第十一章 『人と機械』
最悪の夜の後。
夢一つ見ることがない深い眠りの後、俺は目を覚ました。
まだ視界がぼやけている目で、まばたきをした後、俺は起き上がった。
「えっ? 俺、今、まばたきをした?」
まばたきができるということは、まぶたがあるということ。
機械になり、生身から赤く光る一つ目になった俺は、まばたきというものを忘れていた。
恐々と自分の手を見てみる。
そこにあったのは、間違いなく、武上直人、俺自身の手と指。
確かめるように、全身に目を走らせる。
手も、足も、胴体も、どこもかしこも生身のまま、機械戦士になる前の、俺自身のもの。
素っ裸のままというのが、とても気になったけど。
とにかく俺は、喜びの声を上げた。
「やったぞっ! 俺、人間にもどれたんだっ!」
ガッツポーズを取ったあと、脳に血がめぐり始めたのか、そのうち、自分が置かれている状況が気になってきた。
俺が寝かされているのは、なにもない丸い部屋。
部屋自体がドーム状になっているのか、真っ白な壁は扉もなく、俺は直接、床に寝転がっていたようだ。
「アルフェミア? どこだ?」
この世界に来てから一番、呼び慣れた名前を呼んだ。
「アルフェミア?」
部屋には、扉がない。
困ってしまって、球状に曲がった壁を触ってみると、そこに穴が開いた。
「なんだ、こりゃ?」
見えたのは、SF映画で見る宇宙船の中のような、金属製の壁。
そりゃまあ、ロボットがいるくらいだから、こんなのがあっても、不思議じゃないんだけど。
おっかなびっくり、穴から外に出てみると、そこは通路のようだった。
金属の壁で囲まれた、四角くて、細長い空間。
とりあえず、通路の端に急ごうと思って、腰溜めにしゃがんでから、俺はキャタピラが動くのを待った。
「しまった。人間にもどったんだっけ」
足を上げると、そこにあったのは、土踏まずがある、ただの足の裏。この世界に来たばかりの頃は、足にキャタピラがついているなんて、と思っていたけど、不思議なことに、今では物足りない気がする。
とりあえず、丸裸のままではまずい。
金属製の壁に手をやりながら、俺は通路を歩き、服がありそうなところを探した。
通路は長く、どこまで行っても、端が見えない。
「きゃっ!」
いきなりの叫び声。
通路の先には、見知った顔、アルフェミアがいた。
「アルフェミア。よかった、だれもいないかと思っちゃったよ。なにか、着るものを持っていない?」
「だれですか、馴れ馴れしいっ! ここは神族の城。下界の人間たちの服なんか、ありませんっ!」
なんで?
ああ、そう言えば、俺は人間にもどったんだっけ。
夢で会っただけだと、人間の俺の顔なんて覚えていないか。
で、アルフェミア、なんで、真っ赤になって、両手で顔を隠しているの?
「あなたが、そんな格好をしているからですっ!」
そう言われて、俺は自分の胸に目をやり、次に、その下に目をやった。
俺、なにも着ていなかったっけ。
そこまで気づいて、顔が赤くなった。
「うわあああああっ! 見るんじゃない、アルフェミアっ!」
口から飛び出る叫び声。
とっさに大事なところを手で隠し、後ろを向く。
「見ているのではありませんっ! あなたが見せたんですっ!」
「そんなのどうでもいいから、とにかく隠すものをよこせっ!」
俺がそう言うと、アルフェミアの口調が変わった。
警戒するような声ではなく、生真面目な、でも、優しい口調。
「その声。もしかして、あなたはクロードなのですか?」
「そうだよ。他の、だれだって言うんだ」
アルフェミアは顔を隠していた手を外し、キョトンとした顔で、恥ずかしさで真っ赤になっている俺を見た。
「もっと大きな体をしているのかと思いました」
悪かったな、チビで。これから伸びるんだよ。
でも、確かに、言われたとおり、二メートルぐらいあった俺の巨体は、元の十五歳のガキの体にもどってしまっていて、アルフェミアとあまり変わらない身長をしていた。
「とにかく、神族の元に行きましょう。クロードを呼んでいます」
そう言いながら、アルフェミアは俺の横に並ぶ。
「待て、先に着るものを……アルフェミアっ! さっきから、横目で俺の裸を見ているだろっ! まず、それを止めろっ!」
「私がクロードの裸を見たところで、なんの問題があるというのですか」
「生真面目に言わなくていいから、とにかく見るなっ!」
うわーんっ! 俺の横に、大変態がいるよぉ!
アルフェミアの柔らかい手、火照った視線。
不穏なことになりそうなのを、俺は必死に耐えていた。
無駄だったけど。
アルフェミアと二人で、どこまでも続く通路を歩く。
「困りました」
「道に迷ったのか? さっきから歩いているけど、さっぱり着かないし」
「いえ、予想以上に大きかったものですから。うちのクロードと変わらないかもしれません」
なんの話をしているんだっ!
クロードって、アルフェミアの牧場で飼っている馬の名前のことかっ!
そんなものと、武上一刀流の明日を背負う俺のものを比べるんじゃないっ!
俺が気が遠くなりそうなほど怒っていると、前の方から、オートレイが走ってきた。
「クロード様。部屋から出てはなりません。お召し物を着ないで歩き回るなんて、はしたないですよ」
オートレイが手に持っているのは、男物の服。この世界の服で、中世ヨーロッパの男たちが着ていたような服だけど、この際、なんだっていい。俺はオートレイから服をもらって、あわてて着替え始めた。
「助かった……ちょっと待て。アルフェミア、後ろを向いていろっ! オートレイっ! あんたもっ!」
今日は厄日に違いない。
「アルフェミア。とりあえず、ここはどこなんだ?」
「はい。神族たちが、星の海を渡ってきた時に乗っていた船の中です」
無限に続く通路は、いつの間にか終わり、俺たちは広い部屋で待たされていた。
脳は段々と活動を再開したらしく、思い出さなければならないことが、次々と頭に浮かび上がってくる。
「ファラネーは、どうなったんだ?」
まず、一番最初に聞かなければいけなかったこと。
アルフェミアは、悲しげに首を横に振ったまま、なにも答えてくれない。
「そうか」
戦いの中に散ったのだろう。口の中が、ひどく乾くような気がした。
「アビセンナの爺さんは、どうなった?」
やはり、アルフェミアは悲しげに首を横に振り、かろうじて唇を開いた。
「シモンも……」
シモンが、どうしたんだ?
言いよどんでいるアルフェミアの代わりに、オートレイが言葉を続ける。
「戦死されたアビセンナの後を追って、自決なされたのです。弔いの後、一緒の墓に埋葬しました。二人とも、それを望んでいたでしょうから」
その言葉を聞いて、目の前が暗くなった。
俺のせいで、また一人、死んでしまった。
アビセンナの爺さん、そのタルフォードであるシモン。
滅亡した砂漠の国グロブナーで、なにがあったのかは知らないけれど。
こんな終わり方で、よかったはずがない。
「クロード。自分を責めないで下さい。グロブナー国の代わりに、アビセンナは命を賭けて、ファラネー国を救ってくれたのです。彼がバルザークを引き留めていてくれたおかげで、神族の援軍が間に合いったのですから」
だからって!
オートレイに言いすがろうとする俺を、アルフェミアの手が止めた。
「もう、なにを言っても、結果は変わりません。オートレイの言うとおりです。これ以上の発言は、アビセンナの遺志を汚すことになります」
泣き出しそうなアルフェミアの瞳は、赤いレンズで見る光よりも、ずっと悲しげな光をたたえていて、俺の胸を打った。それ以上、なにも言えなかった。
そして、部屋の中に、俺たちを待たせていた人物が現れる。
それは、透き通ったアクアマリンの体を持つ、一人の神族だった。
「私の名は、カティサーク。この船で、技術部を担当している者だ」
挨拶の後、水色の宝石の体を持つ神族は、優雅に一礼をした。
俺とアルフェミア、オートレイの三人が挨拶を返すと、その曲面を多用された装甲を持つ神族、カティサークは、堅苦しい口調で話し始めた。
「今回、ファラネーから依頼を受けて、闘技大会の優勝者の希望をかなえるために、微力を尽くさせてもらった」
そう言って、細長い四角の目で、俺の顔を見る。
「君がファラネーに望んだ、三つの願い。それらは全て、かなえることができる」
俺がファラネーに頼んだこと。それを思い出す前に、カティサークは言葉を続けた。
「一つ目の願いは、人間にもどること。これは今、目の前で実現している。機械戦士になった人間を、元の体にもどす。この技術はもはや一般的で、難しくはなかった」
俺を人間にもどしてくれたのは、この人だったのか。
お礼を言わなくちゃいけないけど、ありがとう、という言葉は、なぜか口から出てこなかった。
「二つ目の願いは、時空震の爆風に巻きこまれる前に、君が生まれ育った世界に帰ること。これも困難ではあったが、ある者の協力によって、実現まで、こじつけることができた。三日後、この船の展望室に、君を元の世界に帰す時空の穴が出現させる。過去に例があったことで、失敗した記録はない。きっと、うまくいくだろう」
元の世界に帰る。
なによりも望んでいたことのはずなのに、今は、その言葉を聞いても、嬉しくはなかった。
「最後の願い。君と共に時空震の爆風に巻きこまれ、この世界に転移してきた者、広津吉乃。この者を捜して欲しい。それは不可能だとは思われていたが、実現することができた。奇跡としか言いようがない」
えっ?
カティサークの言葉に、頭が真っ白になる。
吉乃さんが見つかったのか?
その言葉を聞いた瞬間、となりにいたアルフェミアのことも、ファラネーのことも、頭の中から飛んでしまった。
いつも、俺のとなりにいてくれた人。
機械の体となり、血の代わりにオイルを吹き出すようになっても、いつも、頭の片隅に居続けた人。
カティサークは、ようやく嬉しそうな顔をした俺を見て、満足そうにうなずき、
「見なさい。君の横に立っている者だ。君が吉乃を捜し続けていたように、吉乃も君を捜し求めていた。一人のタルフォードとなって」
それまで黙って、俺のとなりに立っていたオートレイを、静かに指差した。
オートレイの長い髪の毛が、静かにさざめく。
その黄金の波は、ゆるやかに、そして、鮮やかに、漆黒の波へと、姿を変えて行った。
顔を上げて、オートレイ、いや、オートレイだった人が、俺の顔を見た。
見なれていた微笑み。だから、気づけなかった微笑み。
「吉乃さんっ!」
ゆっくりと手を広げる吉乃さんの胸に、俺は飛びこんだ。
会いたかった人。
だれよりも、会いたかった人。
流浪のタルフォード、オートレイが、吉乃さんだったんだ。
「大変だったね、直人くん」
直人と、久しぶりに自分の名前を呼ばれて。もっと久しぶりに、優しく頭をなでられて。
不覚にも、涙が出た。
生身の頬を伝う涙は、とても熱くて。だけど、心地よくて。
中学の卒業式の時、流せなかった分まで、俺は思いっきり、歓喜の涙を流した。
ひとしきり、泣き終わった後。
「前言のとおり、三日後、この船の展望室に、君を元の世界に帰す時空の穴が出現させる。過去に例があったことで、失敗した記録はない。それまでは、この船の中で、ゆっくりしていて欲しい。人間のために必要な設備、食事なども、今回は特別に用意させた。君たちも、竜の犠牲者には違いないから」
カティサークの言葉は、まだ続く。
「どうか、クロードの願いをかなえてやって欲しい。それが、ファラネーの最後の言葉だった。機械戦士よ、いや、機械戦士だった者よ。どうか、ファラネーのことを忘れないでやって欲しい。神族とはなにか。ファラネーの行動は、それを私たちに思い出させることになったから」
また、頭を激しく揺さぶられた。
となりには、吉乃さんがいて。
となりには、アルフェミアがいて。
俺は、どうすればいいんだろうか。
このまま、元の世界に帰らなければいけないんだろうか。
それは、ファラネーがかなえてくれた願いだったけど。
だけど、このまま、帰ってしまっていいんだろうか。
邪神バルザークを、この世界に置いたままで。
カティサークが用意してくれた部屋は、必要以上に豪華で、貧乏性の俺とアルフェミアは、目を丸くしていた。
「いい部屋ね。窓がないのが残念だけど」
吉乃さんだけは気おくれしないで、ふかふかのベッドの上に座って、楽しそうにしている。
「直人くん」
「クロード」
二つの名前で呼ばれて、吉乃さんとアルフェミア、どっちに答えたものか、迷ってしまった。
「もう、直人くんの名前は、クロードではないわ。人間にもどったのだから」
「私にとって、クロードは、クロードのままです。オートレイ、勝手なことを言わないで下さい」
「私も、もうオートレイではないわ。直人くんと一緒で、人間にもどったのだから」
そう言われて、アルフェミアの体が固まる。
そして、怯えるような目で、俺のことを見る。
私はもう、あなたのパートナーではないのですか?
そんな悲しい問いかけに、俺は首を横に振って答えた。
「名前なんて、二人が呼びやすい方でいいよ。それよりもさ、この部屋、ベッドが一つしかないんだけど」
俺が床で、アルフェミアと吉乃さんがベッドかな。
カティサークめ。気を利かせてくれたのはいいけど。ソファーもないじゃないか。
「私は、クロードの右側に寝ます」
おい、アルフェミア。それはまずいだろ。
「それでは私は、直人くんの左側に寝ましょう」
おーい、なんで、吉乃さんまでっ!
でも、なぜか二人とも、こういう時だけは結束が固くて。
俺は、ふかふかのベッドの中、二人の女の子に挟まれて、眠れない夜を過ごすことになってしまった。
次の日。
二人が目覚めるよりも早く起きて、カティサークに会った広い部屋に行った。
「カティサーク。いるんだろ。出てきてくれ」
名前を呼ぶと、どこからか、水色の宝石の体を輝かせながら、神族カティサークが姿を現わした。
「設備面で、なにか不足があったのだろうか。なんでも言って欲しい。君たちは、大切な客人だ」
堅苦しい口調は変わらなかったけど、俺は一晩中、吉乃さんとアルフェミアに挟まれて、眠れない夜の間中、考えていたことを口にした。
「元の世界に帰るのって、もう少し先に延ばせないのか」
せめて、バルザークが倒れる姿を見届けてから。
それからじゃないと、俺は家に帰ることなんて、できはしない。
「不可能だ。時空震は、竜によって操られたものではあるが、自然現象には違いない。今回は運良く、君たちの世界につながる穴を捕捉することができたが、次に捕捉できる保証はない」
俺は、がっくりと肩を落とした。
「機械戦士だった者よ。君の願いは、全て実現した、もしくは、実現しようとしている。これ以上、なにを願うというのだ」
「バルザークが、まだ生きている。ファラネーは、俺のせいで死んでしまった。ここで黙って帰るのは、あまりにも無責任じゃないか」
俺の言葉に、カティサークは、しばらく考えこんで、その後、歩き始めた。
「ついて来たまえ。君には権利がある。私が、そう判断した」
カティサークが歩き始めた途端、俺を導くようにして、なにもなかったはずの広い部屋の金属製の壁に通路が出現した。その先にあったのは、小さな部屋。金属の壁と、腰ぐらいの高さの台以外は、なにもない部屋。
「ファラネーだ。全機能を停止している。君たち、人間の言葉に変えれば、ファラネーは死んでいる」
飾り気のない台の上に、ファラネーの遺体はあった。
エメラルドの天使だと思っていた体は無惨に傷つき、四本の羽は全て折れて、その体の横に置いてあった。
「人間を守るため。ファラネーは、永遠の時間を機能していくことを放棄した。この星に墜落してきた時、ただの現住生物だと思っていた存在、人間が、自分の全存在を賭けて、私たちを、竜の爪から救ってくれた。そして、ファラネーもまた、そのように行動した」
エメラルドの羽を手に取る。
それはまだ、キラキラと美しく輝いていて、ファラネーが死んでいるなんて、とても信じられなかった。
「機械戦士だった者よ。君は誇り高い。だから、なにを行動しようとしているか、予想はできる。バルザークを倒す。それが、君の願いだろう」
なにも言えず、カティサークの言葉に、ただ、うなずいた。
「その遺志の尊さは、ファラネーを失った今、よく理解できる。だが、君はもう、機械戦士ではない。そのすぐに壊れる生身の体で、なにができるというのか」
なにも、言えなかった。
「吉乃を連れて、自分の世界に帰る。それが一番の選択だと思う。故郷である世界に帰りたいと思っているのは、君一人ではない。君は、君の責任を果たしたまえ。私たちは、私たちの責任を果たそう」
言葉が、口をついて出てこない。
カティサークの言うことは、全て正しくて。
だけど、心の奥底で、俺の心が、それは違うと叫んでいて。
手の中にあるのは、エメラルドの羽。
死んだ小鳥のようにも見えるファラネーは、なにも答えてはくれなかった。
吉乃さんが、用事で部屋から離れていった時。
ベッドに座って、なにもできずに、ただ時間が過ぎるのを待っている俺の横に、アルフェミアが座った。
「クロード。大事な話があります」
いつもの生真面目な表情。だけど、俺は、その見慣れた表情に、自分も真剣な表情で向き直った。
今日のアルフェミアは、いつもとは違っていたから。
「私を、あなたの世界、あなたの家に連れて行ってくれるという約束。あの約束を断らせてもらいます」
なぜ、とは聞けなかった。アルフェミアの瞳は、悲しみよりも強く、決意が光っている。
「クロード。私は、あなたと一緒に、あなたの世界に行くことはできません」
それは、拒絶の言葉ではなく。
「私は決めたのです。バルザーク討伐の軍勢に参加することを」
ただの決意の言葉で。
「機械戦士クロード。あなたと一緒に過ごした時間は、私の人生で最良の時だと断言します。私は、あなたのことを決して、忘れません。だから、どうか私のことを、元の世界に帰ったとしても、忘れないで下さい」
今の俺は、戦うこともできない、ただの十五歳の俺には。
「きっと、愛よりも大事なものがあるのでしょう。クロード、あなたを愛しています。だから、私はここで、あなたに別れを告げます。どうか、お元気で」
アルフェミアを止める権利なんか、どこにもなかった。
また一晩、考えた。
「どうすればいいんだろう」
せめて、モーターブレードがあれば。
いや、棒切れ一本でいいから、思いっきり、振れるものがあれば。
悩みは解決するかもしれない。
眠っているアルフェミアと、吉乃さんをベッドに置いて、俺は部屋から出た。
神族の船には、昼夜の区別はない。
部屋から出ると、明るい通路が続いていた。
モーターブレード、いや、なにかの棒がないかと、俺は通路を歩き回る。
すぐに、一つの部屋に行き当たった。
扉を開き、中にあったものは。
「こんなところにいたのか。捜したぜ、相棒」
そう言って、俺に笑いかけてくれる、モーターブレードの勇姿だった。
機械戦士になった頃は、そんなに感じなかったんだけど、生身の体にモーターブレードは重過ぎる。
アルフェミアが伸ばしてくれた長柄を持って、引きずるようにして、モーターブレードを運ぶ。
「すんげえ重い。おまえ、少しはダイエットしろよ」
文句は言ったんだけど、モーターブレードは、なにも反応してくれなくて。
汗だくだくになって、なんとか部屋に帰ると。
「クロード。勝手に、一人で部屋から出ないで下さい」
「そうよ、直人くん。大変なことになるところだったんだから」
なぜか、着ている服を乱しているアルフェミアと吉乃さんが、怒った顔で、俺を出迎えてくれた。
「今さら、モーターブレードを持って、なにをしようというのですか」
部屋に帰って始まったのは、アルフェミアの説教。
「今のあなたは、ただの人間。モーターブレードを持ち上げることさえ、できないではありませんか。怪我をしてしまいます。変な考えは持たないで下さい」
そう言うと、アルフェミアは片手でモーターブレードを持ち上げて、俺から愛剣を取り上げてしまった。
うっわ、すごい力持ち。
タルフォードが半分機械だっていう話、今なら、信じられそう。
「できることがある。そして、できないことがある。直人くん、どうしようもないことだって、世の中にはあるのよ」
吉乃さんも、俺の悩みを見通しているのか、そう言ってくれたけど。
そんな言葉は欲しくなかった。
「クロード。仮に、あなたが再び機械戦士となり、剣を振るったところで、どれだけ力になれるというのですか?」
ショックだった。アルフェミアは、俺のことを信じてくれると思ったから。
「クロード。自分の故郷に帰りなさい。それが、あなた自身の願いのはずです」
俺は、本当に、そんなことを願っていたのだろうか。
いや、願っていた。
この世界に飛ばされて、だれも知らず、なにもわからなかった頃。
だけど、今は、どうなんだろうか。
アルフェミアが、俺に渡すまいと抱えているモーターブレードの黒い刀身の輝き。
答えは多分、そこにあったのだろう。
船で目覚めてから、三日目の朝。
吉乃さんとアルフェミアは、すでに出て行ってしまい、俺一人だけが、部屋に残されていた。
たとえ、この世界に残ったとしても、人間のままでは、なにもできない。
そして、再び機械戦士になったとしても、バルザークには勝てない。
だから、俺は自分の世界、自分の家に帰る。
それで、いいんだろうか。
「仕方、ないんだろうな」
そんな言葉が、口を突いて出た。
ぺたぺたと裸足の足で、金属の床を踏みながら、部屋から出ることにした。
展望室の床に設置された、円形の装置。
魔方陣みたいに見える装置の上に、白いドレスを着た吉乃さんが立っている。
神族カティサーク、アルフェミアの二人が、元の世界に帰る俺を見送ろうとして、待ってくれていた。
俺は、ゆっくりとした足取りで、展望室に入った。
象みたいな、大袈裟な黒い足を響かせて。
「クロード? なぜ、機械戦士の姿に?」
菱餅を重ねたような角張った胸当てをそらして。
「それが君の決断か。機械戦士だった者。いや、機械戦士クロードよ」
ギザギザが刻んである籠手を振って。
「直人くん?」
まるで象みたいに大きい具足で床を踏みつけて。
「ごめん、吉乃さん」
俺は、吉乃さんの小さな体を、二メートルもある機械の体から見下ろした。
「あの、どうして?」
呆然とした、吉乃さんの問いかけ。
「俺は、この世界に残る。武上直人としてではなく、機械戦士クロードとして」
俺の言葉は、俺の意志は、はっきりとしていた。
「私と一緒に、元の世界に帰ってくれるのではなかったの?」
「それはできなくなった。俺には、やり残したことがある」
つらかったけど、吉乃さんの顔から、目をそらすことはしなかった。それだけは、やっちゃいけなかった。
吉乃さんは装置の上に立ったまま、顔を天井に向けて、涙をこらえた後、正面から、俺の顔を見つめた。
「では、私も残ります。広津吉乃としてではなく、オートレイとして」
装置から出ようとする吉乃さんを、俺は止めた。
「駄目だ。次に、元の世界にもどれるようになる時が、いつになるかはわからない。そんな先まで、吉乃さんを、この世界に置いておけない」
俺が背負った責任。
吉乃さんを無事に元の世界に帰すこと。
ファラネーの仇、バルザークを討つこと。
この二つを果たすためには、これしか方法はなかった。
「勝手なことを言わないで」
止める俺から身を振りよじって装置から出ようとする吉乃さんを見て、カティサークは装置を起動させた。
透明な力の壁が発生し、装置から出ようとしていた吉乃さんの体を、円の中心に弾き飛ばす。
「なにをするのですか、カティサークっ!」
立ち上がりながら、食いつくように言う吉乃さんに、カティサークは冷厳な言葉で答える。
「クロードの決意を、だれも止める権利はない。オートレイ、いや、オートレイだった者よ。元の世界で、君の幸せをつかみなさい」
「直人くんがいない世界で、どうやってっ!」
その言葉は、俺の心に響いた。
ああ、吉乃さんも、俺のことを好きでいてくれたんだ。
信じられないほど嬉しかったけど、信じられないくらい悲しかった。
別れの時は、迫っている。
アルフェミアが、俺の背中を押した。
「行って下さい、クロード」
前に出る勇気がなかったから、その一押しは、ありがたかった。
「ごめん、吉乃さん。俺なりに、考えて決めたことなんだ」
円の中心から、光の粒が舞い上がっていく。おそらくは、この光に包まれ終わった時、吉乃さんは、この世界から存在しなくなる。
「武上は、いつも強引よね。人の気持ちなんか、おかまいなしで、真っ直ぐに、自分の道を進もうとする」
吉乃さんは悲しみを押しこらえ、俺の赤いレンズの目を見つめた。
それは俺と同じように、覚悟を決めた者の顔。そして、朗々と詠うように、ある言葉を口にした。
「あなたの体に宿る、いにしえより伝えられた武上の血、六家の技が、あなたを守ります。やり残したことがなくなった時、自分の家に帰って来なさい。私は、その時まで、あなたを待ち続けます」
「いや、吉乃さん。それは……」
約束できない。
そうつぶやく前に、吉乃さんの姿は、この世界から消え去ろうとしていた。
「吉乃さんっ!」
あなたを、待っています。
叫んで、力場の壁にぶつかった俺に、吉乃さんが残してくれた言葉は、それだけだった。
「さて、機械戦士クロード。これから、どうするつもりなのか。意向を聞かせて欲しい。可能であれば、力になりたいのだ」
力を失って、床に膝をついていた俺に、カティサークが遠慮がちに話しかけてきた。
「できれば、バルザークと戦いたい。今すぐにでも、あいつを倒したい」
俺の体を支えていたアルフェミアが、そんなことは不可能だと溜め息をついたんだけれど。
それに答えるカティサークの言葉は、とても頼もしいものだった。
「了解した。戦いの場は、すでに我々で用意してある。機械戦士よ。誇りと死を恐れぬ勇気は、君たちが独占するものではない。そのことは、ファラネーが教えてくれた。共に戦おう」
カティサークに差し出された手を持って、俺は立ち上がった。
「任せてくれ。俺にも、バルザークと戦う力はある」
手に持っていたモーターブレード。
俺の意志に応えて、その刀身にカチャカチャと刃の列が並ぶ。
それは黒いサメの歯のような三角の刃ではなく、緑色に輝くエメラルドの刃。
ファラネーからもらった、神族すらも傷つけ得る、最強の刃。
「ファラネーの羽を利用したのか。それこそ、バルザークとの戦いにふさわしい武器だ。全てのデータから、そう結論を証明できる」
嬉しそうに笑う、カティサーク。
つられて、俺も笑い声を上げたんだけど。
そんな姿を見ているアルフェミアの顔が、固く引きつっていたことには、気づかなかったんだ。