浴場事件①♦
ナインハルトを浴場の裏手に案内したシヴは、薪を入れる窯の周囲に火打石が無い事に気付いた。
「なげーこと使ってなかったからそりゃそうか、待ってな、探して来る。」
そう言ってテーブルを一旦その場へ下ろし、屋敷内へと向かうシヴ。
シヴが戻るまでにと準備を進めていたナインハルトだったが、浴槽に水を張っていないのではないかと思い立ち、確認の為に浴場へと足を運ぶ。
「確かに広いな……。しかしこれだけ広いとなると、どこかから直接水を引き入れている筈だ。」
浴場の広さに独り言ちるナインハルト。
一般家庭の風呂は溜めた雨水を使う事が多いのだが、ダコタの大浴場は近くの水源から水を引いてきて、直接流し込んでいた。おそらくここにも似たような仕掛けがあるに違いないと、くまなく探してはみたがそれらしき物が見付からない。
まさかバケツでこの風呂を一杯にするとは到底思えないのだが、水の通り道になるような物すら見付からないので、そのまさかがあり得るのか、と諦めかけていた時、外からシヴの声がした。
「火打石見付けてきたぞー……、あれ? あいつどこ行きやがった?」
「ここです! まずは水を張らないとと思いまして。」
シヴが窓から顔を覗かせて、ナインハルトに気付く。
「あー、そういやそうだな、ちょっと待てよ、俺もすぐそっち回るわ。」
すぐに二人は合流したが、ナインハルトから状況を聞かされたシヴも頭を抱えてしまった。
「いや、出来ねーことはねーけどよ……。」
「そうですね……。以前住んでおられた方は人海戦術で一気に運んでいたのでしょうか?」
「いや、そんなに使用人が居たようにゃ見えなかったな。何か気付いてない事がある筈だ。」
「しかし隅々まで見たつもりなのですが……。」
「おまえさんを疑ってるわけじゃねーよ、調べた時にやってみてない事をやってみてくれ。」
「やってない事と言われましても……。」
「だよなあ、それらしいもんは見当たらねーし……。」
シヴは浴槽縁に腰掛け、浴槽へと視線を落とす。
「この中にどっか穴があって、今は塞いでるとかそういう事はねーかな?」
「なるほど! 調べてみましょう。」
「よしじゃあ手分けするか。」
二人は浴槽の壁を、少しずつ位置をずらしながら丁寧にノックしていく。
裏が空洞なら音が変わるのでそれで判別できるのだが、結局それを見付ける事は出来なかった。
「違うみてーだな。いや、参るぜこれは、本当に全部汲んでくるのかよ。」
「このままだとそうなりますね。」
再び諦めの感情が湧き始めたところで、浴場にトビーの声が響いた。
「やあお二人さん、こんなところで何をしているんだい?」
「ぅるっせえよ、今忙しいんだおまえさんの相手をしてる暇はねーよ。」
「これは陛下、実は風呂を沸かそうと思ったのですが、どこにも注水できそうな場所が見当たらなくて困っていたのです。」
「ふ~ん……、よし! 僕達も手伝ってあげようかな。」
「いらねーよ。」
「助かります!」
対極の反応をするシヴとナインハルトに、トビーと、さらにハバキまで加わって、四人でもう一度浴室を調べてみる事になった。
しかし、先だってナインハルトが調べていたところにはやはり何もなく、時間だけが過ぎてゆくばかりで諦めかけていた時、トビーが頬杖をついて床を指差す。
「浴槽の床にさ~、蓋みたいなの二つあるじゃ~ん? それな~に?」
「排水口だろ。」
「排水口でしょう。」
「排水口じゃないか?」
「排水口か~。開けてみた?」
「水溜めるって言ってんのに開ける馬鹿がいるか。」
「排水したいわけではないですからね。」
「それになんの意味があるというのだ?」
トビーは手が届く位置にある排水口の蓋に手をかけ、持ち上げる。
当然のように排水口が露出したので、すぐに蓋を元に戻した。
「やっぱり排水口じゃねーか。」
「あっちは?」
トビーは対角線上にある同じような蓋を指差す。
「それが排水口なのだからあっちもそうなのではないかなビーちゃん。」
そう言うハバキの方を振り向いて、トビーは真剣な顔で言う。
「やってみなくちゃわからないよ?」
つかつかともう一つの蓋へと近付いて、手をかけるトビー。
そして、そのままの体制で固まってしまった。
「なにやってんだ? 開けるんなら早く開けろよ。」
シヴの声を聞いてもトビーが動く気配はない。
実はトビーは動かないわけではなく、全身に力を込めて必死に蓋を持ち上げようとしていたのだが、蓋の重量は凄まじく、どうやっても微動だにしなかったのだ。
やがて、力み過ぎて大きな放屁の音を浴場に響かせ、トビーはその場に倒れた。
「おいきたねーな、何の嫌がらせだよ。」
「お、重い、この蓋重すぎるよ、僕には無理だね、指が固まっちゃった。」
「どういう事でしょうか?」
不思議に思いナインハルトも蓋に手をかける。
ズシリとした重量が感じられたが、それでも全く動かないという事はなく、少しずつ持ち上がった。
持ち上げてみて皆気付く、これは蓋ではなく、栓だという事に。
「どーいうこった? どれ、俺がやるからおまえさんはどいてな。」
ナインハルトと、フラフラ立ち上がったトビーを尻目にシヴが栓の取っ手を掴み、そして勢いよく引き抜いた。
途端に栓の抜けた穴から大量の水が湧き始め、ほどなくして浴槽の八割程が水で埋まり、水の流入は止まった。
「栓をしたのですか?」
「僕の言った通りだったでしょ?」
「いや、栓はほれ、まだ俺が持ってる。」
「聞いてる? 僕のおかげだよねこれ?」
「では何故勝手に止まったのでしょう。」
「いやそれよりさ、まずは僕に謝らないと君達。」
「わかんねーな、どうなってんだこれ。」
「ねえ、僕が開けようって言ったんだよ? わかってるかい?」
「そうか! わかったぞ!」
「いや、ハーちゃんまで何そっちに参加してんの。」
「魔法の類ですか?」
「そんな魔法聞いたこともないよ! あったら便利だね!」
「いや、そんな魔法は聞いたこともないな、あれば便利だとは思うが。」
「言った! 今それ僕が言った! 何なの!? 僕もしかして死んでる?」
「では一体……。」
「もういいよ、黙るから、知らないよ、寂しくて死んじゃうかもよ?」
「実は少しだけ気になっていたんだが、この浴槽の位置……、いや、高さというべきか。おそらくだが近くを流れる川より低い、そして今水が溜まっている高さ、これが川の高さなんじゃないかと思う。」
「うっそーん! 黙らない! やっぱり黙らないからね! 黙ったら僕が死んじゃう!」
「領主さんよ、取り敢えず説明より先にそいつ黙らせてくんねーか?」
「聞こえてるんじゃないか! なんだい国王を無視なんて大・罪! ですよ! 知りませんよ! あなた達処刑しますよ! しませんけどね! それくらいでしませんけどね!」
「だ、黙らせるといってもどうしたらいいか……。」
ハバキは困った顔を見せ、眉間にしわを寄せて考える。
「いやいや、そもそも黙らせるって発想が意味不明でしょ! 君達どうかしふぇっ、むぐっ!」
「マジかよ……、黙らせろとは言ったがよ……。」
「何といいますか、普段は冷静沈着を装っていますが本来のハバキ様は……、情熱的なお方でしたねそういえば……。」
シヴとナインハルトが見守る中、ハバキは自分の口で、トビーの口を塞いだ。
ゆっくりと顔を離し、トビーの目を見つめて言う。
「大丈夫だ、私はいつでもビーちゃんを愛している、だから、今は少し落ち着いて欲しい。」
驚いた表情のまま、ただコクコクと頷くだけのトビー。
呆れ返ったシヴと目のやり場に困っているナインハルトは、目の前で行われたこれが、二人のファーストキスであるという事など知る由もなかった。




