとなく重い。早く眠りについたはずなのに…。華はのろのろと身体を起こし、溜息をつく。


 それでも、いつ迎えに来るかわからないクラーラの訪れを考えた。このまま、ベッドで休んでいるところに来られたら、ただでさえうるさい人が、ここぞとばかりに攻撃してくるだろうことは、華の頭にも想像できる。朝からそういう面倒はごめんだ。


 だから、さっさと顔を洗い、寝る前に脱いでいたジーンズやパーカーを身につけた。衣服は昨日のまま。着替えはもちろんない。


 カーテンを引き、窓を開ける。少しひんやりとした、湿った空気が入ってくる。外は、白い霧に覆われている。川が近いからだろう。冷えた空気と川の水の温度差が生み出す川霧。それが、壁を越えて城にかかっているようだ。


 その様子を、ただ遠くから眺めることができるなら…。古城にかかる川霧、どこかヨーロッパに似た、石造りの建物、赤い屋根。それは、美しい風景として目に焼きつくことだろう。


 だが、華は皮肉にもその風景の内部にいる。それも、くたびれたシャツと破れたジーンズ姿で。自分でも、城という背景に一番マッチしない要素だと思う。ここで働くメイドさん達だって、パリッと糊のきいたものを着ているというのに。


 鐘が鳴っている音がする。ゴーン、ゴーンと木霊するように響き渡る。どこか近くに鐘楼があるのだろう。鐘楼は一か所ではないらしい。遠くからもすぐ、音の追いかけっこをするように鳴りだした。


 椅子と机を引きずるようにして窓辺に移動させ、真っ白な外を眺めながら、水筒のお茶を飲む。一晩がたち、お茶はすでに常温と変わらなくなっている。そんな風にただぼんやりとしていると、自分がただの海外旅行でもしているように思えてくるから不思議だ。実際は、旅行らしい旅行の一つもしたことはなかったというのに。


 華は窓を閉め、手持無沙汰をなくすため、ノートパソコンを広げた。書きかけのレポートの続きでもしようと思っているのだ。ここで他にできることはない。電池がつきればレポートも書けなくなる。それがわかっていても、華は自分にできうる限りのいつも通りにしがみついていたいと思っている。


 時々、遠くで人の声がするが、部屋の前を通り過ぎるような足音とかは聞こえない。やはりこのあたりは、人払いがされているか、元々人の来ない場所なのだろう。けれども、それを知っている人間にとっては、穴場のような存在なのかもしれない。城の入口を通りぬけることさえ出来てしまえば、こういう場所に隠れられる。スパイだって、紛れ込めそうだ。華はぼんやりと、そんなことを考えていた。


 しばらくモニターに向かい、キーボードをカタカタやっていると、向こうからコツコツと、かなり硬質な靴音が近づいてきた。華はその音で、ああ、来たなと思う。


 部屋のドアは、ノックされることなく、いきなり開かれた。


 華の予想通りの人物だ。クラーラは、華に声の一つもかけず、腰に両手をあてながら仁王立ちで部屋の中を見渡す。そうやって、部屋に変わった様子がないことを確認したのだろう、ベッドの上に畳んで置いておいた彼女のマントを手に取り、机の上にポン、と投げてよこした。


「これを着て、早く用意して。」


 華は、いちいち文句を言うのも面倒くさいな、と思ってしまう。どうせ相手は人の話など聞かない。言うだけ無駄な労力を使う。そう先回りして考えてしまうのだ。なにしろ、華の存在をこれ以上ないほど周囲に知られたくない様子で、わざわざここに一晩宿泊させておきながら、お茶一杯寄こさなかった相手だ。


 華は、無言のまま机の上に広げていた荷物をリュックにしまいこみ、クラーラのよこしたマントを着て、フードを頭にかぶる。支度はすぐに終わった。


 その様子を確認したクラーラは、これまたさっさと部屋を出て行く。華もまた、黙ってその後ろをついていく。


 昨日、総主教のところへ行く予定だと言っていた。事前に会う連絡をしているということは、どこか別の場所に移動するのだろう。またあの船に乗るのだろうか?


 華はそんな風に思っていたが、どうやら違うようだ。クラーラは、途中までは昨日通った廊下を逆行していったが、船のある渡り廊下のほうへは向かわず、さらに階段を下へと降りて行く。そして、そのまま一階まで降りると、その正面にあった観音開きの扉を開けて、屋外へと出て行った。華も、そのあとに続く。


 周囲を回廊と建物に囲まれたそこは、どうやら中庭のようだ。広々とした敷地は、長方形の石を並べた通路で仕切られている。そんな通路の上を、クラーラの後について歩く。地面は朝方の霧のせいで、濡れている。


 庭は、回廊に沿うように低い生垣がしつらえてあった。通路で仕切られたところが花壇になっていで、ところどころ、丸くこんもりと茂るように刈られたトピアリーが植えられている。常緑樹らしい緑の合間には、花が色分けされて並ぶが、霧に濡れたその花弁はどことなく重そうで、皆しょんぼりとうなだれているように見えた。


 そんな庭の真中付近に、八角形の星型をした池があった。そこに四体のグリフォンの石像が、狛犬のように外向きに鎮座しながら、水を吐いている。


 その池の中央には、昨日遺跡のような場所で見たのと同じような、丸い石の舞台があった。そして、鳥居のようなものも…。


 いや、鳥居かどうかはわからない。注連縄が飾られているわけでもない。ただ、日本人の華にとっては、あの象徴的な形が鳥居に見え、そこがどこか神聖な場所、結界になっているような気がするだけだ。


 昨日見た、壊れた遺跡の中にあったものと違い、ここの石舞台と鳥居は壊れていなかった。だが、古そうな感じはする。放棄されたものと違い、人々の生活の場に建っているせいか、手入れがちゃんとされているのだろう。


 もっとも、鳥居にしては少しめずらしい形をしている。柱が三本ある、三柱鳥居。昨日見た二本柱のものは、舞台の前に別に建っていたのだが、こちらの三本柱は、丸舞台と合体している。つまり、記号の刻まれた大きくて丸い石舞台の円に、三角形を描くように柱が三本建てられている。


 クラーラは池の前まで移動すると、そこで立ち止まり、華のほうを振り向いた。


「ゾルタンが来たら、ここから移動することになる。その前に、あなたに言っておきたいことがあるの。」


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