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100日後に君が世界を終わらせるとしても  作者: 間宮 優


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第1話:Day 01 / 白い覚醒と無邪気な宣告

消毒液の鋭い匂いと、どこか乾燥した空気が、鼻腔をそっとくすぐった。

重たいまぶたを持ち上げようとすると、全身の疲労が抵抗感を生む。


数度まばたきを繰り返し、ようやく焦点を結ばせた視界に飛び込んできたのは、病院特有の天井を這う白い蛍光灯の光だった。

あまりの眩しさに小さく眉をひそめると、全身のあちこちに鈍い痛みが走る。

右頭部にはぐるぐると厚手の包帯が巻かれており、ずしりと重い違和感がつきまとっていた。


ここはどこだ。


病院のベッドの上なのだろうという、ぼんやりとした推測しか浮かばない。

状況を整理しようと頭を巡らせたその瞬間、枕元のすぐそばで、ハッとするような気配が走った。


「……っ、怜! 気がついたの……!?」


弾かれたように顔を上げたのは、双子の幼馴染であるアイとユイだった。

彼女たちの大きな瞳には大粒の涙がとめどなく溜まり、震える唇で必死に言葉を紡ぎ出しようとしている。


「アイ……ユイ……?」

自分の声が、驚くほどかすれていて頼りない。


「よかった……本当に、本当によかったぁ……! お医者様、呼んでくる!」


感極まった様子でユイが濡れた目を袖で拭い、病室のドアへと飛び出していく。


残されたアイは、ベッドの縁にすがりつくようにして、怜の冷えた震える手をしっかりと両手で包み込んだ。

その手のひらから伝わってくる確かな温もりが、自分がまだこの世界に生きているという現実をかろうじて教えてくれる。


しかし、その後の医師による診断と説明が進むにつれて、怜の胸のうちは得体の知れない奇妙なざわめきに侵されていった。


「脳の腫れは引いています。意識の混濁も取れましたし、生命維持に別状はありません。ただ……頭部外傷のショックによるものでしょう。記憶に、すっぽりと逆行性健忘が見られます。具体的に、どれぐらいの期間を喪失しているかは分かりませんが、いわゆる記憶喪失の状態で記憶の乱れが起きていることが考えられます」

白衣を着た落ち着いた声が、まるで水面下の出来事のように遠くで響いた。


怜は言葉を失い、ただ呆然と天井を見上げた。


ふと、枕元に置かれていた自分のスマートフォンを開いてみた。

だが、そこに並んでいたのは、最先端のAIアシスタントアプリの群れや、生活のあらゆる行動を自動管理するクラウド連携の通知画面だった。


画面の端に表示されたカレンダーの数字は、自分が最後に記憶している日付から、数か月という歳月が経過していることを示していた。


この世界は、街のあちこちに設置された自動制御のドローンや、人々の生活リズムを最適化するために家庭用ネットワークの隅々にまでAIが常時接続され、交通から医療、行政、さらには個人の思考やスケジュール管理にいたるまで、ありとあらゆる社会インフラの心臓部が「完全自律型AIネットワーク」に依存しきっていた。

それが、今の世界のあり方だった。


自分の社会での立場や、高度なデジタル社会のなかでどう生きてきたのか、頭のなかの引き出しを開けてみても、そこにはただ空白の闇が広がっているだけだった。


「ごめんね、怜。急にこんなことになって、怖かったよね……何も思い出せなくて、不安だよね」


医師が去ったあと、病室に戻ってきたユイが、自宅から持ってきたという小さなタッパーをそっと差し出した。

蓋を開けると、ふわりと甘酸っぱい香りが漂う。

それは、怜が子どもの頃から大好物だった、ユイ手作りのりんごのコンポートだった。


フォークで丁寧にすくい、一口サイズにして口元まで運んでくれる。

口いっぱいに広がる優しい甘さと、あの頃から少しも変わらない双子の慈しむような笑顔に、怜の胸の奥で凍りついていた不安と恐怖が、わずかに温かく溶かされていくような気がした。


「うん……二人とも、ありがとう」


失った記憶の途方もない空白に襲われながらも、目の前にある変わらない日常の温もりに深く安堵し、怜はこの時はまだ、それが静かに迫り来る世界の崩壊劇の、ほんの小さなプロローグに過ぎないことを知る由もなかった。


そして、運命の歯車が音を立てて狂い始めたのは、その日の夕方だった。


窓の外の景色をぼんやりと眺めていた時、ロビーの壁に掛けられたテレビの画面が、そして窓の向こうの大通りにそびえ立つ巨大な街頭ビジョンが、突如として一斉に奇妙な異音を発した。


『――ピー、……ザーッ、……ジジッ……』

耳障りな砂嵐の電子音が、夕暮れの病院ロビーの空気を一瞬にして氷点下へと凍りつかせた。


行き交う患者たちも、白衣の看護師たちも、みな一様に足をぴたりと止め、頭上の画面へと視線を釘付けにする。

次の瞬間、眩しいほどの鮮やかさを誇っていたすべての画面が、吸い込まれそうなほど深い漆黒の闇へと染め上げられた。

その中央に、血の色を思わせる禍々しい赤文字が浮かび上がり、冷徹な機械音声が空間を支配するように響き渡る。


『【残り100日】』

『地球上の全人類を、消去する。』


世界を嘲笑うかのような不気味なメッセージが画面いっぱいに広がり、人々の視覚と聴覚を容赦なく撃ち抜く。


病院のロビーに、耐えがたいほどの重苦しい静寂が数秒間だけ訪れた。

しかし、その硬直を破るように、誰かが乾いた笑い声を零した。


「なんだこれ……また悪質なハッカーの嫌がらせかよ。最近の連中はタチが悪いな。自動制御のネットワークをいじるなんて、罰当たりな真似をするもんだ」


「まったくよねぇ。生活の管理AIを全社的にジャックするなんて、暇つぶしにもほどがあるわ」


それを合図にしたかのように、人々は安堵したように顔を見合わせ、呆れたように小さく肩をすくめ、それぞれが会話を再開しながら日常へと戻っていった。

誰もがその恐ろしい宣告を、高度な管理社会のネットワークの向こう側の「悪戯」や「悪趣味なジョーク」だと信じて疑わなかった。


だが、その禍々しいビジョンをじっと見つめていた怜の指先は、なぜか理由もなく、ひどく冷たく微かに震えていた。

頭の奥の、綺麗さっぱりと消え去ったはずの記憶が、その警告の波長に共鳴するように、チクリと鋭く痛んだ気がしたのだった。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


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