第6話 金髪の獅子、女心を正装で惑わす
今回はガルハートの違う一面を出していきます。
全裸のお猿さんをリノンがどのように飾っていきますか、お楽しみ下さい。
翌朝、スターレの街の一角。
ガルハートの仮住いであるオタマ婆さんの薄汚れた長屋の前には、すでに豪華な馬車が控えていた。しかし、馬車の前に立つリノンとミーナの顔は、朝から不機嫌そのものだ。
「いい加減にしなさいよ、この半裸のお猿さん! まさか、その汚いリネンシャツで領主様に面会に行こうっていうの?」
リノンが氷のような視線をガルハートへ向ける。
ガルハートは、オタマの息子から借りた、よれよれのリネンシャツを無邪気に叩いていた。
「ガハハ! いいだろ? オタマ婆さんの息子のお下がりの、由緒正しい服だぜ」
「由緒もクソもないわよ。大体、あなたは私が投資した『有望株』なの。その株主としての体面も考えなさいな」
リノンは、冷淡な口調の中に確かな刺を含ませながら、見慣れない包みをガルハートに突きつけた。中から現れたのは、深紅の裏地が覗く漆黒の儀礼服。ゴールドバーグ商会のロゴがさりげなく刺繍された、最高級の仕立てだ。
「……何だこりゃ。お仕着せか? 俺はこんな窮屈なもん、着たことねぇぞ」
「あら。そんなに自分の『野性』が、高貴な布一枚で損なわれるほど脆弱なのかしら? 領主様との面会は、力ずくで勝てばいい戦場ではないのよ。……礼節を軽んじるのは、相手を侮辱することではなく、自分自身の底の浅さを露呈することだと、その足りない脳みそに刻みなさい」
リノンの真正面からの箴言が、ガルハートの笑いを止めた。
「逃げるのかしら?」と挑発するような彼女の瞳。ガルハートは一瞬、顔をしかめたが、やがて「ガハハ!」と豪快に笑い、儀礼服を受け取った。
「へいへい。お嬢様のお気に召すように、着てやりますよ」
その後は、ゴールドバーグ商会の使用人たちが総がかりだった。風呂に入れられ、ひげを剃られ、長すぎる髪は丁寧に結い上げられる。ぶかぶかだった儀礼服は、まるで専用に誂えられたかのように、彼の逞しい肉体に吸い付くようにフィットした。
整えられた金髪が朝陽を弾き、剃り跡も鮮やかな顎のラインが、彫刻のような精悍さを際立たせている。
「……あ」
最初に声を漏らしたのは、ミーナだった。今まで、泥にまみれたガルハートや、全裸で叩き出される彼ばかりを見てきた。だが、目の前に立つ男は、彼女の裏情報の網にすら一度もかかったことのない、圧倒的な「格」を放っている。
「……うそ。なに、その……。ズルいじゃない、そんなの。アンタ……カッコよすぎるわよ、バカ……」
顔を林檎のように真っ赤に染め、ミーナが呆然と呟く。
「カッコいい」という言葉すら、今の彼の前では幼く聞こえてしまうほどの重厚な色気。リノンもまた、持っていた扇子を落としそうになるのを必死に堪え、唇を噛んでいた。
ガルハートは、そんな二人を見つめて口元に穏やかな微笑を浮かべると、そっと両の手を差し出した。
「お二人とも、お迎えにあがりました。馬車までは、このガルハートめがエスコートいたしましょう」
生まれて初めて触れるような、貴公子然としたその対応。
リノンとミーナは、赤く染まる頬を隠すように顔を見合わせる。
ガルハートのまだ知らない、深く、そして危険な部分に触れてしまったような気がした。
***
ゴールドバーグ商会の漆黒の馬車が、白銀の領主館「スターレ・ホール」の巨大な鉄門の前に滑り込んだ。門前に直立不動で控えていたのは、冷や汗を拭う警邏隊員たちと、そして――凛とした正装に身を包んだ、領主の三女ヒサメであった。
「……遅いですよ、ガルハート殿。父上はすでに執務室で……」
馬車の扉が開いた瞬間、ヒサメの言葉が凍りついた。
ステップを降り立ったのは、昨日までの「薄汚れた無頼漢」ではない。陽光を浴びて輝く金髪、仕立ての良い漆黒の儀礼服を悠然と着こなす、非の打ち所のない貴公子。
「……え、あ……ど、どなた様、でしょうか……?」
剣の天才にして、深い学識を持つヒサメが、あからさまに動揺して数歩後退った。彼女の知る「ガルハート」という概念が、目の前の男によって上書きされていく。
「ガハハ! どうしたヒサメ、腹でも下したか? 挨拶もできねぇほど俺に見惚れてんのかよ」
口を開けば、いつものガサツな笑い声。だが、その声すら今の彼の身なりでは「余裕ある強者の戯れ」にしか聞こえない。
「そ、そんなわけありません! ただ……その……リノン殿の差し金ですか。……ええ、驚きました。とても、お似合いです」
ヒサメは耳まで赤くしながら、必死に騎士としての冷静さを取り戻そうと背筋を伸ばした。だが、エスコートのために差し出されたガルハートの手を見た瞬間、彼女の心臓は、剣の試合の時よりも激しく鳴り響いた。
「さあ、案内してくれ。……身なりだけは整えてきたぜ。あとは牢屋なり何なり、好きに取り調べてくれりゃいい」
館の内部へ歩を進めるガルハート。彼が絨毯を踏みしめるたび、廊下に並ぶ「スターレ・ガード」の兵たちが、命令されてもいないのに一斉に背筋を伸ばし、敬礼を送る。彼らは本能で悟っていた。そこに歩いているのは、自分たちが仕える領主と同等――あるいは、それ以上の「王の風格」を持つ男なのだと。
***
白銀の領主館「スターレ・ホール」の謁見の間。
カインは、自身の寝室の鏡の前で何度もネクタイを締め直し、パリス大学で教えられた「完璧な身だしなみ」を確認してからこの場に臨んでいた。しかし、傍らに立つ父・スターレ伯の沈黙が、重くのしかかる。
(……大丈夫だ。あのような無頼漢、父様の威厳の前では、ただの野良犬に過ぎない)
自分に言い聞かせるが、昨日の敗北の記憶が自尊心を削り取っていく。やがて、重厚な扉が左右へと開かれた。入ってきた「それ」を見た瞬間、カインは心臓が止まるような衝撃を受けた。
そこにいたのは、昨日までの「薄汚れた無頼漢」ではない。リノンが一切の妥協を排して用意した漆黒の儀礼服は、ガルハートの逞しい肉体に吸い付くようにフィットし、最高級の仕立てが放つ光沢を帯びていた。
だが、カインを真に絶望させたのは、その服ですらなかった。踏み出す一歩ごとに空気が澄み渡り、指先一つに気品が宿っている。ガルハートは父の前で足を止め、流れるような、それでいて峻厳な「古式騎士礼」を披露した。
それは男の魂に刻まれた、「格」そのものの発露であった。
「…………」
静寂が間を支配した。カインがどれほど模範的に振る舞っても満足しなかった父・スターレ伯が、わずかに眼を見開いた。
「……見事だ。理屈ではない。これほどまでに魂を揺さぶる礼を……私は、他に知らん」
その父の言葉は、カインの心をを刃物のように裂いた。
カインがパリス大学の寄宿舎で、血の滲むような思いで鏡と向き合い、数千回繰り返した「完璧な騎士礼」。
それは、父に一度でいいから「見事だ」と言わせるための、彼にとっての聖域だった。
だが、目の前の男――昨日まで「野良犬」と見下していた無頼漢が、たった一度膝を折っただけで、その聖域は無惨にも瓦解した。 自分が一生をかけて積み上げた砂の城が、本物の「格」という荒波に一瞬でさらわれたのだ。
視界が歪み、足元の石畳が遠のいていく。 カインの目から溢れたのは、嫉妬ですらない。自らの「空虚さ」を突きつけられた者が流す、最も苦い懺悔の涙だった。
「……出頭、大義である。面を上げよ」
スターレ伯が厳かに告げると、ガルハートは顔を上げ、あろうことか『天下十剣 筆頭の大剣豪』でもある伯爵の目前で不敵に笑った。
「ガハハ! そんなに固くならんでくれ。リノンが張り切りすぎてな、肩が凝って仕方ねぇんだ」
空気を読まない豪放な笑い声が響く中、大広間にはスターレ家の「英知」と「武」のすべてが集結していた。賢母エレン、長女セーラ、次女メイ、三女ヒサメ。一同の視線が、気品を放つ「貴公子」に釘付けになる。
「お初にお目にかかる、領主様。……お疲れのご様子だな。あんたの背負ってる『看板』、相当重くて肩がガチガチだぜ?」
「不肖の息子が迷惑をかけたようだ。日和見の取り巻きどもの教育もしてくれたことに重ねて礼を言う」
カインは青い顔をしてうつむきながらその話を聞いていた。だが、スターレ伯もまた、自身の血管を流れる「王家の血」が沸騰するのを感じていた。伝説に語られる「金髪の始祖王」が放ったとされる威光を、目の前の男が纏っているからだ。
伯爵は、無造作に玉座の傍らに立てかけられていた重厚な長剣を手に取った。
「……ガルハート殿。我が家は学識や知性のみを重んじる家ではない。我が剣に、貴殿の『正体』を語ってもらおうか。これが、この地の挨拶――『北方スターレ流』だ!」
刹那、伯爵の剣が閃いた。
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