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不思蜀  作者: 自称速水真澄


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前編-神界動く、社畜君、劉禅に憑依させられる

初投稿になります、お手柔らかにお願いいたします

「……え? ここ、どこ?」


それが、俺――現代日本でとある宗教系ブラック企業のトップ営業マンとして、年間365日、文字通り血を吐きながら働き、最終的にプレゼン中に急性心不全でぶっ倒れた男――が、最初につぶやいた言葉だった。


目を開けると、そこは見たこともない絢爛豪華な部屋だった。天を突くような太い柱には龍の彫刻が施され、足元には極上の絹の絨毯が敷き詰められている。

何より驚いたのは、自分の体だ。毎日エナジードリンクと胃薬で維持していたボロボロの三十路の体ではなく、適度に肉のついた、妙に血色の良い二十代半ばの若々しい体になっていた。


「おお……! 陛下! お目覚めになられましたか!」


枕元で、立派な髭を蓄えた、いかにも「古代中国の官僚」といった衣服を着た老人が、涙を流してひれ伏した。


(陛下……? 今、陛下って言ったか?)


混乱する俺の脳内に、突如として五色に輝く聖なる光とともに、力強い「神の声」が響き渡った。


『目覚めよ、哀れな社畜の魂よ。我らは天界を統べる北斗星君、そして南斗星君である』


(か、神様!?)


『そうだ。お前は元の世界で、休むことなく働き続けた究極の戦士。その「決してサボらない狂気の精神」を見込んで、お前に新たな天命を授ける。……お前が今憑依している肉体は、三国時代の「蜀漢」の第二代皇帝、劉禅りゅうぜんである!』


脳が震えた。劉禅。あの、諸葛孔明の死後に国を滅ぼし、敵国で「いやー、ここは楽しくて蜀のことなんて思い出しもしませんわ!」と言い放ち、歴史上最高峰の「暗君」として名を残した、あの安楽公・劉禅か。


『今の時代は西暦234年、偉大なる相父・諸葛孔明が五丈原で没した直後である! 蜀の命運は風前の灯火。だが、お前には我らのチート権限により、【24時間戦える不眠不休の肉体】と【あらゆる民と兵を盲従させる絶対洗脳カリスマ】を授けた! さあ、その狂気の社畜精神で、成都から出撃し、今度こそ魏と呉を滅ぼして中華を統一するのだ!!』


頭の中に、神々からの熱い業務命令オーダーが叩き込まれる。

なるほど。諸葛孔明が死んで、国が傾きかけている絶望的な状況。ここから、現代のブラック企業で培った「ノルマ絶対達成マインド」と、神から与えられたチート能力を使って、死に物狂いで働く。それこそが、俺に与えられたミッション――。


「……なるほどね」


俺は、すっとベッドから立ち上がった。

目の前で泣いている老人――おそらく、諸葛亮の後を継いだ重臣の蔣琬しょうえんあたりだろう――を見据え、かつてブラック企業の朝礼で数千人の部下を震え上がらせた、あの「狂気の営業スマイル」を浮かべた。


「蔣琬、すぐに幹部を集めてくれ。緊急の経営戦略会議(朝礼)を行う。これより、我が蜀漢のドラスティックな組織改革を始める」


「へ、陛下……!? な、なんと神々しい御姿……!」


神の授けた【絶対洗脳カリスマ】の効果は絶大だった。俺の発した言葉は、まるで天上の音楽のように蔣琬の胸に突き刺さり、彼は平伏したまま激しく咽び泣いた。


天界の水鏡の前で、北斗星君と南斗星君が狂喜乱舞した。

「見たか! 狙い通りだ! 彼は『劉禅』という最高に怠惰な肉体に入りながら、中身は『24時間働く洗脳社畜』のままだ! 孔明の死に怯える成都の臣下どもを、一瞬で掌握したぞ!」

「素晴らしい! これこそ我らが求めていた覇王の姿だ!」


それから一ヶ月、俺は成都の宮廷で、怒涛の勢いで「業務」をこなしていった。

まずは現状のバランスシートの確認だ。蜀という国は、前任のCEO(諸葛亮)が過労死するほど馬車馬のように働いていたおかげで、内政のシステム自体は極めて精緻に構築されていた。


「うん、前CEOの残したマニュアル(法秩序)は完璧だ。ただ、あまりにもトップダウン型すぎて、現場の風通しが悪い。あと、この『北伐(魏への遠征)』という事業計画、完全に赤字を垂れ流す不良債権だな」


俺は、冷徹に数字を弾き出した。

蜀の人口は約90万。対する敵国の魏は400万以上。市場規模(国力)が4倍以上違う相手に対して、わざわざ険しい山道を越えて、莫大な物流コスト(兵糧輸送)をかけて殴り込みにいくなど、ビジネスの常識で考えれば「今すぐ撤退すべき不採算事業」以外の何物でもない。


だが、俺は「壊れた社畜」である。神様からのノルマは「中華統一(市場の独占)」だ。

コストがどうの、勝率がどうのと言い訳をして、営業ノルマを達成できないなどという選択肢は、俺の辞書には存在しない。


「よし、まずは社内環境(国内)の整備だ。生産性を極限まで高めるぞ」


俺は【不眠不休の肉体】をフル稼働させ、寝ずに働く。

深夜、成都の宮殿には煌々と明かりが灯り、俺の「絶対洗脳カリスマ」によって、董允や費禕といった優秀な官僚たちが、目を血走らせながら書類の山と格闘していた。


「みんな! 頑張ろう! 成果を出せば、必ず天界の市場(来世の幸福)で報われる! 睡眠は甘えだ! 成長痛だと思って、このプロジェクトを乗り越えよう!」

「は、はい……! 陛下のためなら、我が命など安いものです……!」

「おお、働くことがこれほど気持ちいいとは……!」


宮廷のブラック企業化(洗脳完了)である。

俺の超人的なハードワークにより、蜀の内政は急速に効率化され、国庫にはみるみるうちに金銀財宝と兵糧が蓄えられていった。


天界の神々は、その様子を見て涙を流して感動していた。

「素晴らしい……! なんというハングリー精神だ! 自分だけでなく、周囲の人間まで巻き込んで24時間体制で働いている!」

「これなら、あと3ヶ月もすれば成都から十万の軍勢が発せられ、魏の首都・洛陽を落とせるぞ!」


だが。

事件は、降臨から三ヶ月が経過した、ある「良く晴れた午後」に起こった。


その日も俺は、寝ずに3万件の陳情書を処理し、成都の街のインフラ整備計画(道路の舗装、排水路の設置)の承認を終えたところだった。

ふと、自分の手元を見る。そこには、新しく開発させた成都の名産品である「蜀錦(極上の絹織物)」の売上報告書があった。市場開拓(貿易)が成功し、敵国であるはずの魏の貴族たちにバカ売れしているという。結果として、蜀の財政は、諸葛孔明の時代を遥かに凌駕する「超絶黒字(内部留保の塊)」と化していた。


「……あれ?」


俺は、ペンを持ったまま、ふと動きを止めた。

窓の外を見る。成都の空は、抜けるように青かった。宮殿の庭園には、色鮮やかな大輪の花が咲き乱れ、どこからか心地よい風が、現地の美味い酒と果実の甘い香りを運んでくる。


「……俺、何のために、こんなに働いてるんだっけ?」


それは、俺の人生において、初めて生じた「疑問」だった。

元の世界での俺は、なぜ働いていたのか?

それは、明日の家賃を払うためだ。上司に怒鳴られないためだ。他人に負けて「負け組」の烙印を押されないためだ。常に何かに怯え、何かに追われ、飢えた狼のように走るしかなかった。


では、この世界(劉禅の肉体)ではどうか?


「家賃……? 俺、皇帝だから、このバカみたいに広い宮殿、タダで住めるな。固定資産税もない」


俺は、ぽつりと呟いた。


「上司……? 俺がトップ(皇帝)だから、俺を怒鳴る奴は世界に一人もいない。神様? あいつら天界にいるから、俺に直接有給の申請を却下する権限はない」


俺は、椅子にもたれかかった。


「ノルマ……? 中華統一? ……それを達成したら、俺は何を得るんだ?」


脳内で、高速のビジネス計算が始まる。

もし、このまま死に物狂いで魏を滅ぼし、呉を呑み込み、中華を統一したとする。

そうなれば、支配する人口は90万から500万に増える。

ということは、毎日の陳情書カスタマーサポートへのクレームの量が、今の5倍になるということだ。

管理すべき領土(支社)が増えれば、地方の太守の横領や、異民族の反乱(労務トラブル)のリスクが跳ね上がる。

24時間365日、今以上の大激務が、死ぬまで永遠に続くことになる。


「……最悪じゃねえか」


俺はガタガタと震え出した。

天下統一。それは、現代のビジネスパーソンの感覚から言えば、「世界最大のブラック企業のCEOに、強制的に就任させられる」という、究極の罰ゲームだったのだ。


しかも、今の時点で、俺の目の前には何がある?

蔵には、一生かかっても使い切れない黄金と絹(不労所得)。

成都の街は、俺の内政改革のおかげで治安が良く、飯が死ぬほど美味い。

さらに、宮廷に控える美女たちは、俺の【絶対洗脳カリスマ】のせいで、俺が「ちょっと肩が凝ったな」と言っただけで、狂喜乱舞して十人がかりで全身をマッサージしてくれる。


命の危険はなく、富は無限、周囲は全員イエスマン。

すでに、資本主義のゴール地点を、初手で、完璧な形で達成してしまっているのだ。


「……バカバカしい」


俺は、手に持っていた高級な毛筆を、床に投げ捨てた。


「働くの、やめよ」


その瞬間、俺の脳の奥底で、パキィィィン! と、張り詰めていた「社畜の洗脳」が、内側から完璧に粉砕される音が響き渡った。

神様が授けた【不眠不休の肉体】と【絶対洗脳カリスマ】というチート能力が、持ち主の「完璧な賢者タイム」によって、最悪のベクトルへと反転した瞬間だった。


翌朝。成都の宮殿の謁見の間。

蔣琬や費禕ら幹部一同は、異様な緊張感の中で、玉座を見上げていた。

昨日まで、寝ずに国政を動かしていた「鬼の仕事人間」である主君が、どんな恐ろしい業務命令を下すのかと、戦々恐々としていたのだ。


だが、現れた劉禅(俺)は、昨日までのピシッとした正装ではなく、だるだるの薄い絹の寝着を羽織り、完全に骨抜きになったような顔で玉座にどっかりと座っていた。


「みんな、おはよう。緊急の朝礼を始める」


俺は、気怠げに片手を挙げた。


「今日から、我が蜀漢の経営方針を大幅に変更する。……全事業を停止する」


「は……? ぜ、全事業、とは……?」

蔣琬が呆然と尋ねる。


「北伐の全面中止。および、軍事部門の大幅な縮小リストラだ。これからは、防衛のみに特化する。魏が攻めてきたら、剣を交えるんじゃなくて、美味しいお酒と我が国が誇る最新のエンタメ(高級な蜀錦と踊り子)をプレゼントして、接待(買収)で解決する。戦うなんてコスパが悪い」


「な、何をおっしゃいますか陛下! 魏は漢王朝を揺るがす賊! 先帝(劉備)や相父(諸葛亮)の悲願である、中原の回復(天下統一)はどうされるのですか!」


費禕が血相を変えて叫んだ。

だが、俺は【絶対洗脳カリスマ】を込めて、優しく、甘く、とろけるような声で言い放った。


「費禕、落ち着いて。よく考えてみて? 天下を統一したって、僕たちの給料(飯の美味さ)は変わらないよ? むしろ、仕事が増えて、君たちも僕みたいに過労死するだけだよ? 悲願? そんな精神論で動くプロジェクトは、ただのブラック企業だよ。それよりさ……」


俺は、傍らに控える絶世の美女から、キンキンに冷えたライチを受け取り、口に放り込んだ。


「……ここ、めちゃくちゃ飯が美味いし、お酒も最高だし、みんな優しいじゃん? 魏のことなんて、もう、思い出しもしないわ。ね?」


――此間楽、不思蜀(ここは楽しくて、蜀のことなど思い出しもしません)。


かつて、劉禅自身が敵国(魏)の首都で言い放ったあのセリフが、まさかの「成都の本拠地(本国)」において、完璧な形で炸裂した。

しかも、神が与えた【絶対洗脳カリスマ】のせいで、その「究極のニート宣言」は、臣下たちの脳内に直接、甘美な麻薬のように染み込んでいった。


「あ……ああ……」

費禕の目が、とろん、と濁り始めた。

「確かに……なぜ私は、あんなに必死に働いていたのだろう……? 毎日、深夜まで書類を見て、胃が痛かったのに……」


「そうだ……」蔣琬もまた、武器を床に落とし、恍惚とした表情を浮かべた。

「陛下のおっしゃる通りだ……。美味しいお酒を飲んで、のんびり暮らす方が、よっぽど人間らしい……。中原の回復? 知るかそんなもの、魏の連中にくれてやれ……」


「陛下万歳! 蜀漢万歳!」


成都の宮廷にいたすべての官僚、そして兵士たちが、一瞬にして「不思蜀」の呪い(※完璧なサボりマインド)に感染し、その場にだらしなく座り込んで、酒を酌み交わし始めた。

【不眠不休の肉体】を持つ俺は、これから「24時間365日、寝ずに、全力でサボり、全力で遊ぶ」という、無敵のエンジョイ勢へと進化を遂げたのだ。


天界の水鏡の前で、北斗星君と南斗星君は、白目を剥いて泡を吹いていた。


「あ、あああ……」

北斗星君の口から、魂が抜けかけている。


「洗脳社畜が……極限まで働かされた壊れた人間が、初めて『お前もう働かなくていいよ』っていう絶対の自由と富を手に入れたら……限界を超えて『劉禅』になっちゃった……」

無論神に逆らった罰は社畜君に帰ってきます。

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