一人だった異世界に、二人が加わった
幼馴染の二人が突然訪ねてきてから五日。俺は何事もなかったかのように、家と会社の往復を続けていた。
幸いにも会社はホワイトで、ミスさえなければ残業もない。定時で帰宅し、静まり返った部屋で一人、淡々と時間を消費する日々だ。
だが今日は違う。
帰ったら、全部話すと約束している。
逃げることもできた。曖昧に誤魔化し続けることもできたはずだ。だが、それではきっと後悔する。あの二人には、そういう嘘は通用しない。
夕飯の準備をしながら、俺は無意識に包丁を握る手に力を込めていた。まな板に当たる音が、やけに大きく響く。
――本当に話していいのか。
答えはもう出ているはずなのに、心のどこかで躊躇いが残る。
あの扉の先は、もう俺一人の問題ではなくなりつつある。
十九時を少し回った頃、インターホンが鳴った。
「いらっしゃい、とりあえず上がりなよ」
「お邪魔しまーす。久しぶりだな、中に入るのも」
「ほんとだね。おじいさんのお葬式以来だね」
何気ないやり取り。だが、その一つ一つが妙に懐かしく感じる。
リビングに案内しながら、俺はわずかに安堵していた。変わっていない空気が、そこにあったからだ。
「二人とも夕飯は?まだなら一緒に食べるか?」
「まだだから助かる」
「私もいただく」
三人で食卓を囲む。箸の音と食器の触れ合う音だけが静かに流れる。
しばらくは、他愛のない会話だけだった。
だが、いつまでも逃げるわけにはいかない。
「で、約束の話だけどさ――」
俺は一度言葉を切り、二人の顔を見る。
そして、できるだけ感情を排して話し始めた。
祖父が異世界の人間だったこと。
遺品の中に異世界へ繋がる扉があったこと。
そして俺が、その世界で生活していること。
話している間、自分でも不思議なくらい冷静だった。
だが、話し終えた瞬間、空気が凍りつく。
二人は黙っていた。
驚きすぎて言葉が出ない――そんな表情だった。
「……異世界って、あれだよな。漫画とかアニメの」
ようやく絞り出すように、奏太が言う。
「だな。俺も最初は夢かと思った」
軽く笑ってみせるが、自分でもその笑いがぎこちないのが分かる。
「でさ、二人に決めてほしいことがある」
俺は続ける。
「向こうの神様が、望むなら連れてきてもいいって言ってる。地球の神様にも話は通ってるらしい」
現実離れした言葉に、二人は再び沈黙する。
無理もない。俺だって最初は受け入れられなかった。
しばらくして、奏太が口を開いた。
「……正直、まだ信じきれているわけじゃない。でも裕季が嘘つくとは思えないし……一回、行ってみてもいいか?」
その声には迷いがあったが、逃げる気配はなかった。
続いて琴音も静かに言う。
「私も興味はある。でも、こっちの生活もあるし……。だから、一日だけ一緒に行動して決めたい」
現実と非現実の間で揺れているのが、はっきりと伝わってくる。
「それでいいと思う。無理に決める必要はないしな」
俺はそう答え、立ち上がった。
「じゃあ、行くか」
物置部屋へ向かい、あの扉の前に立つ。
ドアノブに手をかける瞬間、ほんのわずかに躊躇う。
だが、そのまま押し開けた。
次の瞬間、景色が変わる。
ログハウス。
木の匂いと、静かな空気。
「……マジで繋がってるんだな」
「すご……」
背後で二人が息を呑むのが分かった。
その反応に少しだけ安心しながら、俺はお茶の準備を始める。
その時だった。
外に、複数の気配を感じた。
――来たか。
扉を開けると、そこには創造神と『鉄の斧』の面々が立っていた。
「いらっしゃい。中へどうぞ」
自然にそう言えた自分に、少し驚く。
最初に会った時の緊張は、もうない。
全員を中へ通し、お茶を配る。
創造神は、奏太と琴音をじっと見つめていた。
値踏みするような、あるいは見透かすような視線。
二人の肩がわずかに強張る。
「ふむ。その二人も望むなら、お前と同じ条件にしてよい」
静かな声が響く。
「三年後、こちらに残るならば、だ」
あまりにもあっさりとした宣言だった。
「分かりました」
俺は頷き、二人を見る。
「どうするかは自分で決めていい。俺に気を遣う必要はない」
その言葉に、奏太はゆっくりと息を吐いた。
「……期限まで、一緒に行動して決めたい」
琴音も、小さく頷く。
「それで問題ない」
創造神は即答した。
「言葉と文字は補ってやろう。身体強化と風魔法も与える。最低限は生きられるはずだ」
その一言で、二人の表情がわずかに和らぐ。
「監視は引き続き『鉄の斧』に任せる。ではな」
そう言い残し、創造神は消えた。
残された静寂。
「じゃあな。俺たちは街に戻る」
バレンたちも去り、完全に三人だけになる。
俺は息を吐き、振り返る。
「とりあえず、これからよろしくな。今日は――」
そこで、違和感に気づいた。
「……あれ?」
「どうした?」
視線の先。
そこには、見覚えのない扉が二つ。
恐る恐る開けると、ベッドが二つ並んだ寝室が現れる。
もう一つも同じ構造だった。
「……いつの間に増えたんだ」
「神様案件すぎるでしょ……」
呆れ半分、苦笑半分。
だが同時に、この世界の理不尽さにも慣れ始めている自分がいた。
「使っていいと思うけど、どうする?」
「……今日はもう疲れた。ここでいい」
琴音がそう言い、奏太も頷く。
結局、二人で一部屋。俺はもう一部屋。
その光景を見て、ふと思う。
――あいつら、変わらないな。
そして同時に、胸の奥にわずかな感情が生まれる。
羨望か、孤独か、それとも――。
答えは分からない。
「じゃあ、おやすみ」
短く言い、俺は自分の部屋に入る。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
異世界と現実。
二つの世界を行き来する生活。
そこに、幼馴染の二人が加わった。
三年という猶予。
その先にある選択。
考えるべきことは山ほどある。
だが――
今はまだ、答えを出す必要はない。
目を閉じる。
静寂が広がる。
気づけば、意識はゆっくりと沈んでいった。




