第二幕 第三章 【12】本当の黒幕①
誅殺として風花国の王が変わり、ひと月が過ぎた。
シロウたち王宮で働く者は慌ただしい日々を過ごしている。
ナルは悠々自適に――というわけにもいかず、無職だと心配していたのが嘘のように、仕事に忙殺されていた。
まずは、後宮内での見定めである。
一時的とはいえ後宮にいたこともあり、尚且つ女性で、シロウから絶対の信用を得ている部下(本来は逆なのだが、そう思わせている)として、後宮で女官として働いてる。
仕事内容は、管理と見定めだ。
王子や姫は勿論、彼らに邪心を植え付けるような吹聴をする傍仕えを探すことが、もっとも重要な職務であり、その次が、後宮内の様子や動向観察である。
当然ながら、邪心で出来ているような傍仕えも存在するため、具体的には、そういった者を洗い出し、背後関係を調べるのだが。
ナルとしては、発見と後宮内での証拠集めだけでよい。
それも、信用できる女官たちに振り分けているため、報告書に違和感がないかを念入りにチェックするのが一日の大半の役割であった。
書類がまとまれば、あとは裏方へ。
調べた女官の名前も記載しているため、偽りがあれば、偽りを報告した女官も取り調べを受けることになる。
実際、ナルが赴任してから二人ほど女官が後宮を去った。
王子や姫の反応はそれぞれだ。
父王の失脚により怯えるもの、怒りを露わにするもの、嘆く者、そして――静かに、血縁として処遇を待つ者など。
反乱分子は残さない。
だが、無駄な血も流さない。
ナルは明日より暫く後宮を離れるが、その間、それとなく彼らに試験を受けて貰うことになっていた。
本人たちの知らないところで、素質や本質を見定めようというのだ。
もっとも、試験を行うのは、現在ナルの手足のように働いてくれている女官たち数名だ。
他にも後宮運営のための女官はいるが、ナルつきの者たちはハイスペックを極めており、とても優秀である。
(試験は彼女たちに任せて大丈夫でしょ)
後宮に戻ってから、ナルは皇には会っていない。
孤独な十六王子は変わらず過ごしているようだが、情に駆られて会いに行くわけにはいかなかった。
あの少年もまた、天馬の血を引く王子なのだから。
(もし、試験に合格しなかったときは……)
十七王子ならば、年齢的にも養子へ出せる。
だが、皇は養子縁組するには育ち過ぎていた。
もし彼が、悪意または謀反の意志有となれば、その先に待つ未来は決して明るくない。
ナルは不吉な考えを振り払い、帰宅の準備をする。
後宮での生活が続いたが、今夜のうちに次の職場――ということになっている『神殿』へ移動しなければならなかった。
支度を整えて部屋を出たとき、部屋の前で背筋を伸ばして立っている女性に気づいた。
僅かばかり目尻に皴がある、美しい女性だ。
彼女は神殿から送り込まれた『諜報員』らしく、そして同時に、杠葉の友達だったらしい。
ハルという名前の彼女は、ナルを見ると微笑んで拝礼をした。
仰々しいと思わないでもないが、ここでは当然のことである。
「どうしたの? 何か用?」
「お見送りさせていただきたく」
控えめに、彼女はそう言う。
ハルは諜報員として潜入し、常に危険と隣り合わせに後宮で暮らしてきた。十六で女官になったため、かなり長期間となる。
そんなハルは、自分とよく似通った印象を受けた杠葉と友達になったという。
だが、杠葉はある日突然、後宮から姿を消し、彼女の存在そのものを口外することを禁じられた。
ハルは、ナルが来た日の夜に部屋に訪ねてきて、自分は神殿の諜報員であることを述べた。
ナルもフェイロンから聞いていたので頷いたのだが、ハルは報告とともに、杠葉という娘の行方を知らないかと聞いてきたのだ。
――『半年前に亡くなったわ』
真実を告げた。
そしてそれがきっかけとなり、自分たちが捜査に動くことになったのだということも。
ハルはぼろぼろ泣いたあと、真実を知れてよかったと繰り返した。
彼女にとっては、生まれ育った神殿は勿論、神殿の協定先である養女先の実家貴族も、後宮内も、どこも恐ろしいという。
いつ死んでもいい命だが、友人のことだけが気掛かりだったと。
その話を聞いた翌日から、なぜか妙に懐かれてしまった。
ナルなど、彼女から見れば親子ほど離れた小娘だろうに。
後宮の出入り口付近まで送ってもらい、「あとは宜しくね」と伝える。
ハルは微笑んで礼を取った。
最近、ハルの笑みも多くみられるようになり、嬉しい限りだ。
門をくぐると、宦官の兵士たちの傍を通り抜けて、入り組んだ王宮内を歩く。
当然ながら女性はいないため、ナルの存在は目立つのだが、夜中ということもあり、人通りはない。
途中で、護衛についてくれる佐梨と合流し、面倒な正面門ではなく、壁を飛び越えて王宮を出た。
当然のようにナルを抱えて塀を飛び越えることの出来る身体能力に、もはや驚きはしない。
ちなみに、アレクサンダーもリンも、『信用できる者』として役割を与えられ、内政で奔走中だ。
暫くは護衛から外れてもらい、銀楼の棟梁である佐梨と行動することになっていた。
「馬車をご用意しております、こちらへ」
「ありがとう。……神殿の前に、一度、ヤコさんのところへ寄ってもらえる?」
「はっ」
馬車といっても、カゴがついている仰々しいものではなく、車輪のついた野ざらしの椅子が二つ、馬に括りつけてあるだけの質素なものだ。
ナルがこれがいいと注文した安物の馬車だった。
佐梨が御者を務める馬車の隣に乗り、激しい揺れのなか、ナルは予め決めていた問いをした。
「ねぇ、正慶王子のことを知ってる?」
声を潜め過ぎたかな、と思ったが、佐梨には聞こえたらしい。
「天馬の兄王子ですね」
「うん、そう。なかなかの名君だったって聞いたんだけど」
「当時私はまだ棟梁ではなく、人に欠員が出た際、臨時で里から加わる程度の関わりしかなかったので、正式な銀楼ではありませんでしたが。……稀にお見掛けする正慶殿下は、とても理知的な方に見えました」
「ふぅん。見た目?」
「見た目も、言動も、ほかの王子とは別格だったように思います」
当時、第一王子として生まれた正慶は秀でており、皆から次期王だと認められて育った。本人も懸命に学問に勤しみ、知識だけに頼らず、己の見聞を大切にする大変優れた王子だったそうだ。
ゆえに、国を憂いた。
「現在、シロウ陛下が進めておらえる改革とよく似た事案を、王位継承した暁には行う予定とのことでした」
「随分と詳しいのね」
「王宮内で有名でしたから。正慶殿下の行動はとても美しく、正当で、正義でした。だからこそ、受け入れぬ者も多く、何かと衝突もあったのです」
ナルは、ふぅん、と相槌を打つ。
正しいことすべてが受け入れられるわけではないのは、世の常だ。
正慶は頭が良過ぎた。そして善人過ぎた。
だからこそ、正しく風花国が崩壊する未来に気付いてしまい、国内の格差を憂い、国を救済しようとした。それは王子として、国王として、当然の判断だったのだろう。
(まぁ、貴族らにとっては、面白くないわよね。格差あってこその贅沢三昧だし……それに、『いずれ国が崩壊する』って言われても、実感もないんじゃ、信じられないでしょ)
そしてついに、正慶は暗殺される。
彼を慕っていた貴族や正慶の考えに賛成していた貴族らは権力を削がれ、貴族位を降格させられることになった。
暗殺ゆえに、犯人はわからない。
だが、その後次々にほかの王子たちが死んでいったことで、残った天馬が犯人なのではないか――いや、天馬の背後にいたのちの右大臣が犯人なのだろう、という噂がまことしやかに流れたが、実際のところはわからないままだという。
「……天馬は、時次郎を警戒しておりました」
ナルは、視線だけを佐梨に向ける。
こちらから聞く前に、知りたかった話題をくれるらしい。
「天馬と時次郎は友達だったって聞いたけれど」
「幼いころより共に過ごす時間が多く、家族よりも親密な、真の友であったと聞いております」
「……そうなの?」
お互い転移者として、親しみを感じていたのだろうか。
ふと、時次郎について問うたときの、天馬が見せた表情を思い出した。
「それほどまでに旧知であった時次郎が、正慶の部下になったのが不満だったのかもしれません」
「待って、時次郎が……なに?」
「時次郎は、正慶が正式に国王になった暁に、宰相へ取り立てられることが確約されておりました。あれが正式に発表されたのは……正慶が暗殺される、五日前だったかと」
天馬は、風花国のためにも格差は必要で、王族があり続けなければならないと考えていた。
だが、時次郎が兄のもとへ下ったことで、絶望する。
そして、兄を殺した?
(時次郎じゃなくて? 時次郎の実家って、結局降格もされてないし、本人の処刑も結構あとだったわよね)
「時次郎って、どんなひとだったか知ってる?」
「二十年先を見通す天才だと聞いております。貴族らは、かの者を派閥に取り込むことに躍起になっておりましたし、正慶様が宰相として取り立てたことも事実です」
「つまり、頭がいいのは確実ってことか」
そんなことを話しているうちに馬車は止まり、登山よろしく山道を歩いていく。
途中から、情けなくも佐梨に担いでもらい、早々にヤコの家についた。
紅にヤコと話をしたい旨を伝え、場を整えてもらう。
深夜に来たにも関わらず、その日のヤコは夜着に着替えておらず、ぼうっと部屋に座っていた。
二人きりにしてもらい、ナルは口をひらく。
「これから、神殿に行ってきます」
「例のアレか。たしか、転生者を保護する際に必要な教育があるとかいう……サボればいいのに」
「サボりたいんですが、師匠が許してくれなくて」
いわゆる、洗脳カリキュラムのようなものだ、とあけすけにフェイロンは教えてくれた。
転生者はこの世界に知識を与える者ゆえに、保護される。
そんな転生者に、この国がどんなところか、何のためにこの世界にやってきたのか、神殿の庇護下にある限り協力するのが当然であり、しない場合どんな罰が待っているのか。
また国の歴史や神々の存在など、一般教養も学ぶことになっている。
「師匠いわく、頑張れば一か月ほどで『卒業』できるそうです」
「本当かい? この前来た、神官長おつきの者にさりげなく聞き出したんだけど、通常は八年ほどかかるらしいよ。『卒業』まで」
「はっ……八年!?」
八年を一か月とは、さすがに無理すぎる。
(でも待って……ふむ。これは使えるかも)
と、ちょっとした悪だくみを考えついたが、すぐに頭の隅に追いやった。
「別れの挨拶に来たわけじゃないだろう?」
「別れってなんですか! 行ってきますの挨拶ですよ。私は戻ってきますから」
「……ほんとうかい?」
ヤコが、ゆったり微笑む。
斜めに差し込む月光が照らし出す彼女の表情は、これまでナルが見たなかで最も、人間味が溢れたものだった。
「私、嘘って嫌いなんで」
「おや。じゃあ、私のことは嫌いかな」
「……ヤコさんは、嫌いじゃありません。何もしてないじゃないですか」
ナルはため息をついて、苦笑した。
「ピッタと杠葉の姉弟は、神殿関係者ではありませんでした」
フェイロンとハルからも言質をとったし、何より、衰退した神殿では、カタカナを書けるのは、それこそ神官長と一部の幹部のみだという話だ。
末端の諜報員が、カタカナ学べるほど智識をつけているはずがない。
「黒幕によって王宮に潜入させられ、右大臣に捕まった。自分たちが捕まることさえも黒幕の企みの一部だと気づいたピッタが、『黒幕は他にいる』と言葉を残したんです」
「……」
「杠葉の死をピッタに知らせたのは、ヤコさんですね」
「そうだよ。私が知らせた。……やるせないじゃないか。大切な姉が死んでいるのに、生きていると思い込んで働かされ続けるなんて」
新しい王がたち、国が変わっていく。
人手が足りず、資金も足りない。
当然、ヤコにも手伝いの声がかかったが、彼女はここを動かなかった。ただ、実家からの援助は惜しみなく、金銭的な面や地位を利用した融通なども聞かせて貰っている状況だ。
「……ねぇ、ナル」
「はい」
「私はね、子どもが欲しかったんだ。孫を抱くのが夢でね」
ヤコが目を伏せた。
震える唇が、彼女の言葉の重さを語っている。
「でも、駄目なんだ」
「それは、時次郎さんがすべての黒幕だから、ですか」
ヤコが頷く。
時次郎は王宮を離れ、この地で弟子を取った。
のちに、ピッタと杠葉と呼ばれる姉弟や、勝也やサトミたちのことだ。
時次郎は、弟子たちにお互いの存在を悟らせずそれぞれの前でよき師匠を演じ、各自に役割を与えた。王宮は悪であると教え込み、潜入して情報をもたらす係。武官として仕えさせ、国王天馬に存在をアピールさせる係。己を処刑に追い込む種にする係。
「時次郎は、子どもたちの師匠をしながら、多くの大人と連絡を取り合っていた。うちの援助がなかった頃から、一通りの研究道具が揃ってたんだよ。おかしいと思わないかい?」
「時次郎さんは、ここで先に、薬品開発をしていたってことですね」
「……取引相手は、きみのよく知る悪党共だ。きみの父親もいたはずだよ」
ここで、時次郎は研究をして、多くの弟子を育て放った。
当時、すでに時次郎が天馬から目をつけられていたのだとしたら、サトミからの仕送りが滞るのはわかっていたはず。
わかっていて、サトミを武官に推薦し、勝也から恨まれるよう仕向けた。
決定打として、己を処刑させ、サトミは時次郎の計画の一つとして、本人の意図しないところで動き出す。
(時次郎は、自分の死を含めて計画を練っていた。誰もが彼の手のひらの上で転がされるごとく動いている……なのに、理由がわからない)
時次郎は、何をしたかったのか。
何を求めていたのか。
その目的は――まだ終えていないのか。
「ヤコさん、弟さんは亡くなりました」
「そうだね」
「弟さんが二十年先を見据える天才なら、私は五十年先を見てみせますよ!」
ナルはそう言って立ち上がり、そのまま、ヤコに飛びついた。
いや、飛びつこうとして、足がつったため、途中でがくりと身体が崩れる。
だから山道って嫌い、と愚痴をこぼすナルを、ヤコがそっと抱き留め、おかしそうに笑った。
「なんだか良いことを言って、いい雰囲気にするつもりだったようだけれど」
「……いい雰囲気ですよ、ほら!」
ぎゅう、と首筋に抱き着く。
ヤコは、時次郎の死後、ここで暮らしてきた。
そのことに、ナルはずっと疑問を抱いていた。ヤコは時次郎が何かを企んでいたことを知っていたのだ。そしてその企みに、彼が大事に育てているふうに装っていた弟子たちが、駒として使われたことを知る。
ヤコは、ここで罪を悔いていくつもりなのだろう。
弟が――時次郎が犯した罪をその身に抱えて、かつて切望していた我が子を孕むこともなく。
贅沢をせず、静かに隠居して余生を過ごすのだ。
「ヤコさん、私のおばあ様になってください。お母様でも可!」
「以前も言ったが、孫がいいな。だが、唐突だね。どうした?」
「今、可愛い孫が困ってるんです。おばあ様、少しだけ助けて貰えませんか?」
「おやおや、話だけでも聞いてあげよう」
「実は私、ちょっとした計画をしてるんです! それに加わって頂けないかと……ふふふ。まぁ、ほぼボランティアなので、賃金は正式な法が出来るまで渡せませんけど」
「はっきりと言っておくれ。一体なんのボランティアなんだ?」
「学校の先生です!」
ずばり、と言ったナルに、ヤコは目を見張る。
そして何かを考えるように顎を撫で、ふむ、と頷いた。
「対象の生徒は誰になるのかな」
「子どもです。貧民街や平民街の。……もしかしたら、ちょっと訳ありの子が入るかもしれないので、ヤコさんのような色々なところに精通している方が安心なんです」
「後宮の王子や姫たちのことか」
濁したのに、即言い当てられてしまった。
ナルとしては試験で王子らをふるいにかけて、なるべく王宮に残したいと考えている。
だが、新しい王がたった今、血を絶やすために彼らを粛正すべしという声が多いのも事実だ。
「いいだろう、その話引き受けようじゃないか」
「え、いいんですか!?」
実は駄目元での頼みだった。
こんな厄介な頼みを聞いてくれる者など、そうそういないとわかっていたから。
驚くナルを見て、ヤコは微笑んでナルの頭を撫でた。
その瞳が、ほんの少し、潤んでいる。
「可愛い孫の頼みだからね。……本当に、可愛い孫だよ」
ここで何もしない日々を過ごすだけなど、辛いだけ。
ヤコが教師をしてくれるなら、彼女にとってもよい刺激になるんじゃないかな、と密かに期待していたこともあって、ナルは喜んだ。
「どういった形をとるか考えているだろうけれど、こちらでもいくつか案を捻出しておくよ」
「ありがとうございます!」
さて。
長居をしてしまったが、話もついたしそろそろ神殿へ向かわないと。
ナルが離れようとしたとき、ヤコのほうからナルを抱きしめた。
力強い腕に抱きしめられ、耳元でヤコが声を低くして言う。
「ナル。神殿には、あちらとこちらを繋ぐ力のある者がいる」
ナルは息をつめる。
「私には、あちらというのが何を指しているのかわからない。でももし――あちらという場所で、あいつに会ったら、私の代わりに叱ってやってほしい」
「わかりました。必ず」
あいつとは――時次郎のことだ。
確かに、『あちら』という曖昧な表現を用いているあたり、死後の世界という可能性もある。
転生自体が非現実的なのだから、今後、どんな不思議なことが起きても「そういうものなんだ」を貫くつもりだ。
ナルはヤコと約束を交わして、再び佐梨とともに神殿を目指した。
閲覧ありがとうございます。
ブクマや評価、誤字脱字報告するも!
今回は、後宮とヤコさん回でした。
ヤコさんは、最初から杠葉たちのことを(神殿関係者ではなく、時次郎が育てた弟子だと)知ってたんです。
色々ややこしいですが、ピッタが残した「黒幕」という文字。
あれは、時次郎をさしていました。
次は、②。
ナルの神殿での日々→