移動
あれからさらに、クラーラの話は続いていたが、同じ主張を何度も繰り返すだけの彼女に、華はうんざりさせられただけだった。
ゾルタンのほうは、口数も少なく(もっとも、彼に口をはさむ間があったかは疑問だが)、口達者な伯母にいいように言いくるめられている感があった。彼もまた、内心、伯母を厄介に思っているのかもしれない。
いつのまにか、日が傾いていた。窓の外の光が少し弱くなり、青空が色を薄め、夕暮れの茜色との境界を曖昧にし、千切れた雲が、取り残されたように一つ二つ彷徨っている。斜めになった光が、深く差しこみ、少し眩しい。
目を眇めながら窓のほうを見ていたら、電車が駅で停車する時みたいな揺り戻しが急にあり、華は驚いた。ずっとそれまで、それほどの振動もなく乗っていたので、自分が乗り物に乗っていたことを忘れそうになっていたのだ。
ゾルタンが、おもむろに少しばかりフロックコートをめくり、金の鎖をたぐりよせた。上着の内側に、ちらりと木の棒が挿してあるのがあるのが見えた。
あれは多分、クラーラと同じ、杖のようなものだろう、華はそう思った。だとしたら彼もまた、あの本、大きさが変わったり、宙に浮いたり、不思議な出来事を起こす本を、どこかに持っているのだろう。
鎖の先に、それがついているのかと思って華は見ていたのだが、彼が取り出してきたのは、厚みのある懐中時計のようなものだった。蓋は、黒色に鳥とアラベスク模様が金で象嵌細工されている。蓋を開けると、中はスケルトンだった。拍動する心臓にも見える、トゥールビヨンみたいな機械が埋め込まれており、時々、何が起こっているのか、小さな青い稲光のような光が走る。
華は、そっとポケットからスマホを取り出し、机の下で隠すようにして見た。相変わらずの圏外。着信もない。時刻は、午後一時。どうやらこちらの時間とあちらの時間は違うようだ。時差がある。やっぱりここは華のいた日本じゃないのだろう。少なくとも外国。でも多分、ここは…。
華は立ち上がり、二人に断りもいれず、窓辺に寄った。
「何をするつもり。」
後ろでクラーラが咎めるように声をあげたが、華は気にしなかった。
「別に何も。」
窓の下にはいつのまにか、都市が広がっていた。周囲を城壁で囲まれた、城塞都市だ。街の中を、ずっと奥のほうに向かって川が流れている。その川にかかる橋を越えたあたりに、少し小高くなった所があり、そこに城やゴシック建築風の建物が建っているのが見える。街全体の屋根が赤く、雰囲気はプラハかフィレンツェみたいな印象だ。建物の様子から、手前が商業地区や住宅、奥側にいくほど街の重要な場所のような雰囲気だ。
華は、この浮遊城よりずっと小さくてコンパクトな感じの船が、自分達のいるところより下のほうをゆっくり飛んでいることに気付いた。スマホを窓に向け、眼下に広がる街と、飛行物体の写真を撮ってみる。
「今、何をしたの。」
クラーラが立ち上がり、華の傍に寄って来た。
「写真を撮っただけ。」
「写真?」
華は、アルバムを開き、撮影した写真を見せた。
「これは、何?景色の転写?」
写真を知らないのだろうか?こんな妙な船が空を飛んでいたり、精巧な懐中時計のようなものがあったり、言葉が自動的に翻訳されてしまうような機械があるというのに…。
どこかヨーロッパに似ているのに、全然違う。
華は、まじまじとスマホを覗き込むクラーラを尻目に、さっさとスマホをポケットにしまいこみ、一つ、溜息をついた。
クラーラのじとっとした目が、スマホをしまいこんだポケットに向けられている。
ここはやはり、日本じゃない。地球上に、こんな街はない。これだけ通信網の発達している世の中だ。こんな変わった乗り物や魔法みたいに不思議なことが起こっていたら、皆に隠しおおせるわけがない。
ここは、いったいどこ?
自分がいる場所が全くわからない。見当もつかない。こんな世界があるのは、きっと夢の中か物語の中だけ。なのに…。
「もうすぐ城に着くわ。」
「城?」
この船のことも、城って言ってなかったっけ?
「ここは、領都ザーラ。あそこの小高いところに見えているのが、プラーガ城。ドラクール公の城よ。」